第2話 母と魔女



 ゆるり、と唇が歪む

 赤いルージュをその口に引いて

 記憶の中の母は、いつも嗤っていた

 孤独に、嗤っていた……


【紅色の髪は魔女の証】


【蛙の子は蛙】


【私が悪魔だというのなら……】


【ねぇ、アリス】


【私の可愛いアリス】


 ――あなたが悪魔じゃない訳、無いわよね?



 ************************


 ……呆然と鏡の前に立ち尽くしていた。


 気付いたら、ローラが医者を連れて戻ってきていて。

 私は、また布団に逆戻りすることになった。


 確か、名前は……ロイだったか。


 よほど、真っ青な顔をしていたのだろうか。

 医者の、ロイが慌てたように私の表情を見て、ローラと一緒に心配そうな顔をする。


「アリス様、誘拐されたことは覚えていますか?」


 聞かれたことに、私はこくりと頷いた。


 ――10歳の、夏だった。


 その日、私は普段、滅多に外に出ることがない母に手を引かれ歩いていた。

 皇女という『立場上』同じように、頻繁に外に出られる生活を送っていなかった私は、母がどこへ行くのか、何をするのか、不安と、そうして期待に満ちていたと思う。


 外に出なくても、望む物なら、おおよそ何でも手に入った。

 ……母も、そうして私も。

 欲しいものがあるのならば、買って貰うことも出来た。


 でも、“外”は。

 私にとっては未知のもの。

 望んでも、なかなか行けるものではなかった。


 ましてや、母と出かけるなんて初めてで。

 そうだ、柄にもなく確かに私は浮かれていたのだ。


「母と、出かけたあと、買い物帰りに乗っていた馬車が事故に遭って」


「そうです……!」


「そのあと、誘拐されたんだ……ああ、そうだった、確か犯人は第二妃のテレーゼ様が皇后であるべきだと、私と、母に“魔女狩り”を」


「……っ!」


 事実を口に出しただけなのだが、痛ましい者を見る目で此方を見られて思わず口を閉じる。

 何か問題発言をしてしまったのだろうか。


 ……まぁ、実際、この件は、皇室とは関係ない貴族でも無い、ただの一般人が犯人なのだから、乾いた笑いしか漏れないな。


【どれほど、周囲から自分が嫌われていたのかが、これだけでも、客観的にみてとれる】


 薄らぼんやりと、事件の全容を思い出してから……。


「そのあとのことは……。その後のことは、覚えていらっしゃいますか?」


 と、問われて。

 ……嗚呼、と、納得した。


「……お母様……」


 そうだ、この事件で私は誘拐されて、そうして助かったけれど。

 ……母は、亡くなったのだ。


【私が悪魔だというのなら……】


【ねぇ、アリス】


【私の可愛いアリス】


【あなたが悪魔じゃ無い訳、ないわよね?】



 ぶわり、と鮮明に記憶が蘇る。

 お母様の、最期の言葉はまるで、呪詛みたいだった。


 洗っても、洗っても、消えない言霊みたいに。


 ――蛙の子は蛙


 とは、良く言ったものだな、と今は思う。


 もしも、今、この瞬間が、“私の過去”を再びなぞっているのなら。

 母の喪が明けるその前に、皇帝から“正式に”テレーゼ様を第二妃の立場から、皇后に繰り上げることが発表されたはず。

 私が起きた時には既に、それは決まっていて、その決定が覆ることはない。


 故に、今後、より一層、魔女狩りの勢力、貴族達の発言権が強まることは分かっている。


「申し訳ありませんっ、アリス様。手は尽くしましたが皇后様は、お亡くなりに……」


 私の呟きに、ロイがなんとも言いにくそうに言葉を並べた。

 一度、経験していることだから、私は予想以上に冷静だった。


「ありがとう」


 小さく述べたお礼はこの医者が私たちを偏見の目でみることなく。

 常に皇族としてこの事件のあとも、何かと気にかけてくれていた分の礼も入っている。

 ――それに、この事件が無かったとしても母は短命だっただろう。


 “私が、そうであったように”


「最期まで、母に手を尽くしてくれて」


 ……そして。


「テレーゼ様が、皇后になることが決まったのですね?」


 一言、口にすれば、ロイの顔のみならずローラの表情も一気に強ばった。

 言いにくいことを口にださせるのは憚られたので、自分から口にだした。


 ――父は、母と政略結婚だった。


【この世界では、紅色の髪を持つものは、特殊な能力を持つ魔女だとされた】


 誰がそう言いだしたのかは分からない。

 だけど、決まってそれが現れるのは女であり、彼女らは不思議な力を持っていた。

 あるときは


【遠い未来を先読みする能力】


 また、あるときは


【自分の周りを無重力に変える能力】


 それは人々によくない物をもたらす呪いだと、この世界では信じられている。

 実際、その力を持つ者達はみな、短命であり、身内にまで不幸が及ぶと言われていた。


 故に、紅色の髪を持つものは人々に忌避される存在である。

 能力を持とうが持たまいが、関係ない。


【紅色の髪を持つ者がこの世界の魔女であり、絶対的な悪なのだ】


 それは公爵家に生まれた母も例外ではなかった。

 だけど……。


 ――生まれる前から母は、5歳違いの、当時皇太子であった現皇帝の許嫁と、決まっていた。


【母は、魔女でありながら、皇后だった】


 生まれながらに悪を背負わされたものが、当然支持などされるはずもない。

 それでも、権力を持ち、それを振りかざすだけの力は母に与えられた。

 ……そして、私にも。


 考えれば、考えるほどに、その事実こそ。

 皇室の“間違いだったのだ”と今なら分かる。


「アリス様……」


 ローラが気遣うように私の事を見てくる。

 私はそれに大丈夫だと、ふわりと穏やかに笑ってみせた。


 ――なんとも、不思議な気分だった。


 自分自身でも不思議なほどに、物に対する執着が消えていた。


 殺される前までは、色んな物に執着していた。

 どれほど焦がれても、手に入らない物には、特に。


【自由に外を歩き回ること】


【誰にも縛られない人生】


 そして……。


【誰かから与えて貰える、無条件の愛】


 ……私には、どれも、何一つ。

 結局、最期まで、手に入らなかった物だった。


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