ハジマリ

@n21125

第1話

 ラトソルの赤い大地が広がる森の中に洞のある大きなブナの木がありました。

「オジサン、この木だよ。鬼ごっこしてたら、ユウト君がこの中にかくれてたんです。大声でユウト君の名前を呼んで近づいて行ったら、急にユウト君とコウモリが飛び出してきたんだ」

「みんな、気をつけろ! エボラウイルスがくっついてるからな! 飛び出してきたら、絶対に触れるなよ!」

 大きなブナの木を七、八人の男女が取り囲んでいましたが、その内の一人が火の点いたタイマツを洞の中に投げ入れました。枯れ枝がパチパチパチと燃え上がると同時にチッチッチッという甲高い鳴き声が聞こえ、五メートルの高さはあると思われる幹の割れ目から、オヒキコウモリの大群が飛び出し、いっせいに森の奥に飛んで行きました。すると、黒い煙が吹き出ている洞の中から、二匹のオヒキコウモリが現れました。隣のカオボグの木にぶら下がると人間の耳には聞こえない鳴き声で叫びました。

「ユキちゃん、早く、早く出てきて!」

「お母さん、助けて! 身体に火がついて、もう動けない。苦しくて、アツくて、もう、イキができないの……」

 お父さんコウモリは、何度も旋回をくり返して洞の中に入ろうと試みましたが、勢いよく燃え上がった炎が入り口をふさぎ、洞の中に飛び込むことは出来ません。お母さんコウモリも、娘の声を聞き取ろうと耳を傾け、必死に叫び続けましたが、二度と炎の中から娘の声は聞こえませんでした。

「かわいそうに、苦しみながらユキは死んでしまった……。何故、人間はこんなムゴイことをするの! まだ二歳になったばかりなのに。許せない」

 お父さんコウモリは、お母さんコウモリの横にぶら下がると話しかけました。

「母さん……。ユキちゃんと最後の別れをしよう。もう、どうも出来ない。みんなが待ってるオツマリに行かないと。ユキは骨と灰になって、土にかえってしまうけど。脱皮したユキちゃんの魂は、植物や動物の中に入り、新しい命となって生まれ変わってくる。ユキちゃんの新しい命が幸せになれるよう、お祈りをしてあげよう」

 お父さんコウモリとお母さんコウモリは、翼を大きく広げると空に向かって飛び立ちました。そして、真っ赤な炎に包まれた大きなブナの木の先端より、さらに高く舞い上がり、旋回を始めました。

「キィーキィーキィー」

 という細く物悲しい二匹のオヒキコウモリの鳴き声があたり一帯に響きました。

「私たちのところに生まれて来てくれて有り難う。いつも一緒だよ、愛しているよ」

 と祈りました。そして、キリモミ状態で洞近くまで急降下すると、お父さんコウモリとお母さんコウモリは森の奥へ飛び去りました。

 

 その頃、ユウトは、モンロビア病院の隔離病室でエボラウイルスと闘っていましたが、目を覚ますこと無く、息を引き取りました。

「ユウト君、初めまして。私はエボラウイルスのウララといいます。突然、ごめんなさいね。一つ誤解があるから、先に話をさしてね。私たちウイルスは、人間が誕生するよりずっと昔の二〇億年前の地球に生まれて、変幻自在に変異をくり返し、今まで生きてきたのよ。メリトワ村の人達は、ユウト君がエボラウイルスに感染したのは、オヒキコウモリが原因だとオヒキコウモリの巣を焼き払いに行ったけれども、感染の原因を作ったのは人間ですと、私たちは何千年も前から知らせてきたわ。エジプトやローマ、奈良時代の平城京で天然痘が大流行した時。そして、スペイン風邪の時も」

