ホムンクルスの見た夢

ナカ

01

 分かれた世界。

 指先の触れる先。

 隔てる冷たい硝子の向こう側で、寂しそうに君は笑ったんだ。

 

「廃棄することに決まった」

「……そうですか」

 無機質な印象を与える部屋。そこに在る色は決して多くはない。人影の無い冷え切った場所に立つのは、白衣に身を包んだ二人の人間だった。

「これ以上の結果は望めないと上が判断した。異論はあるだろうが、仕方が無い」

 そう言って残念そうに肩を落とした男が表情を曇らせる。その言葉を告げられた相手の女性は、ただ黙ってそれを受け止めていた。

 告げられた宣告はある程度予想は出来て居たことだ。その決断を下されることを覚悟して居なかったという訳では無い。それなのに、自然と手が震えるのは何故だろうと。今し方聞いたばかりの言葉に少なからず落ち込んでいることは目に見えて明らかで、女性にしては珍しく動揺の色を隠しきれていなかった。

「……どうした?」

「……いいえ……何でも無いです」

 辛うじてそれだけを答えると、彼女は表情を悟られたくないと顔を伏せてしまう。ファイリングされたカルテを握る手に力が入り、彼女の綺麗な指先を白く染めた。暫く部屋を支配するのは沈黙で、互いに口を開く気配は無い。そうやってどれくらいの時が経った頃だろう。その空気に耐えられなくなったと言わんばかりに、廃棄を宣告された女性の方が重たい口を漸く開いた。

「失礼します」

 これ以上の会話は必要無いと。彼女はそれだけ呟き、振り返ることなくこの部屋を出ていく。

「………廃棄……」

 背後で締まるスライド式の自動ドア。いつかはこうなる事は分かっていた。それは実験体を作り出した時から既に決められていた定められた未来の形。だからこそ、実験体に特定の感情を持つことは極力避けてきたつもりだったのだ。言われた言葉に感情的にならないよう、何度も何度も大丈夫だと自分にそう言い聞かせて。だが今、改めて上司である人物からそれを「廃棄する」と宣告されると、複雑な感情が自分の内側を満たしていく。

「要らない……ってことなのね」

 感情の無い人間。そう言われ続けてきた彼女にとって、自分の持つ思考や感情と言ったものはもっとスマートなものだと思っていた。しかし、実際のところそうでもないらしい。隠しきれない動揺に一番驚いているのは彼女自身なのである。

「日程を後で確認しておかないと」

 この状況を寂しいと感じているのだろうか。それとも、悔しいと思っているからなのだろうか。その顔に浮かぶ笑みがとても苦しそうなものだったことなど、彼女自身が気が付つくことはなかった。


 自分にある世界は白い物。

 四角い空間が僕の全て。

 だからとてもつまらない。

 だがそんなつまらない世界にたった一つだけ特別な事が有るんだ。


 いつの頃からだろう。この場所以外に自分の知る所が、指を折って数えられる程度しかないと自覚したのは。今日もまた、毎日が同じ事の繰り返し。決まった時間に鳴るアラームに起こされ、アナウンスに誘われるまま決められた事を行っていくだけの単純作業。ごく稀に、そのルーティンにイレギュラーが発生することはあるが、それはいつだってランダムで予測は不可能だった。

 どうせ今日もそうなのだろうと。

 午前中の課題として置かれている机の上の本を手に取り、ベッドの上でつまらなさそうにページを捲る。この行動にどんな意味があるのかなんて、一度も説明されたことはない。ページ数の多いそれは、小難しい内容の書かれた専門書。ただ、単純に文字の羅列を追っていけば、内容は自然と頭の中に入ってしまう。そうやって本を半分以上読み進めたときだ。突然部屋のドアが開いたのは。

「入るわよ、ネアン」

「一華……?」

 読む気になれない残りのページ。声をかけられたタイミングで捲っていた手を止め、男は声のした方へと顔を向ける。

「一華!」

 視界に居るのは会いたいと願っていた人物の姿。慌ててベッドのから飛び起きると、ネアンと呼ばれた男は慌てて其処に座り直した。

「お早う、一華!」

「ええ、お早う」

 先ほど言った、つまらない世界にあるたった一つの特別。それはこの一華という女性と会える時間のことだ。今日は彼女に会うことが出来た。それが嬉しくて自然とネアンの表情は緩んでしまう。

「今日は一体何をする予定?」

 まるで遊びをねだる子どものように、身を乗り出し待つ答え。此処に居ると自覚してからずっと変わることなく傍に居てくれる彼女の見た目は、ネアンよりも幼く見えるが一応成人はしている。

「取り敢えずは健康チェックからね」

 持ってきた器具をネアンに取り付けながら一華はそう答える。器具から伸びるコードは備え付けの端末のジョイント部分へ差し込まれ、数秒遅れで真っ黒だったディスプレイが起動する。

