第3話 死病


 今日の百香。


 見渡す限りの開墾後。シェルターから四方を四分割し、十字に五メートル幅の道を残して、どんどん開墾した結果、シェルター周辺は地平線まで緑に覆われていた。


「壮観だねぇ。良い景色だ」


 百香は満面の笑顔でデッキに立っている。


 人々が目覚めてから半年。シェルター内の作業は女性に任せ、男性達には、ただひたすら地表の開墾をしてもらった。

 内側から外側に向かって、毎日のように繁った緑を掘り起こし、外周端まで終わった頃には内側の緑が、また繁る。

 掘り起こしても頑強な植物は再び根を張るし、朽ちた葉や茎が土に返り、地表はどんどん深く柔らかくなっていく。


 まぁ、栽培始める時には、最悪な敵にもなる訳なんだが......


 そのうち探索にも出ないといけないし、大戦のダメージが絶望的ではなかった事に、思わず百香は神の存在を信じた。


 いや、いるよね? きっと。風もあるし、空気も雲もある。雨だって結構降るし。 

 放射能の問題がなかったら、人間の努力で街作れるよ、これ。


 神様、ありがとう。


 たぶんミサイルの攻撃は都市部に集中されていたのだろう。放射能の嵐は免れないとしても、大部分の土地が自然なまま生き延びたはずだ。

 シェルターだって日本だけなはずはないし、案外沢山の国で人間が生き残ってるかもしれない。

 百香は、いずれ出会う異邦人の存在を夢見て、空を仰ぐ。その瞳は、希望を見据え世界が蘇る事を疑わない。


 前途洋々。彼女は、ひっそりとほくそ笑んだ。


 しかし、その明るさに添うように陰があり、その深淵が人類に牙を剥くまで大した時間は必要無い。


 翌日、各部署が集まる月例集会で、医局の医師から人類滅亡カウントダウンの報告がなされた。




「白血病?!」


 医師らの報告に、百香は思わず椅子から立ち上がる。


「そうです。放射能関連の症状と酷似しています。既存のデータにはない、新しいタイプです。従来の防護服や防護壁では対処出来ない可能性があります」


 説明する医師の言葉は、百香に理解出来ない。いや、したくない。

 すでに男性の八割に症状が現れているという。


 明らかに野外作業が原因だ。


 眉をひそめ、悲痛な面持ちで百香は眼を伏せる。

 ガイアが隔離していた時は完全に遮断されていた。なれば、再びガイアに遮断させ、管理任せるしかない。


 人類が地上に出る事は夢だったのか。

 神様は人の暴挙を赦しはしないのか。

 閉鎖されたシェルターの中で、我々は生を終えるしかないのか。


 女性もすでに何割か発症している。シェルター内にも未知の放射能は忍び込んでいた。

 地上を諦めるとしても、時代を作る事を諦めたくはない。

 前時代の設備しかない医局では、解析も何もできないし、専門施設を作る技術も知識も資材もないのだ。

 また冷凍睡眠させると言う事も出来ない。元々が完全な健康体でないと使えない代物だ。

 耐久年数もギリギリ。放射能が消え去っていないのにガイアが人々を目覚めさせたのも、カプセルの限界を察したからだろう。

 冷凍保存くらいは出来るが、生命体を維持するのは難しい。


 待てよ.....冷凍睡眠カプセル? 冷凍保存?