「感染の原因を作ったのはオヒキコウモリでしょ。どうして、人間だと言うんですか? ねえ、さっきから、僕は痛みも、苦しみも無くなったんだ。死んでしまったの……」

「どうしてって…… 人間は、一万年前から農地と牧草地を広げるためにジャングルと森林を伐採し、大自然の破壊を始めたわ。農業によって十分過ぎる食べ物を手に入れた人間は、人口が爆発的に増加し、都市がいくつも増えていった。だけど、大自然の中で生活していた野生動物は、住む家と食べ物を奪われたの。生き残れたものは、やむをえず人間が住む町や村の近くで生活するようになり、オヒキコウモリを宿主としていた私たちも、同じ様に人間のそばで生活することになった。そして、宿主が人間まで広がってしまったの」

「ユリ叔母さんも、ボクも殺しておいて、よくも平気でそんなことを言えるよ。これで最期だなんて、マジで信じられない……」

「私たちウイルスは、生き物の様ざまな種の特性を生かして、進化を早めるために存在しているのよ。だから、生き物の体の中には数え切れないくらいのウイルスがいるの。わずか一グラムの海水の中には、一千万個のウイルスがいるわ。人間の遺伝情報の半分は、私たちウイルスの親類で作られているの。例えば、レトロウイルスは、お腹の中で赤ちゃんとお母さんをつないでいる、とっても大切な胎盤をつくるのに欠かせない『シンシチン』を作る遺伝子として使われているの」

「それじゃ、君たちウイルスは人間の仲間だって言うのかい?」

「そうよ、私たちエボラウイルスは、オヒキコウモリにとっては有益だったけれども、人間にとっては有害だったの。一つ心配なことがあるの。今、地球では温暖化が進み、永久凍土が溶け出して、古い時代のウイルスや細菌がたくさん目覚めているの。そして、人間は食糧増産という理由で、今もジャングルと森林を切り倒し、大自然の破壊を続けているわ。このままでは、人間は未知のウイルスと接触する機会がますます増えていく。いつの日か、抗体を作れないウイルスと接触し、駆逐されてしまう日が来るように思うの。ユウト君にとっては残念なことだけど、ホモサピエンスの時代が永遠に続くと思っていることは不自然なことなの。四十六億年の地球の歴史からすれば、ホモサピエンスが生きている一〇〇万年間は、ほんの一瞬でしかないもの」

「それじゃー ボクたち人間は、どうすればいいの!」

「まずは、地球の温暖化と自然環境の破壊を本気で止めるしかないわ。これは、誰もしてくれないことよ。人間自らが行動を起こして、解決しなければならないこと。そろそろ、時間が近づいてきたわ……。さっき、ユウト君が痛みも、苦しみも無くなったと言った時、私の命も終わったの。新しい命の元に戻らなければならないの。新しい命となって生まれ変わるの。天空にある大宇宙が無限に広がっているように、私たちの体の中も無限に小さく、小さく広がっているの。一〇〇〇京分の一のクオークより、もっと、もっと小さいハジマリの世界に戻るのよ。さあ、ユウト君も、目をつむって私の手を握って下さい。今から、私たちはハジマリの世界に戻るから」

「急にそんなこと、言われても……。それじゃ、ボクは天国に行けないということなの? 『真面目に、正直に生きていたら、きっと天国に行けるから』とママはボクに言ってたよ」

「天国という言葉は、約三〇〇〇年前ぐらいのゾロアスター教の時代に初めて人間が作ったものよ。信仰心の厚い信者へのご褒美として、死後に再び復活出来る約束の地として、天国という言葉が作られたの。集団で生活するようになった人間にとって、最も重要なことは、真面目に規律正しく生活することでしょ。それは支配者にとっても、民衆にとっても好都合だったから、すべての人間に広まっていったの。でも、死後の世界は天国も地獄も無いの。さあ、出発する時間がきたわ」

「ちょっと待って。その前にママに、もう一度会いたいんだ」    

「大丈夫よ。ハジマリの世界に行くにはね。生きている人の身体が入口になっているの。お母さんの身体を通り抜けて、ハジマリの世界に戻りましょう」

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