「気分はどう?」

「特に何も」

 これは、何時も通りのやりとり。カルテを開くと一華はボールペンの先を紙面に走らせた。

「食事の状況は?」

「残さず食べましたー」

 余りこういう話をするのは好きではないらしい。見た目だけは一華よりもずっと落ち着いているネアンが、ぶっきらぼうにそう答える。

「薬は?」

「アレ、苦いから嫌いだ」

 外見と言動に感じるギャップ。拗ねた子どもがやる感情表現と同じように、ネアンは頬を膨らませながらそっぽを向いてしまった。

「ネアン!」

 だが、それを一華が許すことはない。聞いた質問は「飲んだか・飲まないか」。その問いに対して正確な答えを返さないネアンに対し、一華は強い口調で彼を諌しめる。無視は許さない。その気配も何時も通り。横目で一華の様子を見たネアンが気まずそうに表情を曇らせると、小さく溜息を吐きながら質問に答える。

「飲んだよ。ちゃんと飲んだ」

「そう」

 問診に素直に答えてくれれば宜しいと。一華は聞いた答えを記録するべく、紙面にペン先を走らせた。

「あのさ、一華……」

「何?」

「何で薬を飲まなくちゃならないんだ? アレ、とっても苦いから嫌いなんだけど」

 顔を上げると綺麗な碧と視線がぶつかる。外見は一華よりも随分と年上に見える男。そんな人物が、まるで子供のような表情を浮かべ、不思議そうに顔を傾げ答えを待っている。

「ネアンの身体、まだ安定していないじゃない。早く元気になって外に出たいんでしょう? それなら我慢して薬を飲まなきゃダメよ」

「うへぇ……嫌だぁ……」

 ネアンが嫌いだと言った薬。それを投薬する本当の意味を彼は知らないし、知る必要は無い。何故なら、彼はそうあるべくして創られた存在。データが揃えば居なくなる、ただそれだけのために存在しているのだ。

 それが分かるからこそ余計に辛いんだと。一華は一度顔を逸らし、手元にカルテへと視線を落とす。

「どうしても薬を飲むのが嫌だって言うのなら、それが嫌なら注射するしかないわね。ほら、腕を出して」

「げっ」

 書き込まれる文字は言葉として意味を持たない記号の羅列。それを備考欄に書き込んでからカルテはサイドボードに置き、代わりに銀のトレイに乗せられていた注射器を手に取る。小さなアンプルにあるのは一回分の透明な液体。針をそれに刺し薬剤をシリンジに吸い込ませれば準備完了。

「さぁ、腕を出して」

 ネアンに対して差し出されるのは、一華の手。

「薬を飲んだら注射はしないって言ったじゃ無いか!」

 用意されたものに対してこの反応を返されるのも仕方が無い。

「注射は痛いから嫌だって!」

 それでも、ネアンにはそれを拒否する権利は一切与えられていないのが現実で。

「我が儘を言うんじゃないの。ほら、さっさと腕を寄越しなさい」 

 注射から逃れるように引っ込めたネアンの腕を一華は素早く掴み引き寄せる。

「一華!」

 ネアンは直ぐに抵抗をみせ、一華の手を振り払った。宙に放り出された白い指が、掴む物を失い動きを止める。ここまで抵抗されるのだ。本当なら「そうね、ごめんね」と言って止めてあげたい。しかし、それは一華の意思だけで決める事が出来ない決断でもある。

「大人しくしないともっと太い針を使うからね!」

「うっ……」

 優しさは見せないと。睨み付けながらそう伝えれば、これ以上痛みが有るのは嫌だと判断したのだろう。ネアンは途端に大人しくなってしまった。

「そう、いい子ね」

 いい子? 自分よりも年上にしか見えない相手に? そんな皮肉が頭を過ぎる。ふっと自嘲を零しながら、オキシドールを含ませたガーゼで軽くネアンの腕を拭う。シリンジを軽く叩きプランジャーを押し込むと、中に入った薬剤が僅かに溢れ出す。指で静脈のある場所を確認してから、一華はそこに細い針を慎重に刺し、中に有る薬剤を注ぎ込んだ。

「痛っ……」

 未だに注射には慣れないらしい。針の先が白い肌に吸い込まれるようにして消えたと同時に、ネアンは顔を逸らし表情を顰めてしまう。

「直ぐに終わるから我慢して」

 ガスケットが筒先まで到達したら薬剤の投薬は完了。幹部にガーゼを当て、指で軽く針を押さえるようにしながら注射器を引き抜いていく。

「よく押さえておいてね」

 持っていた注射器をトレイに戻しネアンの手を取ると、一華は幹部に彼の手を当て指示をだす。少し痛みが残るんだろう。目に僅かに涙をにじませながら、ネアンは彼女の指示に大人しく従った。

「直ぐに止まる?」

 この質問のいつものこと。彼は血を見るのがとても苦手で、傷口から血が溢れることを極端に嫌う傾向があった。

「小さな針よ。傷口はそんなに大きくないわ。血小板が懐古していなければ直ぐに傷が塞がるから大丈夫」

 そう言って頭を撫でてやると、それを聞いたネアンは漸く安心したように表情を崩した。

「それじゃあ、これは適当なところで離しても良いんだな?」

「そうね。血が止まったらね」

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