第21集

「む?法師よ、五郎は何処へ行った?」


「あの、兄が大庭さまのお屋敷に行くから案内を頼んでおりました」


「おお、そうか」


 子子子こねこ法師にそれだけ返し、朝食を飲み込んでいく。武士は早飯だと思い込んで過ごしてきた。大庭の屋敷へ行くなら五郎を使うように言ったのは季房自身だった。


「夫は、それはもう大層、悩んでおりました。亡き義父の娘のまま、少将様に娶っていただけるなら望外だと。しかし、望外の望みとはまさにその言葉通りとも。弁えてはいるのです」


 良兵衛と寝所を共にする咲。一晩中、唸る姿を何度も見ていた。


「某としては、法師が子を産んでくれれば、赤松良兵衛の妹でも懐島太郎(大庭のこと)の娘でもどちらでも構わんのだが」


「でも、正室にはなれませぬ」


「うーむ、他から押し付けられれば…押し切られようなあ」


「他から…」


 これまでの季房は従五位下こそ帯びているが、昇殿も下されぬ地下も同然、散位の貧乏貴族だった。それが、今や一郡を約束され、百騎を率いる身分だ。経済力もその内ついてくる。


「確かに、大場殿が後ろ盾になってくれるならば、庇い立てもできようなあ」


「義父のことを思えば、赤松の娘として出したい。けれど、家の浮沈、何より子子子こねこさんのためを思えば」


「あの男にそこまで思わせる。良い父御だったのだろうなあ」


「酒を飲んでは酔いつぶれるだけの呑兵衛です。けれど、酔うても醒めても人は好かった」


 法師は在りし日の父を思い浮かべる。酒に酔っては法師の頭を撫で、たまに素面になったら弓を教えてくれた。悪い父でななかった。


「子子子さん。近い内に、義父の詳しい話を聞きたいわね」


「ええ、落ち着いたら、ゆっくりと」


「良兵衛はどうすると?」


「それが、私には告げず…」


「わたくしも、聞いてはおりません」


「そうか」




 その頃、大庭の屋敷。


「改めて、赤松良兵衛にごさる」


「うむ、大庭太郎なり。楽にせよ。子子子法師殿を巡っては、我らは対等ぞ」


「は。では」


 良兵衛は正座を崩した。大庭とは、出居で相対している。大庭の屋敷で公的な部屋の中では執務室なので私的寄りの空間だ。


「さて、どうされる?無論、赤松殿がどう判断しようと、ワシの少将殿に対する好意は揺るがん。赤松殿に隔意を持つものでもない」


「大庭殿は」


「うん?」


「大庭殿は保元の頃から源氏に従っておられると伺いました。平家の世を経験して、何か辛いことはありましたか?」


「お、おう?辛いことなあ?」


 大庭は首を捻った。平家の世の間、20年足らずは坂東武士が踏みにじられる時間だった。虐げられるその足に噛りつく機会を待っていた。


「20年、ずっと辛かったなあ。上にいる方々は何も聞いてはくださらん。それに引き換え、鎌倉殿は聞き届けてくださる」


 言っている間に、大庭は良兵衛の意図を察したらしい。


「ははぁん?そなたはそれが、まさに今…と言いたいのだな?」


「はい」


「妹御を大事にしてきたわけか。だから弓を教えると言うは風変わりだが」


「妹は、政争の具にはなりませぬか?」


「せぬ。そも少将殿次第だが、少将殿の人となりは存じておろう?」


「はい」


「約束しよう。婿夫婦になる少将殿と子子子法師殿のためなら、大庭と兵は尽く、死ぬ」


 良兵衛は顔を上げた。大庭はにっかりと笑っている。


「今の世に珍しかなる若者たちよ。是非、縁が欲しい」


「拙者もです…!」


 差し出された手を、良兵衛は取った。




 少将の屋敷に戻った良兵衛は早速、季房に報告した。


「そうか、そうか。大変な思いをさせたな。許せ、な?」


「いえ。しかし、大庭殿という武士は大きなお方です。拙者の不安を氷解してくださいました」


「まあ、懐の深い御仁だなあ」


 季房の傍にいる子子子法師はいよいよ、緊張してきた。坂東の名族の娘として、もしかしたら公卿成りするかもしれない貴族に嫁ぐ舞台が調った。


「子子子…いや、法師様。これよりは兄妹の契りは切れたものと思っていただきたい」


「兄さま」


「兄と呼んでいただくには、拙者は低きに在る男にて」


「……」


「真面目な男だからなあ」


 右腕に据えた男の意外な頭の固さに、季房は天を仰ぐ。良兵衛のことだから、妹を嫁に出すのではなく、売った…と考えているのだと推測する。


「難儀よの」


 おろおろする法師を眺め、季房は独りごちた。

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