08
「こっちです」
先に歩く城戸が立ち止まりする手招き。
「ここのクレープ、結構美味しいんですよね」
駐車場から少し歩いた所に停車しているキッチンカーの前には、ポップの付いた立て看板があった。取り扱っているものはソフトドリンクと手軽につまむことの出来るスナック。あとはパンをメインにした軽食が少々。その中でも人気があるものがクレープのようで、最も売れ行きの良い商品の写真が切り取られて飾られている。
「個人的にはコレがオススメなんですが」
キッチンカーのスタッフに一言断りラミネートされたメニューを手に取ると、城戸は二人の前にだし当店ナンバーワンと書かれたクレープを指さした。
「美味しそうだけど……」
「マジ美味いッス! 人気商品っていうのは嘘じゃ無いですから!」
一華は写真に写るクレープの中身を見て暫し考える。食べるものに余り頓着が無い性格をしてはいるものの、一応一華は女性ではある。たっぷり乗せられたホイップクリームやチョコレートと言った物は、正直カロリーが気になってしまうのも仕方ないだろう。
「でも、城戸さんが言うとおり美味しそうだよ?」
そんな一華の悩みを他所に、ネアンの興味は一際目を惹く人気商品へと向いているようだ。一緒に食べたいと目で訴えられると、どうにも断りにくく一華はたじろいでしまう。
「まぁ、騙されたと思って食べてみて下さいよ! カロリーとかは、食べた分だけ歩けば問題無いですって!」
なんと都合の良い言い訳だろう。言われた言葉に反論しようと一度は口を開くが、二対一の多数決は多勢に無勢で。結局一華が折れる事で付いた決着。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
手渡された甘い匂いを放つ食べ物。丁寧に包まれた薄い生地の中には、きめ細かく泡立てられたホイップクリームにイチゴとキウイとバナナ。それらを引き立てるように少しだけ苦みのあるチョコレートがかかり、彩りを添えるようにしてカラフルスプレーが振りかけられている。思ったよりも重みがあり、ボリュームがありそうだと浮かべた苦笑。仕方なしに食べてみると、思ったよりも控えめな甘さが口の中に広がる。
「あ」
確かに、『当店ナンバーワン』というキャッチコピーに嘘偽りは無いようで、見た目だけでは判断できない旨味というものは、味わってみなければ分からないのだと驚く。
「これ、すっごい美味しいね!」
隣で同じようにクレープを頬張るネアンはこの味がとても気に入ったようだ。一口食べる毎に「美味しい、美味しい」と言う言葉を繰り返していた。
「そうね。凄く美味しい」
その言葉に満足したのだろう。勝ち誇ったように親指を立てた城戸が、はち切れんばかりの笑みを浮かべ「良かった!」と言葉を繋げた。
「それじゃあ、移動しましょうか」
「ええ」
いつの間に購入したのだろうか。「はい」と手渡されるペットボトル。キャップを軽く捻って栓を開封すると、よく冷えた液体で喉を潤しながら歩き出す。
「こっちです」
先導する城戸の後を追い進める歩調。
「あっ、一寸待って」
数歩歩いたところで、二人はネアンに呼び止められる。
「どうしたの?」
「ゴミ、ちょうだい」
そう言って差し出されるのは大きな手で。どうやら食べ終わったクレープの包み紙が欲しいと訴えているようだった。
「ゴミ箱があっちにあるから、捨ててくる」
差された指の先には、キッチンカーを運営しているショップが好意で設置しているダストボックスが置かれていた。
「それじゃあ、お願いしようかな」
その提案を断らず、好意に甘えたのは城戸が先だ。彼に促されるようにして、一華は丸めた包み紙をネアンに手渡す。
「お願い出来るかしら?」
「任せてよ!」
小さなお使い。ただゴミを捨ててくるだけの行動なのに、お願いされたことが嬉しくて仕方ない。嬉しそうに頷いたネアンは、渡されたゴミを持って既に走り始めてしまっている。
「まるで、初めてのお使いに出た子供みたい」
昔見たテレビ番組。四角い箱の中に映された映像の中で、母親からお使いを頼まれた子供が一生懸命使命を果たした後、達成感に満ち足りた表情を浮かべ喜んでいる姿を思い出し笑ってしまう。
「子供というよりは、大型犬って感じですかね? 見た目が子供じゃ無いし」
一華とは違う印象を持った城戸も、面白そうに笑いながら呟く。
「確かに。人懐こい大型犬って言われれば違和感は無いわね。尻尾があったら、思いっきり左右に振ってるに違いないわ」
気が付けばゴミを捨てるという仕事は済んでしまったようだ。ネアンが小走りで二人の元へと戻ってきた。
「ゴミはゴミ箱に。これで良いんだったよね?」
『ゴミはゴミ箱に』。それは、スタッフの人間が無意識に呟いている言葉なのだろう。極当たり前のルールだが、それがキチンと守れたことに、ネアンは満足そうな笑みを浮かべて頷く。
「お待たせ! それじゃあ、行こうよ、城戸さん、一華!」
早く早くとネアンが急かす。
「何処に行けば良い?」
「そうだね。ここからだと……こっちから行った方が近いかな?」
再び動き出すそれぞれの足。丁寧に敷かれた石の上を、一定の速度で移動する。足を先に進める度、心地良い風が頬を撫でるのが実に気持ちよい。
