03
ランチタイムの店内は思った以上に客が多く、手頃な席が見あたらない。そんな余裕のない場所に堂々と居座っていることに申し訳なさを覚え、ぶつかった相手に相席はどうだと勧めてみることにする。青年は少し躊躇いはしたものの、店内の状況を見てから素直に頷きその提案を受け入れてくれた。向かい側には名前も知らない一人の学生。彼はメニューを見ながら注文を終えると、漸く気持ちが落ち着いたのだろう。ほうと短く息を吐いた。
「君は、大学生かな?」
特に何かある訳ではない。ただ、向かい合わせで座るのに会話が無いのは些か寂しいと感じる。だからこそ、話の切っ掛けを探すべく、取り敢えず当たり障りのないことを訪ねてみることにする。
「そうです」
「専攻は?」
「ロボット工学」
中々に夢に満ちあふれた分野だなと思い笑みが零れる。実際はもっとずっと複雑で奥が深いのだろうが、自分自身のイメージと浅はかな知識では、創作の世界で展開される未来のお話という域を中々出る事が叶わないので致し方ない。
「自分でも何か作れたりするのかい?」
その問いに返ってきたのは、残念そうな声色の「No」。
「まだそこまでは出来ないので」
「そうか」
話を聞きながら続けるタイピング。その速度は格段に落ちてはいるものの、それは仕方のないことだと割り切ってしまおう。
「あなたは何をしてるんですか?」
「え?」
急に振られた話題に止まる手の動き。顔を上げると真っ直ぐに此方を捉えるチャコールの瞳と目が合った。
「その……パソコン……」
「パソコン?」
机の上に乗せられたノートパソコンを指さし、彼は不思議そうにそう呟く。それに対して苦笑を浮かべながら答えた言葉はこんなこと。
「小説家だよ」
「物書きなんですか?」
「そうだね。そう言う事になるかな」
彼は意外にもこちらの書いている作品に興味を持ってくれたようで。
「どんな話を書いているんですか?」
先程までの警戒心はどこへやら。キラキラと目を輝かせてそう問いかけてくるから面白い。
「頼まれれば何でも。有る程度のものなら無難に書けると思うよ」
実際、今まで創り出してきた世界は実に様々で、その言葉は間違いではない筈だと一人頷く。
「そうなんですか? あっ、代表作とかはあったりします?」
「そうだな…人気が出たのは『白い霧』ってやつかな?」
「それは読んだことがないや」
「そっかぁ」
青年の言葉に少しだけ気持ちは落ち込んだが、正直、有名な作家というわけでもないため、その反応は仕方ないとは思う。
「大丈夫。実は、あんまり売れてないんだよね」
「え?」
そのことを特に隠すこと必要はないと。窓の外に視線を移しながら続ける言葉。
「何となく出した賞に受かって文字書きになったのは良いけれど、流行り物はどうも苦手でさ。一応、何作か書いてはみたけれどどうも性に合わないみたいで、再版には至らなかったんだよね」
聞いてはいけないことを聞いてしまった。目の前の青年は罰が悪そうに俯いてしまう。
「あっ。良いよ。気にしていないから。物書きとは言っても、それを専業にやっているわけじゃ無いし、普段はライターの仕事の方がメインで、作家業は兼業みたいなもんだから」
「そうなんですか?」
「そう。だから、気にしないで大丈夫」
とは言え、物書きにとってそれを本業に出来ないという状態を複雑に感じる事は否定出来ない。それを彼も分かって居るのだろう。だからこそ、どう言葉をかければ良いのか考えあぐね口を噤んでしまった。
「そんなことよりもさ、君の持っているその本。俺にとっても思い入れのある本なんだよね」
料理が運ばれてくるまでの間。この空気に耐えられず出たのはそんな言葉で。
「え?」
何故こんな話をしようと思ったかというと、答えは実に簡単なことだ。先程ぶつかった時に青年が落とした本の中のにあった一冊。それを持っていることが恥ずかしいと、隠してしまった薄汚れたハードカバーの児童書。その本を彼が大切に持っていることを知ったから。ただそれだけの理由だ。
「どういう……こと……?」
「その本な、俺達が書いたものなんだよ」
それは、子供向けの夢物語。
彼が大事そうに抱えたハードカバーの中に描かれた世界はそんな感じの内容で。そのお話は、二人の人間が一人の人間の為に紡いだ小さな小さな物語だった。
「俺さ、童話作家になりたかったんだよね」
そうなりたいと願ったのはいつの頃だったのだろう。自分と弟の下に居た少しだけ年の離れた可愛い妹。その子が欲しいとせがむから、弟と一緒にアイデアを出し合って話を作ることを始めた。もしかしたら、その頃が始めだったのかもしれない。
「その本はね、俺と弟が妹の為に考えたお話を纏めたものなんだ」
流石に本として形にしたときに、多少手を加えて読みやすくはしてはあるが、シナリオの本筋としては当時に考え、紡ぎ出したもののまま。少しだけ大人びた視点で描く子供のが考える不思議な世界。ただ、ただ、小さな妹を喜ばせる為に試行錯誤したとても大切な思い出の詰まった箱庭がそのハードカバーということだ。
「今、改めて読み返すと未完成な部分があって恥ずかしいんだけど、そうやって気に入って貰えるのは素直に嬉しいかな」
今はもう店頭に並ぶことのない、始めて刊行された書籍。当然新品で置かれていることなど無く、そんなに沢山発行された訳でも無いため古本屋で見かけることも稀だ。しかし、何の偶然か分からないが、目の前に座る青年はその本を所有していた。今までこの本を持っている人を見たことが無かったため、彼がその本を自分の手から奪い取り、大事そうに抱えたことに本当に吃驚したのだ。
「……まさか……あなたがこの本の作者だったなんて……」
青年は手に持ったハードカバーに視線を落とすと、再び黙り込んでしまった。
「その本は君よりもずっと年下の子が読むように編集されているものだけれど、そうやって大事にして貰えるのは本当に嬉しいんだよ」
だが、その言葉を最後に会話は打ち切られてしまう。沈黙が続く。これ以上の話題が見付けられず暫く思考を巡らせていたが何も良い言葉が浮かばず出てくるのは溜息ばかり。仕方がないと諦めノートパソコンのモニタに視線を落とした時だった。
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