異世界転生研究所
まめいえ
前編
「どうせ死ぬなら異世界に行きませんか?」
そんなメールがスマホに届いたのは夜遅く、寝る前のことだった。
K氏は48歳の男、独身である。顔面偏差値は自分では下の上ぐらいだと思っているが、それを判定してくれるような友達も知り合いもいない。年とともに下腹がでっぷりとしてきて、身長が低いくせにズボンのサイズがXXLになりつつあるのが最近の悩みだ。
彼女いない歴=年齢で、アルバイトでなんとか生計を立てている。両親は既に他界し、兄弟もなし。
未来に明るい兆しは何も見えず、こんな人生に嫌気がさして自殺サイトなどを眺めていたからかもしれない。そんな怪しいサイトばかり見て何かこちらの情報を抜かれてしまったのか、「どうせ死ぬなら異世界に行きませんか?」このような胡散臭いメールまで届く始末だ。
何が異世界だ。そんなのどこかのライトノベルの世界だけの話だろう。馬鹿馬鹿しい。
そう思って眠りについたはずのK氏は――
――翌日、なぜかその胡散臭いメールに書かれていた住所に足を運んでいた。
冷やかし半分、怖いもの見たさ半分だった。いや、この世界に嫌気がさして、異世界でもなんでもいいから生まれ変わってみたいという気持ちの方が大きかったのかもしれない。
「本当にあるとは……」
有限会社クロノス。街中にある四階建ての雑居ビルの二階から四階までがその会社らしい。窓に社名や広告は一切なく、特に注目することのないただのビルにしか思えなかった。「入り口に小さな看板しかございませんが、それを目印にお越しください」というメールの文言の通り、入り口近くに小さな看板が目立たないように設置してあった。
K氏は一階にある古びた精肉店には目もくれず、中央の入り口から階段を登り薄暗い二階の扉を開いた。
「いらっしゃいませ、ご予約のお客様ですか?」
扉の先には受付があり、テーブルを挟んで一人の女性がそう声をかけてきた。テーブルの上には「整骨院予約票」と書かれたファイルが置いてあった。部屋をよく見渡してみると骨格筋のポスターや整体メニュー、料金表なるものが貼られていて、どこからどう見てもただの整骨院のようだった。
「あ、いや……こんなメールが届いて……」
K氏はおもむろにスマホを取り出し、昨日届いた怪しいメールの画面を受付の女性に見せた。これもまた、メールの文言通り。「表向きは整骨院となっているが、メールの画面をお見せください」と書いてあったのだ。
K氏のスマホの画面を見ると女性の顔が一瞬素に戻ったように見えたが、すぐに可愛らしい笑顔で「どうぞ、こちらの部屋でお待ちください! すぐに担当が参りますので!」と隣の部屋に案内された。
真っ白な壁に囲まれた部屋で、椅子に座って待つこと数分。カチャリと扉が開いて、白衣を着た男性が入ってきた。ボサボサの髪に無精髭、数日間徹夜したのではないだろうかと思われる目の下のくま。白衣だけはアイロンがピシッとかかっていたが、怪しさ満載の人物だった。
「あ、ども、担当の
我孫子と名乗る人物にぶしつけにそう言われてK氏は返答に困ってしまった。急に言われても心の準備ができていなかったのだ。まごまごしていると、受付にいた女の子が「我孫子さん! また何の説明もなしにそんなこと言って。お客様困っているじゃありませんか、それに言葉遣いも!」と言いながら、お茶を持ってきてくれた。
「はい、これを飲んで落ち着いてください。すみませんね、いつもこうなんです」
「……ありがとうございます」
K氏はお茶をぐいっと飲み干すと、少し落ち着いたようで口を開いた。
「本当に、死んだ後に異世界に行けるんですか?」
すると我孫子がボサボサの頭をかきながら自信たっぷりに答えた。
「もちろん。あなたの希望する設定で異世界に転生させてあげる……あげますよ」
「希望する設定?」
君、あれを。と我孫子が受付の女の子に指示を出す。すると彼女は部屋の片隅に置いてあった棚から数枚の資料を取り出してテーブルの上に広げた。
「これはあくまでも一例ですけど……ゲームのようなファンタジーの世界に転生するもよし、過去の日本に戻るもよし、未来の世界で過ごすのもよし、なんなら地球外の別の惑星にだって住むことも可能です。あなたの希望する通りの世界を作ってみせましょう」