「……?」
そこで感じた小さな違和感。それが何なのかを確かめるべく手元に視線を下ろせば、隣で歩くネアンの手が一華の手を握っていた。
「こうしてると、はぐれたりしないでしょ?」
少しだけ自分よりも高めの体温。一回り大きな手は随分と力強いのに、そう言って笑うその人物は幼さを残したままアンバランスで。
「そうね。こうしていれば、私が二人に置いて行かれなくて済むから助かるわ」
軽くネアンの手を握り返せば、繋がれた手に籠もるネアンの力が少しだけ強くなった気がした。
のんびりとしている時間は無い筈だが、今はとても時間の経つ速度が遅く感じられる気がする。
限られた有限は終わりの刻を刻々と刻むため、一秒一秒を大切にしたいと願うせいだろうか。握られた掌から伝わる温もりは、偽りの形代に吹き込まれた命の熱さ。それはとても本物に近いと感じるのに、どこまでも精巧に作られた模造品のままで。だからこそ心中は複雑だと感じてしまう。
そんなことを悶々と考えていると、いつの間にか目的地に辿り着いたようで。目の前に広がる空間は仕切る物が無いせいか、何処までも広がりを見せ、終わりがないような錯覚を起こしてしまう。
「うわぁ!!」
繋いでいた手。それが離れるのは一瞬だ。次の瞬間、一面に広がる草花の中心に向かって、ネアンが駆け出していた。
「ネアン!」
一華は慌てて彼を引き留めようと腕を伸ばす。
「大丈夫ですよ。ここ、殆ど人が来ないので」
それを引き留めたのは城戸の手で、隣に立つ一華の肩を掴むみ、ゆっくりと首を左右に振ることで制止を拒んだ。
「今は、彼に喜んで貰うことの方が大事なんでしょ?」
城戸の言うとおり、一華としてもネアンが喜ぶことを優先したいとは思う。だが、ここは国有地だ。管理者がいる土地で勝手に振る舞って良いわけでは無いでしょうと一華は城戸を睨みつけた。
「気が付きませんか?」
「何が?」
「この花ですよ」
そう言われて初めて気が付くことがある。
「どう言うこと? 花……って、これ」
確かにこの空間には違和感がある。その正体がなんなのかと言えば、答えは簡単で。足下から一面に広がっている花の存在がおかしいと感じてしまう原因なのだ。
その花は一年の内、春と呼ばれる季節に開花する勿忘草で、夏が終わり秋が始まろうとしている今の時期から考えるとこのように咲くことはおかしい。慌てて携帯端末で日付を確認するが、矢張り今はこの花の開花時期などではなく、この時期にこんな風に花が咲くことはあり得ない。それなのに、今目の前にに広がるのは一面の花畑だ。何故それがあるのかその理由を考えていると、その疑問に対しての答えが城戸の口から零れる。
「この花、改良された物なんですよ」
一華の肩から静かに手を離すと、城戸はしゃがみ込んで足下で咲く蒼紫から一輪摘み言葉を続ける。
「あんまり知られていないんですが、ここ、実験場なんです」
「実験場?」
「そう」
正確には実験場だった場所だと城戸は言う。
「この辺りって、公園が整備される前は産廃施設の一部だったらしいんです。そのため、土地の具合があんまり良くなくて。それを何とかしようと行ったのが遺伝子操作を施した植物の植え付けなんです」
俄には信じがたい話ではあるが、目の前に広がる異質を直に見せられている以上、この話が嘘である可能性は低いのだろう。本来の季節に咲くことが出来ない小さな花。それは汚れた土の上で、精一杯その命を芽吹かせ地表を覆い尽くしている。
「こう言うのって人のエゴだって分かってるんですけどね。それでも、そういうことに頼らなければ現状を変えていくことが出来ない。だからこそ、僕たちは踏み込んではいけない所に知識を求めて手を伸ばしてしまう」
「…………」
「この花も一緒なんです。ただ、形が違うだけで、人のエゴによって生み出されたものの一つ。でもね、一華サン」
小さな小さな蒼紫の花。開いた城戸の手の平から逃れるように、風に乗って宙を舞い土の上へと落ちていく。
「例え意図的に創り出された命だとしても、こうして喜んでくれる人がいるのなら、それがこの世界に生まれてきたことは無駄じゃなかったんだって思いません? 僕たちにとってこの花は背負うべき罪の形だとしても、彼にとっては触れることの出来る喜びなんですよ。だから、精一杯楽しいってことを感じて欲しいんです。って、ちょっと恥ずかしいこと言ってますね、自分」
湿っぽい話はここで終わりだと噤む口。
「一華ー!」
気が付けば、花畑の中心でネアンが笑いながら大きく手を振っている。
「凄い綺麗だな!」
次の瞬間、強い風が吹き木々の枝葉を揺らした。強風から顔を庇うようにして手を翳し、反射的に閉ざした瞼。一瞬だけ視界が霞んだせいで、ネアンの姿が掻き消えてしまったような錯覚に囚われ一華は目を懲らす。ぶれる視界と結ばれぬ像。脳が情報を処理出来ないのだろうか。意識が混乱し始める。
「一華?」
だが次の瞬間自分を呼ぶネアンの声によって、一華の意識は現実へと引き戻される。
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