第2話 胎動


「....ないわー」


 娘は、巨大なコンソールの前で呆然と立ち竦んだ。


 彼女は眼前に映し出された五つスクリーンに点滅する赤い光が、明らかに青を上回るのを理解したくない。

 青は生き延びた者がハッチを開けて出てきた印。赤は冷凍睡眠が解除されたにもかかわらず、生命活動が停止したままハッチが開けらていない印。


 収容された国民の約六割以上が、死亡していた。


「分かってたけど。....キツイわね」


 第三次世界大戦勃発の不穏な情勢を逸早く察知した父、石動は、国民全てを収容出来る五つの核シェルター建設と、放射能半減期まで人々を守る冷凍睡眠カプセルの開発に乗り出した。

 夢の技術であった冷凍睡眠は、すでに実現されており、石動の研究の一環でもあったため、火急的速やかに試験被験が行われる。


 しかしその過程で著しい不具合が発見されたのだ。


 老若男女による半年の試験運用の結果、老齢な者や持病あるいは重度の疾患を持つ者に深刻な異常が生じた。

 だが石動は、それらを黙殺する。大戦勃発のカウントダウンは、すでに始まっていた。止まっている時間はない。


 父は正しかったのだろう。


 各国の争いが激しさを増すなか、冷凍睡眠カプセルを設置した巨大核シェルターは完成した。


 予測出来た未来である。


 徐々に増える赤い光を見つめながら、彼女はガックリと項垂れ、長く細い溜め息を吐いた。

 そして勢い良く顔を上げると、コンソールに手早く指を滑らせる。

 赤い光とともに青い光も増えていく。しだいに大きくなる人々のざわめきを聞きながら、彼女はインカムを頭につけた。


「ガイア。出番よ。全てのシェルターに、私の声を届けてね」


 ヴン........と微かな起動音が鳴り、正面のスクリーンに、多くの人々が映し出される。

 不安げで、ときおり悲鳴や怒声も聞こえ、誰もがパニックを起こしているのが察せられた。

 ふぅっと軽く深呼吸し、百香は力強い口調で言葉を紡ぐ。


「おはようございます。こちらシェルター《仁》の仮設政府代行、前首相元主席秘書官、石動百香です」


 百香は父石動十流の意思を継ぐべく、五つのシェルターに呼びかけた。

 人々は混乱していたが、何が起きたのかは分かっている。しかし何がどうなったのかは分からない。

 次々にハッチを開けて起き上がる人々と、ハッチから出て来ず、蝋人形のように横たわる人々。

 見合わせる生還者らの顔には言い知れぬ恐怖が浮かび、誰もが怯えるなか、その清しい声は聞こえた。


 若く溌剌とした女性の声。


 今にも弾けそうに膨れ上がった緊張感のなか、人々は響く声にビクッと固まり、そしてシンと聞き入った。


 その声は語る。第三次世界大戦が勃発し、シェルターの冷凍睡眠カプセルに避難した事。多くを救うために不具合が確認されつつも現在のカプセルを使用し、多大な死者が出た事。

 丁寧な謝罪を受けつつ、それしか道がなかった事を人々は理解していた。

 あのままであれば、皆死に絶えていたのは想像に難くない。

 シェルターの中で放射能の脅威から逃れるには、これしか方法がなかった。

 人道に殉じても、徒に食糧や資源を浪費するだけだっただろう。


 彼女の真摯な言葉を理解しつつ、人々はこれからどうなるのか、百香の声を聞きながら不安を胸に過らせた。


 百香は、すでに地上が壊滅している事。日本各地に五つのシェルターがあり、それぞれ独立自治で運営される事。

 シェルターには、出来うる限りの物質と資源が持ち込まれおり、数年にわたり日常生活に支障はない事。 

 シェルターは日本各地に点在していて、気軽に行き来出来る距離ではないため、指針は各シェルターにいる代行が説明するが、基本は各シェルターごとの人々で協議して行って欲しい事


