03
「アレは安定しすぎているの。恐いくらいに状態が良すぎる。有る意味異常なほどに」
「そう……なのか?」
「そう」
安定しすぎている。その言葉に含まれた意味をライリーは汲み取ってくれたようだ。苦虫を噛みつぶしたように表情を崩すと、一華の背後で大きな溜息を吐き項垂れてしまった。
「だから、アレが此方に牙を向く前にさっさと処分してしまった方が良いと。上はそう判断したんだと思う……多分」
例え同一個体が二度と作り出せないとしても、その個体から採取したデータはバックアップとしてデータベースには残る。実験体が一つ無くなったところで、更に改良を加えた都合の良い新しい個体を作り出すことは可能なのだ。必要なのはバックアップされた情報で個体の有無ではない。依頼主が欲しいと願う物は、扱いに不自由をする暴れ馬ではなく、命令に忠実に動く都合の良いハイブリット。
「多分、今度新しく創る時はこう言われると思うは。『アレに自我は要らない』のだと」
採取したデータは何も、N-0687だけに限ったことではない。今まで様々な個体が創り出され廃棄されてきた。それらの累積したデータを元により改良された新しい可能性を持つ人類を創造することは、さして難しくはないだろうと一華は思う。それはつまり、より多くの失敗を繰り返したことで、完成に限り無く近いN-0687という個体を生み出すレベルにまで、研究者の知識と技術が到達してしまったということを意味している。
だからこそ、上は判断を焦ったのだろう。プロトタイプとしてラベルを貼られた都合の悪い被験体が、管理する側に反乱を起こす前に。もし反乱を起こさなくとも、この施設にサンプルやデータを狙って潜り込んだスパイが存在しないとも言い切れない。そういった反乱分子の手に研究内容が渡ってしまう前に。だからこそ貴重なサンプルを処分してしまおう、そう言うことだと。これは、如何にも上層部が考えそうな話ではある。だからこそ、自分の意思で変えられない未来が悔しいと一華は唇を噛む。
「なぁ」
背後でライリーが動く気配。一華よりも身長の高い彼が隣に立つと、拗ねた子どもをあやすように彼女の頭を優しく撫でる。
「……お前はさぁ、それで良いのかよ?」
「……何……で?」
肩に乗せていたファイル。ライリーはそれを下ろすと、一華の肩を抱きながら、再び大きな溜息を吐いた。
「幾ら献体だとは言え、お前が親ってことには変わりがないだろう? あの個体……えっと、ネアンだったっけか?」
なんと言葉をかければいいのか分からないと。不器用ながらも必死にライリーは言葉を探して話を続ける。
「ずっと一緒に居たんだぜ。情が沸かない様に注意していたところで、アレはさぁ、見た目は同じ人間なんだ。それにアレは性質的に人懐こい。」
「……そうね」
「何て言うか……皮肉だよなぁ。自分で作り出した命を自分で消さなければならないなんて……」
そこで一旦言葉を切ったライリーは、大きなガラスの嵌め込まれた窓越しに広がる空へと視線を移した。
「自分を幾ら誤魔化しても、矢張り心はそう簡単な物なんかじゃないんだぜ。一華、お前……本当は嫌なんだろう? あの個体を処分することが。」
触れた体温。その熱がゆっくりと離れていく。顔を動かし視線だけで彼を追えば、ライリーは窓際に移動し大きなガラスの前で足を止めた。
「判るぜ……俺にも、覚えがあるからな」
そっと窓枠に乗せられた掌。
「俺はさぁ、その時は「仕方がない」と自分に言い聞かせながら、その命を消したよ。でもな、やっぱり嫌なんだ。忘れられねぇんだよ……あの時の事は……」
「ライリー?」
皮肉なほど青く広がる空。だが、その色を直に見る事は叶わない。何故なら、大きな嵌め殺しのガラスが、それを阻んでいるからだ。
「一華……何故俺達は、研究者なんてやっているんだろうなぁ。俺達は一体何のために、命を創っているんだろう?」
新しく命を創る。それは全ては国のためだと彼女は教えられている。
世界のためにより強い武器と、それを扱える有能な個体をと。
それを創り出す理由なんてシンプルなもので、戦に勝利するためだけに続けられている研究。
そこは、知りたいと願う純粋な欲求を満たすために用意された箱の中で、初めからどこかが歪んでしまっているのだ。その中で暮らす内に、知識が充たされる事に喜びを感じ、他の事は全て霞んで見えてしまう。それが異常だと言うことに気付いたところで、その頃には歯止めが掛けられない所に立っており後戻りは出来なくなってしまっていた。
「無茶苦茶な事を言ってるのは判ってるんだ。そしてそれが機関の理念にそぐわないことも理解はしているさ。でもな、一華。理性や道徳というものを忘れてしまったら、人間終わりなんじゃないか? 創られた実験体よりも、俺達の方がよっぽど化け物に近いんだろうなって、最近はそう思っちまうんだ」
それを嘆くかのようにライリーは笑う。
「そうね。その通りだわ」
そんな彼の言葉を肯定するように呟くと、一華も表情を和らげ、ガラス越しに広がる蒼へと視線を移した。
時計というものは確かに時を刻むのに、変わり映えの無いこの白い部屋では、時間の流れは曖昧だと感じてしまう。
今日もまた、退屈な一日の始まり。朝の訪問者は会いたいと願った大好きな人ではなく、無愛想な男性スタッフだった。