 百香の頭にある可能性が過る。現在ある物で出来る事。


 彼女は眼を見開いた。


 点と点が繋がり、パズルのピースをはめるかのように、パチパチと思考が構築される。


「各種生き物を冷凍保存してるよね。今、養鶏を試験的に運営してるよね?」


 部屋の中には、医師以外にも各部署から責任者が集まっていた。

 彼等は顔を見合わし、百香の問いに首を傾げる。


「してますね。人工培養システムで、受精卵から育成しています」


 それが何か? 生体管理部の代表は、軽く手をあげて答えた。


「人間に転用出来ないかな?」


 途端、ピキリと音をたてて部屋の中が凍る。

 思わぬ提案に、誰もが二の句を継げなかった。

 生き物の人工培養は、すでに成功していた。今の時代、当たり前なシステムである。

 過去に日本の自給率が百%だったのも、このシステムの恩恵だ。その最先端技術全てが、研究中の物を含め、このシェルターには保管されていた。


 解体した雌から原始卵細胞を摘出し、あらかじめ冷凍保存してある精子とかけあわせる。受精卵で冷凍保存するのも一般的だ。

 そしてそれを人工培養で、ある程度まで育ててから、畜産で育て、育成サイクルを早める。

 これは植物にも応用され、発芽から植え付けまで、たった数日。食の革命だった。


 大地震後、大規模に研究が進められノウハウを完成させた新技術。今では定番の食肉育成方である。


 さらに応用で、一部は医療に用いられる。細胞の人工培養で、本人の細胞から血管や皮膚など培養し、作るのだ。

 本人の物なので、拒絶反応0。肝移植なども可能。


 しかし無言の不文律から、人間を生み出す事には使われなかった。


 過去に、そういった案件を持ち出す者はいたが、これに関しては、世論の反発が酷く、実行に移された例はない。

 固唾を呑む周囲を一瞥し、百香は剣呑な眼差しで吐き捨てた。


「あがくわよ。次代へ繋げるため、放射能の影響がないと判断される人間から、卵子と精子の提供を募ります。道徳心なんか糞食らえだわ。科学技術部と協力して、人間用の培養システムを造りなさい。時間がない」


 有無を言わさぬ命令。


 百香は反発を想定して身構える。


「ん~ 原因解明出来ず、この先も病が蔓延するなら、最終的には、卵子が足りず受精卵を割り増やす形になりますねぇ。クローン培養の可能性も考えないと」


「ガイアが管理するなら完璧に放射能を遮断してくれるでしょう。まぁ、地上は諦めるしかありませんが。シェルター内での暮らしは完成してますし、放射能に関しては時間が解決してくれるかもしれない」


 各々専門部が、それぞれの見解を述べる。人間の人工培養を前提とし、にわかに活気づく人々を前に、百香は信じられないと言う眼を向けた。


 それに気づいた一人が、ふっと微笑む。


「先がない話より、先を見据え繋げる話の方が現実的ですよ。方法があるんです。諦めるより、あがきましょう」


 挑戦的な微笑みで百香を見つめる彼等の姿が視界で歪む。百香の頬に、暖かい雫が一筋伝った。


 一人ではない。賛同し、手を貸してくれる仲間がいる。彼等は敵ではないのだ。

 反発は当然と身構えた自分が恥ずかしい。それは裏を返せば、彼等を一切信用していないと言う事でもあった。凄まじい勢いで、異論反論されるものと考えていた。

 自分を理解し、共感してもらえる事が素直に嬉しい。これからも試行錯誤に振り回されるだろうが、やっていける。


 百香は自分を満たす暖かい面映ゆさに、しばし動揺した。素直になれない御年頃である。


 しかし、シェルター内は一枚岩ではない。首脳陣は生き延び繋げる事を最優先にしても、全ての人々が同じ思考である訳がなかった。




「病気が蔓延したのは、お前らのせいだろうがっ、安全性も確認出来ないで、俺らを酷使したのかよっ!」


 目の前で吠える男性は、数十人の仲間と共に代行執務室に雪崩れ込んできた。

 警備員が止める間もない。数の暴力は、こんな時でも遺憾無く威力を発揮する。


 百香は、現状の仔細を隠す事なく発表した。


 未知の放射能により白血病が多発している事。大戦時に使われた遮断壁を再び閉じ、放射能が消えるまで二度と地表には出られない事。

 蔓延する病魔から次世代を守るため、人間の人工培養に踏み切る事。それに伴い、卵子精子の提供を呼び掛けた。


 結果は見事なパニック状態。絶望の阿鼻叫喚がシェルター内を満たし、不安、不満、抑圧が一気に膨れ上がり爆発して、今の現状を作りあげる。

 罵詈雑言で叫びまくる男性は、支離滅裂。道理に合うも合わないも、全てを百香のせいにして怒鳴り続けていた。

 感情のタガがはずれたのだろう。本人にも言葉が理解出来てないのかもしれない。しかし、そのうちの一理ないし二割くらいは、理にかなった言葉もあるのだ。


 百香は、男性の気がすむまで、静かに耳を傾けた。


 言いたいだけ怒鳴り散らし、幾分溜飲が下がったのか、男性は眼にみえて落ち着く。だが視線は逸らさない。

 睨めつける男性の顔は憎悪に染まり、部屋の雰囲気は発火しそうなほどピリピリしていた。一触即発の不穏な空気。


 仕方無しに百香が口を開こうとした、その時。


 雪崩れ込んできた人々の一人が、軽く手を挙げた。


「発言よろしいでしょうか」


 周囲が固唾を呑んで見守るなか、手を挙げた初老の男性は、淡々と質問を紡ぐ。


「これは、代行らに予測しえた事態なのですか?」


 その質問に医局部代表が答える。


「不可能です。既存の放射能は判別可能であり、現在使用している防護服で対応出来るものとし、医局部が野外作業の許可を出しました。病気の発症まで、未知の放射能の存在は解らず、判明した今も特定ないし、発見に至っておりません」