 百香は、人々が知りたい事、こちらが知って欲しい事を、過不足なく静かに伝える。


「以上です。力を合わせて協力し、新たな街を築いてください。生きて下さい。御願いします」


 そう締めくくり、彼女は通信を切り替えた。


 そして各シェルターを繋ぎ、通信回路を開く。途端にスクリーンが四分割で立ち上がり、各シェルターの代行が並んだ。

 見慣れた顔ぶれに、知らず百香の眦が和らいだ。


「ガイア。データをよろしく」


 四分割されたスクリーンの左右に、別のスクリーンが立ち上がる。

 右側には各種データが。左側には各シェルター周辺の映像が映し出されていた。


「残留放射能27%かぁ。思ったより悪いなぁ」


 一人ごちる百香に、右上のスクリーンから声がする。


「誤差の範囲でしょう。シェルター礼は31%です」


 白髪混じりな初老の男性は、シェルター《礼》の代行、榎政。厳つい顔つきで、どっしりとした貫禄の持ち主だ。


「防護服装着て開墾と種蒔きですねー。野菜から野草まで、種はton単位でありますよ~」


 軽い口調でちょっぴりメタボだけど、人好きする笑顔が何故か憎めない男性。シェルター《義》の代行、鈴木匠。


「地上に太陽光パネルも設置したいですわね。エネルギー不足は、早めに解決しておかないと」


 おっとりとした微笑みで、ときおり盛大なウッカリをやらかす女性。シェルター《信》代行、竹中恵。養殖だと噂の腹黒さん。


「胃が痛い....何で生きてるんだ、俺」


 俯いて顔をしかめる細身な男性。シェルター行、望月慧。慢性胃痛持ちなクセに、冷凍睡眠カプセルの試験を見事最長突破した強者。


 前首相元秘書官勢揃いである。


 誰も欠けなくて本当に良かった。百香は悪戯げに眼を細めた。


「まぁ、なるようにしかならないしねぇ。開墾してテロプランツ蒔きまくって土壌改良と自浄かな。並行してシェルター内で栽培、養鶏。生け簀でフナや鯉の養殖もしないとだし、やる事山積みよ」


 シニカルに微笑む百香と、溜め息混じりな元同僚達。望月にいたっては腹痛に呻き、屈折し過ぎてスクリーンからフェードアウト。


「まぁ....石動首相には御世話になりましたし。自分の人生設計と、恩返しもかねて、やれるだけやってみますわ」


 頬に手を当てて、やれやれと呟く竹中に、他の三人も不承不承頷いていた

 目の前には難題の山。見通しなど欠片もない。全ての恩恵を失い、ある物だけで新たな世界を造らなくてはならないのだ。

 百香は、凄まじい逆境の向かい風を感じていた。しかし髪をなぶるその風が心地良い。


 時代は繰り返す。百香の感じている向かい風は、かつての大地震で、父石動が感じた物と同じであった。


 日本各地に建設された五つのシェルターは、五行から仁義礼智信と漢字一文字がつけられ、その文字は、長く土地に残る事となる。


 新暦二十八年。生き延びた人々と、親子二代に渡る新世代物語が、今幕を上げた。





 新暦改め、開拓歴元年。


 今が新暦から何年たったのか、正確な年数が分からないため、一から歴史を始める事になった各シェルター。

 いずれ公募で名前は改めるとして、とりあえず開拓が始まった年。ゆえに開拓歴とした。


 安直な思考と名付けは父譲りな百香である。


 なにしろ、やる事は山積みだ。生き延びた人々の健康診断。まだ身体の感覚が怪しく、リハビリを兼ねてラジオ体操とシェルター内の整理や確認。その合間に、ちまちまとお掃除。

 内部事情を知る者の五割が死亡していたため、各部署の筆頭に関係者をおいて、残りは経験者を募集し穴を埋める。

 元々高齢化が進んで人口が落ち込んでいた日本だ。そこに六十才以上の殆どの老人が死亡したというこの状況。多く見積もってたとしてもシェルター内の人口は五百万前後ほどだろう。

