第2話 下

 受験勉強を頑張った甲斐があって、私は市内でも有数の高校に進学した。

 女子高校だから、バカな男たちはいない。

 これで安心して勉強できる。


 もう男なんて絶対いるもんか。

 覚悟を決めたかった。

 ママからもらったパールのイヤリング。

 それをお店で加工してもらって、ピアスにした。

 左耳に穴をあけて、塞ぐ。

 どこかで聞いたことがある。同性愛者の人はこんなことするって。

 でも、私は同性愛者じゃない。

 このピアスは一生シングルっていう決意だ。


 高校に入学すると、成績は常に上位。

 だけど、ピアスをつけているから、授業中にいつも注意される。

 そして毎日バカみたいに反省文を書かせられる。

 くだらない。

 こんなことで私の決意を曲げられるわけないじゃない。



 ある日、担任の先生が産休に入って、代わりの教師が赴任してきた。

「げっ、男だ」

 思わず声に出しちゃった。


 若い男の教師で、ニコニコ笑って教壇に立つ。

 女しかいない高校だったから、たちまち人気者になった。

 端正な顔立ちしてたし、身長も高いし、明るい性格だし。

 でも、私はそのセンセイを見る度に吐き気を感じた。

 アイツを思い出す。



 センセイの担当している授業は美術。

 その日も私は適当に絵を描く。

 みんなが一生懸命描いている絵を、センセイはひとりひとり優しくアドバイスしていた。

(うわっ、私のところには近づかないでほしい)

 さっさと授業が終わらないかなと思ったその時だった。

 センセイが声をかけてきた。

「あれ……君の耳」

 また怒られるのか、そう思ってため息をつく。

「そのピアス、いいね」

「え……」

「君のだろ? パールがキレイでいいね。どこで買ったの?」

「こ、これはママからもらって……」

 予想と違った質問をされて、ついつい答えちゃった。

「そっかぁ! いい趣味してるね、お母さん」

 センセイは太陽のように眩しく笑って見せる。

 私は動揺を隠せなかった。


「あの、センセイ。私を怒らないんですか?」

「え、なんで?」

「だって……校則違反だから」

「それで? なんで僕が君をそれぐらいのことで、怒らないといけないの?」

「そ、それは……」

 言葉に詰まる。

(なにこの人、バカじゃない)


「服装とか身なりぐらいで、僕は生徒を怒ったりしないよ。例えば、君が犯罪や死に関わることがあれば、別だけどね」

 そう言うセンセイの瞳は、キラキラと輝いてた。

 まるで真珠のよう。


 悪い人ではない。むしろ、善人に近い。

 でも、思った。

 この人もいざ女の裸とか見たら、アイツみたいに自制がきかなくなるただのオス。

 それに、汚れを知らない一般人だ。

 私とは住む世界が違う。



 イライラしながら帰宅した。

 自分の部屋に入って、机の引き出しからカッターを取り出す。

 私は‟あれ以来”むしゃくしゃすると、自分の左腕を切る……という行為を繰り返した。

 別に死のうとか思ってない。

 ただ安心する。

 刃が肌に触れると、一本の線が浮かんできて、そのあと、プツプツと血の球が浮かび上がってくる。

(あったかい)

 するとリラックスできる。

 もちろん、ママとパパには内緒でやってる。

 だから、年中長袖を着てる。



 美術の時間、イライラしながら絵を描いていた。

 制服の袖がめくれていたのに気がつかなくて、センセイに呼び止められる。

(またこいつか……)

 舌打ちすると、彼が言う。

「ねぇ、神崎かんざきさんだったよね? その腕、どうしたの?」

「あ……」

 昨日、切った生傷が露わになっていた。

 咄嗟に反対の手で隠そうとしたけど、センセイがそれを止める。

「ねぇ。これ自分でやったの?」

 じっと私の顔を見つめる。

 黙って頷く。

「そっか……放課後、職員室に来て」

(ヤバい、ママとパパにバレる)


 言われた通り、職員室に来ると、センセイは書類に目を通していた。

「あの、センセイ……」

「ん、神崎さんか。あのね、さっきの傷、ご両親は知っているの?」

「知り……ません」

「うーん。じゃあこれを知っている大人は、僕だけかい?」

「そうです……」

 しばらく沈黙が続く。


「どれぐらいやってるの?」

「一年、ぐらい……」

「なら相当な数の傷があるよね」

 袖で見えない私の腕を指差す。

「……」

「それ、僕がお医者さんに言ったらダメかな?」

「ぜ、絶対にダメです! 誰にも知られたくない!」

「そうか、参ったな……君のそれは、命に関わる行為だからね」

(別にアンタに頼んでなんかない!)


 しばらくセンセイは腕を組んで、考えこむ。

「あのさ、今日も帰ってするかもしれないんだよね?」

「わか、りません……」

「ならこうしよう。これ、僕の電話番号」

 センセイはそう言うと机の上にあったメモ帳に、数字を書きなぐる。

 そして、私にそれを差し出す。


「あの……どういうことですか?」

「もしまた切りたくなったら、電話して」

「え?」

「まあいいから、早く帰りなさい」



 センセイの考えがさっぱりわからなかった。

 動揺していた私は、帰ってすぐに机の引き出しからカッターを取り出す。

 傷だらけの左腕に刃を向けたその時だった。

 ぐしゃぐしゃになったメモ紙が視界に入る。


『もしまた切りたくなったら、電話して』


 どうせ何もできないくせに、威張りやがって。

 でも、また明日学校で問い詰められるのも面倒だ。

 一回だけ電話して、出なかったら、こんな紙捨ててやる。


 そう思って、試しに電話をかけてみた。

 すると、ベルの音が一回鳴るか鳴らないぐらいのスピードで相手が出る。

『もしもし、神崎さん? 切りそうなの?』

「あ、ハイ……」

 出ると思わなかったから、ビックリした。

『待ってて。すぐに行くから』

「え?」


 