事務的に進められるマニュアル通りのやりとりは、ネアンにとってつまらないと感じてしまものだ。元々、とても人懐こい性格の彼にとって、もっと言葉を交わして相手とコミュニケーションを取りたいと願うのは極自然のこと。しかし、今日の相手はそれを受け止めてくれる気配が無い相手で。だから自然と口数は少なくなってしまう。そうやって、退屈な時間をなんとか乗り切るとやってくるのが一人きりの時間。指示があるまで自由に動き回れるのはこの部屋だけなため、持て余した暇を潰そうと手繰り寄せた雑誌のページを適当に捲る。
それは写真がメインのアウトドアグッズをまとめた雑誌。雑誌の構成は裁ち切りで載せられた写真のページが前半で、後半に特集を組んだタイアップページがまとめられていた。コピーライターが書いた文章では、どんなグッズがトレンドで、どういった事に対して使用するだの、どのあたりが便利で扱いやすいだのが紹介されている。更に頁を捲れば、「今月のオススメポイントはココ!」と打たれたタイトルで、キャンプアクティビティが楽しめるスポットが、所在地の情報と共に記載されていた。
「良いなぁ……」
頁を捲る手を止め呟いたのはそんな一言。目の前で広げた本の見開き頁に描き出されたものは、どこまでも広がっていそうな青空と緑色の平原だ。
しかし、それはネアンにとって、切り取られた紙面に広がる偽りの光景にしか過ぎない。どんなにそれを願い、この白い部屋に広がる光景を紙面の中身と取り換えたい願っても、それが叶うことは不可能で。映像として知覚することは出来る。だが、本当の意味でそれを見ることは出来ないのが悔しいと感じてしまう。
「……見てみたいなぁ……これ」
それが分かっているからこそ、自分の於かれた状況が悲しいと。ネアンの指が静かに紙面をなぞる。空と同じ濃さの碧は寂しそうに揺れ、溢れ出る涙で視界が滲む。
「…………?」
下瞼に溜まった涙が頬を伝い流れ落ちる手前で、ネアンは顔を上げる。
「……あっ」
耳が捉えたのは部屋に近づく足音。歩き方の癖からそれが一華のものだと言う事に気が付くと、ネアンは服の袖で乱暴に涙を拭いてから一呼吸。
「一華だ!」
彼女の気配と部屋の距離。それが少しずつ狭まっていく気配を感じ、広げていた雑誌は慌てて本棚に。はやる気持ちを抑えつつ、立ち上がり駆け寄ったドアの前に立つと、ネアンは今か今かとそれが開かれるのを待った。
「お早う! 一華」
「えっ……あ、うん」
開かれた扉の向こうには、驚いた表情を浮かべたまま動きを止めた一華の姿。そんな彼女の反応に満足したのか、嬉しそうに大きく頷き悪戯な笑みを浮かべると、ネアンは彼女の手を取り部屋の中へと誘う。
「お早う、ネアン」
いつもなら直ぐに表情を崩し、「仕方ないわね」と呆れられるというのに、感じたのは小さな違和感で。気配だけで背後にいる彼女の様子を探りつつ、どう会話を切り出そうかとネアンは考える。
「一華?」
結局上手い言葉は見つからないまま。ただ、今日は何処かおかしいと。それだけははっきりと分かるからこそ心地が悪い。
「今日は何するんだ? またテスト? それとも一華とお話出来たりするのかな?」
この部屋に訪れる来訪者は誰もが同じ目的を持っていることをネアンは気付いてはいた。ただ、少しだけ無駄だと思える時間の差があることがあることも理解している。無駄を嫌う相手は、今朝のスタッフのように事務的な作業だけを行いさっさと出て行ってしまう。無駄に付き合ってくれるスタッフは、ネアン相手に僅かな時間ではあるが付き合ってくれることもある。一華は、ネアンにとって無駄な時間付き合ってくれることが最も長い相手。それでも矢張り、訪れる目的が変わる事は無い。だからこそ、「何をする?」という問いに「何を行う」という指示が来ないのはおかしいと感じてしまう。
「一華?」
「今日は……」
その問いに直ぐには答えられない。何故なら、ネアンに投げられた問いに一番驚いたのは一華自身だったからだ。
今日のタスクで午前中に行うべき事は既に終わっているはずなのに、何故かこの部屋に足が向いてしまっていた。本日のスケジュールにはテストを行う予定は無く、この部屋に来る必要は一切ない。それどころか、本日の一華の主な作業はデスクワークがメインで。少しばかり作業に疲れたと外にでただけなのに、何故この場所に?
「私……」
本来ならば、実験体に行うタスクが組まれていない時は、対象個体に会わないように心掛けている。そのため、会うか会わないかは全て管理され、記録されていた。なのに何故、今日に限って無意識にここに足が向いてしまったのだろう。その理由を考えるのに答えは分からないまま時間だけが過ぎていく。
「……一華?」
「え?」
顔を上げると不安そうに揺れる碧が自分を覗き込んでいるのに気が付いた。慌てて取り繕ったのはぎこちない笑顔だ
「そうね。今日は特に予定が有るわけじゃ無いの」
自分は自然に笑えているだろうか。不安定な心の動きを目の前の相手に悟られたくないと矢継ぎ早に吐き出す言葉。
「偶には貴方の意見を聞いてあげる。ねぇ、ネアン。今日は何がしたい?」
「え?」
その提案は予想外で。想定とは全く異なる一華からの提案。今度はネアンが驚く番のようだった。
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