 不幸中の幸いと言えなくもないが、実はこの中には多くの妊婦も含まれている。

 病気ではないといえ、胎児をかかえた身重な身体では冷凍睡眠を乗り越えることが出来なかったのだ。

 冷凍睡眠は危険なため、夫婦の営みを控え、期せずして妊娠した場合、中絶が推奨されていた。


 カプセルに入る際も、入る入らないの選択が残されている。


 高齢者や病人は、まず生き延びられない。

 それを正直に話し、シェルター内の居住区を終の住処にする事も出来た。

 しかし、誰も居住区に残る事は選ばなかった。


 ある老人は言う。


「ダメだったとして、文字通り眠るように逝けるんだろ? 皆に囲まれて逝けるなら、本望だよ」


 ある病気の少女は言う。


「生きてるだけの人生なんて嫌なの。奇跡のパーセンテージが残ってるなら、そっちに賭けるわ」


 人間は強かった。


 妊婦も同じで、子供と二人で無為に暮らし、置き去りにして先に逝くくらいなら奇跡にかけます。ダメでも二人で逝けます。.........と。


 子供を殺す選択肢は皆無だったようだ。


 そして全てが遥か高みに登った。本人自身の選択だからと、遺族の方は私達を全く責めなかった。


 確かにその通りだろう。しかし、私達には返す言葉もない。


 .....笑って下さい。誰よりも奇跡のパーセンテージを信じたかったのは私達だったんです。


 百香は鼻の奥がツンとなり、あわてて天井を見上げた。潤む視界を瞬きで乾かす。

 多くの遺体は、そのまま再び冷却処理され、地上の残留放射能が規定値に下がった後火葬する事になった。

 後十数年もすれば、防護服なしでも地上に出られるだろう。


「今年はプランツテロ。来年は野草かな。露草や朝顔も植えて....紫がピンクにならなきゃ、ほぼ安心だ」


 いずれ遺骨が埋葬される場所は、溢れる程の花で満たそう。自己満足なんだって分かってる。それでも何かせずにおれない。


 .....弱いなぁ。


 鼻をすする百香に想定外の爆弾が落とされるのは、今から2ヶ月後の話である。






 今日も百香は地上で開拓していた。無造作に掘り返し、ミントの種を蒔く。

 かれこれ数ヶ月。人海戦術の力押しで、人々はシェルター近辺の土壌改良に乗り出していた。

 フォークを突き刺し、テコの原理で土を返す。十五程の人が並んで後ろ歩きしつつ、ガシガシ土を返していく。

 その後、袋をかかえた人間が手を使って種をバラ蒔いていた。

 一組二十人程で、東西南北、百組以上が開墾作業に明け暮れている。人海戦術、数の暴力。ゴリゴリ押し押し、力押し。


 この2ヶ月で、かなりの土地が緑になった。


 機械? ある訳ナス。そんなスペース作るなら、物資詰め込むわ。ガソリンだって備蓄はあるけど、五台のみ用意された周辺探索用の強化ジープ、ガニメデXの燃料です。無駄遣い、イクナイ。


 故に全て人力。数で力押しって素敵ね。


 百香は一息つくと、少し高い位置から周囲を見渡した。

 シェルターの入り口から中心に、クローバー。その外周にミント。さらに外周にドクダミ。レンゲもチラホラ混ぜてある。

 シェルターの入り口からここらまで、眼に鮮やかな緑が広がっていた。


 テロリストども、半端ないな。


 乾きに強く匍匐性で大地を覆う植物たちは、保湿性も高く緑肥としても優秀だ。

 根を張って緑になっても、適当にガシガシ掘り返すと、さらに深く根を張っていく。


 虐めるほど元気になる植物。それが、テロプランツ。


 すでにミントも二周目。そろそろ一周目のドクダミが根を張り、土も柔らかくなってるだろう。引っくり返すか。


 そして、初めてシェルターから出た時を百香は思い出す。


 衝撃だった。地表全て、あます所なく瓦礫で埋め尽くされていたからだ。

 建物らしき物は何もなく、大小様々な瓦礫が大地にひしめき、所々にある緩かな高陵地帯が、実は風化したミサイル着弾跡だったとは、後日判明した驚きである。

 シェルターに装備された防護服は百万着。男性が中心となって、瓦礫を撤去した。


 バケツリレーならぬ瓦礫リレー。


 先ほど述べた高陵の深い所に、人海戦術で瓦礫を集め、でこぼこだった周辺をなるべく平坦になるよう百万人交代で、毎日頑張った。

 結果、五日ほどでシェルター周辺の瓦礫は撤去され、ちらほらと緑の繁る地表があらわれる。


 そう、大地は死んでいなかったのだ。


 瓦礫の覆いがむしろ湿度を保ったのだろう。本当に気持ちばかりではあるが、芝のようなスギナのような、極わずかな草が、まばらに大地に根を張っていた。

 安堵と感動の入り混じる複雑な気持ちを押さえつけ、百香は思う。


 明日から開墾だな。


 健気に頑張る緑を掘り返して、新たに種を蒔くのだ。ここまで生き延びた草達だ。根こそぎ引っくり返しても、また逞しく根を張るだろう。

 大戦という試練を乗り越え、慎ましく生きる緑に、再び盛大な試練を与えた百香だった。


 広がり始めた緑を眺めながら、ニマニマと百香の顔が緩む。そんな彼女の後ろから、けたたましい声が聞こえた。


「代行っ、八葉さんが倒れましたっ!」


 男は大きく手を振りながら、呼ぶように百香を手招きする。


 .....は?


 百香は眼を見開いたまま立ち上がった。慌てる男が、倒つまろびつ百香に駆け寄る。


「栽培エリアで....っ、苗を間引いてる途中で、いきなり崩れるように。今、医局ですっ」


 防護服の中が白くなるほど息を切らせ、男は百香にそう伝えた。


「母さんっ」


 まとわりつく防護服をモノともせずに、百香は顔面蒼白なままシェルターへ向かってダッシュした。

 防護服ごとシャワーで放射能を洗い流し、走るな危険の張り紙が見えた気がするが、眼の端にも止めず、百香は疾風の如く、医局の受付を無視して応急処置室に飛び込む。


「母さんっっ!」


 処置室のベッドで母八葉は、身体を起こしてドクターと話をしていた。

 気鬱げな顔で深刻そうな母の雰囲気に、百香は全身から血の気が下がる。

 ふと顔を上げた母の眼が、入り口の百香と重なるが、母は、つと視線を逸らし、顔を背けた。


「母さん....?」


 病気なの? 倒れるなんて、悪い病気なの?


 口を開かずとも分かる百香の表情。それに気づいたドクターが、肩を竦めながら苦笑した。


「大丈夫、おめでただよ」


 は?


「はああぁぁぁ??!!」


 百香の思考の斜め上をいく想定外の爆弾発言。


 絶叫が彼女の口を突く。母八葉は顔を背けたまま俯き、首から耳まで真っ赤にしていた。


 開拓歴元春(多分) 百香に弟妹が出来る(予定)


 大戦を乗り切ったシェルターは、束の間の平和を噛み締めていた。

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