 数分後、窓の外から聞きなれないバイクのエンジン音が鳴り響く。

 カーテンを開けると、赤いヘルメットをかぶったセンセイがいた。

 手を振っている。

 私はパジャマを着ていたのだけど、驚きのあまり、すぐに家から出る。


「はぁはぁ……センセイ。どうしたんですか?」

「どうしたって。君の切る行為を止めに来たんじゃないか」

「止める?」

(なにを言ってるんだ。この人)

「ほら、これ頭に被って」

 そう言うとセンセイは、同じ色のヘルメットを私に手渡す。

「はぁ……」

 言われるがまま、ヘルメットを被ると、後部座席に促される。

 センセイがハンドルを回すと、「しっかり僕につかまってね」と言った。

「あ、あの……」

 私の声はエンジンの爆音でかき消され、気がつけば、道路を走っていた。



 センセイが連れて行ってくれたのは、近くの海岸だった。

 そこで、ようやくバイクから降りる。

 夕陽が落ちかけていて、暗くなりだした。

 よく考えると、パジャマだったから寒い。

「ほら、これ着なよ」

 そう言って、ジャンパーを着せてくれた。

 二人でしばらく海を眺めていた。

 ただ、波の音を聞いて、潮風を肌で受けて、海の匂いをかぐ。


 たったそれだけなのに、心が安らぐ。


 終始センセイは黙って海を見つめていた。

 しばらくして、私の方から口を開いた。

「もう……大丈夫です」

「わかった。帰ろう」

 センセイは、特になにもしないし、言わない。

 ただ私のことを見守っていてくれる……そんな優しさだけは伝わる。



 その後も、私はカッターを手にするたびに電話をかけた。

 センセイは決まって数分で、窓の向こう側に現れる。

 ピザの宅配よりも早くて笑っちゃう。

 そして、二人で夜の海を眺める。

 

 それが毎日、毎週、何カ月も続いた。


 センセイは嫌がる素振りも見せず、ただ私を助けるために来てくれる。

 優しい人。


 バイクで走っている時、センセイの背中に身体を寄せて見た。


 ドキドキ……。


 センセイに聞こえるぐらい私の胸は高鳴っている。

 

 私、‟先生”が好き。


 そう思っちゃった。


 

 それに気がついた時、私は自分を呪った。

 汚れきった私なんかじゃ、先生には不釣り合いだ。

 帰ってベットに身を放り投げると、涙が流れた。


 きっと私が彼に想いを伝えたら、先生は笑ってこう言うのだろう。

『ありがとう。気持ちだけ受けとっておくね』と。

 先生は良い人だから、そう言うに違いない。


 思い切って先生に告白しようと何度も考えた。

 でも、できない。

 教師と生徒との間柄じゃなくなるのが怖くて。

 私が告白して振られたとしても、先生は優しいままだと思うけど。私が無理。



 そんな矢先、クラスの女子が教室で、先生に質問していた。

「先生ってさ。教師と生徒との恋ってあり?」

 すると先生は、見たこともないぐらい顔を真っ赤にして怒っていた。

「君たち、僕をそんな目で見ていたの? 心外だな。僕が君たちにそういう感情を持った時、僕は教師をやめるよ!」

 私はそれを聞いて『やっぱり』と一人静かに笑った。



 そう。先生は私たちを女として見てない。

 ただの子供、生徒として見ているんだ。



 だから、だから……。

 私はもう、切ることをやめた。

 あの人をもう苦しませたくない。

 電話で呼び出すなんて、卑怯な真似したくない。

 卒業するまで、彼と正々堂々と向き合いたい。


 この好きという気持ちは、そっと胸にしまって。


 私は左耳につけていたピアスを外した。

 開いていた穴は、気がつくと塞がっていた。

 でも、それで良いと思う。

 またピアスをしたくなったら、今度は両耳あけようと思う。



 あっという間に卒業式を迎えた。

 先生は旅立つ私たちを見て、いっぱい涙を流してくれた。



 私は勇気を振り絞って、先生に声をかける。

「あの、先生っ!」

「神崎さん、今日までよくがんばったね」

 先生は目を腫らせていたが、ニコニコ笑っている。

「これ。良かったら受け取ってください」

 白い小さな箱を差し出す。

「僕に? なにかな」

 箱を開けると、中には私が以前つけていたパールのピアス……だったものが入っている。

 ピアスを加工して、ネクタイピンにしたのだ。


「あ、これって、神崎さんのピアスだったやつじゃないか! こんな大事なもの、僕にいいの?」

「いいんです。先生にはもっと大事なものを頂いたので」

「ん、なんのこと?」

「ふふふっ」

 やっぱり、私のことなんて、ちっともわかってないじゃない。


 あなたに埋めてもらった胸の穴。

 私だけがもらえた、あったかいプレゼント。



 今後、私が先生以上の男性に会えるかはわからない。

 誰かを好きになることもないかもしれない。

 でも、先生からもらった優しい気持ちは、ちゃんと返したい。


 今度は、私が教師になって。

 胸に傷を抱えた子供を見たら、先生に教えてもらった優しさで、包んであげたい。


 

   了

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私のことなんて誰もわかってくれない 味噌村 幸太郎 @misomura-koutarou

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