「なるほど」


 初老の男性は思案するかの様に、顎を撫でた。


「今後、その未知の放射能に対して、有効な手立てはたてられそうですか?」


「立てられません。ガイアの遮断壁は、通常の放射能だけでなく、病原体やウィルスなども視野に入れ、宇宙開発部と共同開発された特殊壁です。これが冷凍睡眠中は件の放射能を遮断していたと思われます。野外作業に携わっていない女性にも発症している事から、通常の遮断壁では防げないようです」


 今度は技術開発部の代表が答えた。


 理性的な質疑の応答で、部屋に満ちていた不穏な空気が少し和らいでいく。

 初老の男性は顎に手を当てたまま、理解したかのようにフムフムと頭を上下する。


「ゆえに開けた遮断壁を戻し、シェルター内の残存生命を守ると。二度と地上には出られないかもしれませんが仕方無いですな」


 そこで最初に怒鳴っていた男性が、眼を剥くようにして再び叫んだ。


「何でだよっ、あんなに頑張って必死に開墾したのに、全部無駄だったのかよっ!」


 彼は叫びながら初老の男性に詰め寄り、力任せに胸ぐらを掴む。


「あんただって見ただろう?! 一面緑になったんだっ、綺麗な青空で雨も降って.... 後数年したら、みんな地上に家を建てて暮らせるはずで.... そのはずで..... 死に物狂いで努力した結果が死病の蔓延なんてっっ!!」


 怒鳴り散らす男性の声は、どんどんか細くなり、最後には絞り出すような嗚咽に変わっていた。


 憤懣やるたかない現状。希望を垣間見たゆえに... 手が届くはずだったがために、その絶望はより深い。

 死病の蔓延は全ての光を遮り、先のない現実が人々にのし掛かる。


 彼の感情は至極真っ当のものだった。


 頽おれるようにずり落ちて、彼は床に膝をつく。

 そんな彼と目線を合わせ、初老の男性はしゃがみこんだ。


「分かります。緑に覆われた野外は、とても綺麗だった。年甲斐もなくワクワクしました。あれを作ったのは我々なんです」


 初老の男性は微笑みながら彼を見つめる。


「誇りましょう。我々が地上に緑を蘇らせたのです。後の子弟に伝えましょう。努力は実を結ぶと。いずれ放射能は地表から消え去ります。これは未知の物も同じでしょう。我々が繋ぎさえすれば、緑溢れる地上を子供たちに与えられるかもしれません」


 男性が穏やかに語る未来。


 絶望であったはずのシェルターが、実は希望の残ったパンドラの箱である事に周囲は気がついた。

 初老の男性は何度も頷きながら、泣き崩れる彼を抱き締める。


「辛かったですね。頑張りましたね。我々に与えられたのは理不尽な結果でした。しかし、誰が悪いのでもありません。代行の決定に従ったのは我々自身です。自ら進んで、未来のために頑張りました。そこを勘違いしてはいけません。自分を否定してはいけません。不条理な結果であれど、誰にも責任は無いのです」