我孫子は次の資料を指差して話を続ける。
「それに、自分がその世界でどんな立ち位置にいるかも指定できるのです。最強の魔法使いでも、武術の達人でも、お金持ちでも……超モテモテのハーレムの中心でも!」
最後の部分だけ小声でひそひそ話をするようにK氏に伝えたが、後ろの女の子が露骨に嫌そうな顔をしていたのでどうやらばっちり聞こえていたようだ。
「最強の魔法使いって……そんな異世界で戦って死んでしまったらどうするんですか」
「それも設定可能。不死の体にもできるし、死んだら最初からやり直しもオッケー。自分の好きなように設定できちゃう」
自信たっぷりに答える我孫子に対して、K氏はさらに質問をたたみかける。
「今の記憶を引き継ぐことは可能ですか? でないと意味がない」
「もちろん。強くてニューゲームってやつです」
「永遠に歳を取らずに、ずっとそこで暮らすことも……」
「できます」
「複数の女の子と結婚してもお咎めなしとかも?」
「簡単簡単!」
女の子の何か汚いものを見るような視線を感じて、今の質問は失敗だったとK氏は反省した。
「あ、失敬。自分の理想の女性と出会うということは……」
「そりゃもう。設定さえしてもらえればどんな望みも叶えて差し上げますよ」
最高じゃないか、とK氏は理想に胸を膨らませた。しかし、再度女の子の視線を感じてごほんと咳払いをすると、他にも当たり障りのない質問をいくつかした。我孫子の返答は全て「問題ない。可能です」だった。
「後から設定を変えることは?」
「……それだけはできません。異世界に転生すると現実世界とは完全に離れてしまうので、我々もそちらにコンタクトを取ることができないのです」
なるほど、と設定についてK氏は納得した。しかし彼にはもう一つどうしても聞きておきたいことがあったのだ。
「しかし、死んでから異世界に転生するといわれましても証拠がないですよね。そうやって人を騙しているんじゃないかと疑ってしまいます」
もしかしたら我孫子はこれまでもその手の質問を幾度となく受けてきたのかもしれない。確信をつかれて動揺するといった様子も特になく、表情を変えずに答えてくれた。
「ま、そう思うのも仕方ないですよね。じゃあ三階の部屋に行ってみましょうか。実際の様子を見せてあげましょう……あ、だけど他言無用、撮影禁止だから荷物とかは全部ここへ置いてね」
我孫子は席をたち、部屋を出て行った。女の子がK氏の持っている荷物を全て預かり、どこから取り出したのか金属探知機のようなもので全身をチェックすると、「どうぞこちらへ」と促した。そこまで厳重にしないといけない部屋に、いきなりやってきた人間を簡単に入れていいのだろうかと思いつつも、K氏は彼らの後をついていく。
階段を登ると短い廊下の先に扉があり、我孫子が壁にある電子キーを操作してロックを外す。するとプシュウと音を立ててゆっくりと扉が左右にスライドした。
「……」
K氏は言葉が出なかった。
部屋はガラスで仕切られており、その向こうには整然と並べられた台の上に、裸の人間が頭に電極を刺した状態で静かに眠っていた。その数はゆうに100を超えているだろう。
電極の先は小さなモニタとつながっていて、そこにはまるでゲームの画面のようにファンタジー世界で戦う人の姿や、宇宙旅行をしている映像などがそれぞれ映し出されていた。そこに写っている主人公の誰もが笑顔で、楽しそうに動いていたのだ。
「どうだい、これで異世界転生の話を信じてもらえたかな」
我孫子が満足げな表情でK氏に尋ねた。これにはK氏もうなづくしかなかった。メールの内容は嘘ではなかったのだ。肉体が死んだ後でも、モニタの中でこんなに生き生きと楽しそうに異世界で活躍する人たちを見て、自分も同じように異世界で生活したいと思ってしまったのだった。
「はい……私も死んで異世界に行きたいです」
気がつけば、K氏は二階にある先ほどの部屋に戻って契約書にサインを済ませていた。
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