 微笑みなから語る初老の男性の言葉に、室内の不穏な空気は霧散していた。

 新たに満たされたのは、絶望を越えた純粋な悲しみ。今、この部屋にいる全ての人間に共通しているのは、ただひたすら悲しいという感情だった。

 怒りも憎しみも、全ての原点は悲しいである。悲しみに昇華されるまで、人は悩み、苦しみ、右往左往する。

 初老の男性のとつとつとした優しい言葉は、行き場のない怒りや苦しみに一筋の道を作り、ただ悲しいだけなのだと、人々の心に染み渡らせた。

 百香自身も気づいていなかった。自分が悲しかったなどと。


 ひたすらに何とかしようと。


 人々を守り、シェルターの中でも生き延び、次世代に繋ごうと。


 地上に出たのは失敗だった。シェルター内部にまで未知の放射能が入り込んだのは自分の落ち度だ。予測しえ無かったとしても、多くの発症は私の責任だ。

 なのに人間の育成培養で、新たな苦難を人々に強いろうとしている。


 必死にあがく自分の滑稽な姿。


 そうか、私は悲しかったんだ。


 意気揚々であった地上の開墾。シェルター内部も栽培や養鶏、生け簀を使った養殖が軌道に乗り、不安げだった人々にも笑顔が増えていた。

 それぞれがやれる事に夢中になり、誰もが希望に眼を輝かせて、人類の復興を疑いもしなかった。


 それが根底から砕かれた。悲しくない訳がない。


 どこまで病魔の手が伸びるか分からない。命に期限が付いた今、大戦後以上の混乱が起きるのは必至。

 人々がどんな行動を起こすか予測して、ありとあらゆる手を考えていた。今回の怒鳴り込みも、想定の範囲内だった。


 しかし結果は、誰もが予測しえないものである。


 百香は、暴動を起こした者全てを捕縛監禁するつもりで用意していた。感情論に耳を貸していたら、ただ徒に時間を浪費する。

 時間がたち、落ちついたころに再度説得を行うつもりで、シェルターの一角を収監場所としていた。


 だが、それらは無駄に終わった。


 目の前には子供のように泣きじゃくる男性が一人いるだけ。


 怒りも憎しみも溶けて、ただひたすら泣きじゃくり嗚咽をあげる男性に、最初の獰猛な雰囲気は欠片も見当たらない。

 雪崩れ込んできた人々は、完全に毒気を抜かれ、泣き崩れる男性を支えながら、部屋から出ていった。

 奇妙な安堵に満たされた部屋の中には、各部部所の代表と共に、初老の男性が残っている。

 おもむろに彼は懐から掌サイズの箱を取り出し、それに口を開いた。


「以上です。代行は、人類を生き延びさせる指針を示されました。各人、自己責任で今後を決めて下さい。」


 そう言うと、初老の男性は箱のスイッチを切る。

 何事かと眼をしばたたかせる百香に、彼は悪戯げな笑みを浮かべた。


 なんと彼等は、今回の一件を監視カメラから配信していたらしい。シェルターの至るところで人々が見聞きしていたのだ


 危なかった。予定通り彼等を捕縛し収監していたら、それら一部始終が流され、人々の感情の天秤は我々への不信に傾いたことだろう。

 愕然とする百香に、初老の男性は人の悪い顔でニヤリとした。


「災難でしたな。だがまぁ、この配信で、シェルターに今後の周知をする手間が省けたと思いましょう」


 苦笑する初老の男性に、百香も苦笑いで返した。


「ありがとうございます。ご助力感謝します」


 頭を下げる百香の姿に、初老の男性は柔らかく微笑む。


「血気盛んな若者には、発散する場が必要だでな。あんた様も、よう我慢なさった。あんた様が静かに彼等の話を聞いて下さらんかったら、きっとこんなに上手くはいかなんだて」


 初老の男性は先程とは違う砕けた口調で百香を労う。老人の名は清水悟郎。冷凍睡眠を乗り越えた数少ない八十代だ。

 八十代には見えない快活さ。六十そこそこだとおもっていた百香は、素直に驚いた。

 そんな百香に相好を崩し、老人は彼女の頭をガシガシと撫でる。


「あんた様は、ようやっとる。こんなお嬢ちゃんに、あれもこれも押し付けといて、文句しか言わねぇ奴等に、一喝してやろうと付いてきたが.... ありゃあ子供だ。男なら鞭だが、子供には飴が良かろうさ」


 ニッカリ笑う老人は、次の瞬間、真顔で百香を見据えた。その炯眼な眼差しは、幾多もの困難を乗り越えた人間特有の鋭利な光を宿している。


 少し、お父様に似てる?


 そんな他愛ない事を考えていた百香が椅子から立ち上がると、老人は片手を出して、百香を見つめた。


「子弟を導くは先人の務め。老骨なれど、幾ばくかの御所力は出来ると自負しております。些末でも構わんので、たまには相談してくだされ」


 差し出された右手を掴み、百香は、是非っと屈託ない笑顔を見せる。

 その笑顔は彼の人を彷彿とさせ、老人は再び相好を崩した。


とと様に似てらぁしゃるなぁ。あん人も、そんな笑顔でいつも周りを煙に巻いてらぁっしゃった。親子であらっしゃるなぁ」


 鳩が豆鉄砲を食らうような顔の百香。


 老人は悪戯が成功した子供みたいな顔で、カッカッカッと高笑いをした。


 彼は以前の大地震のおり、多大な助力で石動を陰から支えた人物である。

 石動とは別の次元で時代を駆け抜けた男。財界の重鎮。清水悟郎。

 大災害の混乱期に、元々の資産を運用し、海外で荒稼ぎをしまくった山師。

 海外では悪名高かれど、国内には多くの援助で名が知られている。

 蓋を開ければ、その荒稼ぎの影には、石動の指示や悪知恵があったのだが、それはまた別の話。


 突然現れた父の縁故に、再び百香は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、眼を丸くするのである。


 開拓歴元年夏。


 清水悟郎が百香の仲間になった。


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