第13話「優くん、大好き!」

「アズミね、怖かったんだ。いくら優くんが名前通りに優しくても、アズミが実はレズビアンで、カノジョができたなんてことを急に打ち明けたら、気持ち悪がられたり、距離を置かれたりするんじゃないかって思ってね」


「そんなこと……」


「でも、何も心配いらなかったね。アズミの秘密を知っても優くんはちっとも変わらないんだもん。ちゃんとアズミと話してくれるし、アズミの作った焼きそばも食べてくれるし」


「だって、関係ないじゃん。アズミが誰のことを好きだろうと、僕はずっとアズミのことがす……」


 危ない! 危ない!! 危ない!!!


 何、サラッと告白しようとしてるんだよっ!!


 バカか!!


 ノリと勢いでアズミに告白してしまいそうになった僕はあわてて言葉を止めた。


「す?」


「す……すごく大事に思ってるんだよ。一生仲良くしたいと思っているぐらいに」


「ありがとう、優くんみたいな幼なじみがいてくれて、アズミは本当に幸せだよ」


 やれやれ、なんとかうまいことごまかせたか。


「優くん、大好き!」


 ぬおおおおおおおおおおおおおおうっ!!


 満面の笑みで、不意に放たれたアズミの言葉は、僕の心にクリティカルヒットした。


 そのあまりの痛みに耐えかねて、僕は席を立った。


「どうしたの? 優くん」


「ちょっとトイレに……」


「ああ……」


 僕がトイレに駆け込んでしたことと言えば、大きい方でも小さい方でもなく、便座に座って涙を流すことだった。


 その涙は、アズミに「大好き」と言われて素直に喜んでいる感情と、その「大好き」が僕の望んでいる「大好き」ではないことを哀しむ感情とが入り交じった、複雑なものだった。


 そんなものアズミの前では見せられない、「優くん、大好き!」のあと、急に僕が泣いてしまったら、アズミを戸惑わせてしまう。


 だからトイレに逃げ込んだ、三十六計逃げるにかず、いや、昨日から逃げてばっかりだな。


 さして広くもないアパートのトイレ、声を出して泣くとアズミにバレてしまうと思って、声を殺し泣いた。


 どっかのおっさんも言っていただろう? 男ってのは人前で涙を流してはいけないんだよ、どんなにつらくても顔は笑っていなくちゃいけないんだ。


 どんなに「古臭い」とか「時代遅れ」とか言われようとも、僕はそう思うのだから、仕方がない。


 しばらくして、ようやく涙が枯れ、ハンカチで顔を拭いてから、トイレを出た。


「優くん、大丈夫? お腹壊しちゃった?」


 長い時間、トイレに入っていたものだから、大きい方をしたと勘違いされているみたいだった。


「そんなことないよ、大丈夫、大丈夫」


 僕は泣いたという素振りなど、まったく見せず、再びテーブルの前の椅子に座った。


「焼きそば、本当においしかったよ、ごちそうさま、アズミ」


「どういたしまして」


 それ以上は、言葉が出てこなかった。


「じゃあアズミはそろそろ帰ろうかな」


「うん」


「またね、優くん」


「うん」


「これからもずっとアズミと仲良くしてね」


「もちろん!」


 僕の返事を聞いて笑顔になったアズミは、空になった皿を持って、自分の家に帰っていった。


 ひとりになって、改めて思う。


 告白できず、逃げ出したことによって、手作り焼きそばを恵んでもらえる関係を維持しているわけだが、その関係は僕がたった一言、間抜けなセリフを言っただけで、簡単に崩れ去ってしまう。


 たとえば「赤井優は、葵アズミのことを愛している」とかね。


 絶対言わないようにしよーうっと……付き合えないのなら、次善の策として、今の『家族のように仲のいい幼なじみ』の関係を維持する、そう『現状維持』 今の僕に思いつく策は、それ以外に何もなかった。


 そんなことより、僕にはやらなければいけないことがあったのを思い出し、自分の部屋に帰った。


 そう、ベッドに隠した、あの『レズビアン風俗コミックアンソロジー』を開封して、読むことだ。


 もう当分、誰も来ることはないはず、ようやく読める。


 僕はなぜか、棚からビゼーの『カルメン』のCDを取り出し、『第3幕への間奏曲』をリピート再生しながら『レズビアン風俗コミックアンソロジー』を開封し、ベッドにあお向けになって読み始めた。


 ハープとフルートの音色を聴きながら読んだその本は、僕の予想に反して漫画だった。


 そうか、『コミックアンソロジー』って漫画のことなのか、知らなかった。


 ひとりの作者ではなく、複数の作者の漫画作品が載っているのが『コミックアンソロジー』というものらしい。


 漫画として描かれていることによって、『レズビアン風俗』というのは、女の子同士でいやらしいことをするお店のことを指す言葉なのだということがはっきりわかった。


「えっ? うわー、そうか……そうだったのか……なるほどなるほど……うーん……ええー?」


 甘美なハープとフルートの音色をBGMに見る、女性ふたりの裸の絵と、性行為を描いた漫画は、やはりとても甘美なものだった。


 尊かった。


 僕は夢中で『レズビアン風俗コミックアンソロジー』を最初から最後まで読んでしまった、30分もかからなかった。


 最後まで読んで、また最初から読み直して、目を閉じて、昨日、アズミと桃井瑠美がしていた行為を想像した。


 なるほど、桃井瑠美が触っていたのも舐めていたのも、アズミの『アソコ』だったというわけか。


 アズミのおかげで、僕は少しだけ賢くなった。


 でも、そんな知識がいったいどこでなんの役に立つというのか?


 ひとつだけ確実に言えるのは……


 ムラムラする!!


 どうせママンはまだまだ帰ってこないし、もういいや、この漫画でしちゃお。


 僕はBGMをビゼーから、ドビュッシーの『牧神ぼくしんの午後への前奏曲』に変え、平日の昼間から……


 妖精ニンフを追いかけ回した挙句、逃げ切られ、葦笛あしぶえになられてしまった牧神パンと違って、僕の午後は、とても有意義なものだった。


 晴れて賢者に転職したあとのまどろみは、今日もとても心地よかった。


 僕はリピート再生によって流れてきた、『牧神の午後への前奏曲』冒頭のフルートの音色を聴きながら、穏やかな眠りについた。




 次章予告


 声を殺し泣いた数時間後に自慰行為に走るとか、意外と図太いな、赤井優。


 そんな図太い男が次章で迎えるのは高校の入学式、そこで担任の先生(美人)から告げられる衝撃の事実とは?


 そして、個性豊かで、クセがすごいクラスメートたち(ほぼ女子)の中で、赤井優は生き延びることができるのか?


 元女子高での赤井優のカースト順位はどうなる!?(いや、あらすじに答え書いてあるやないけ!!)


 第3章「東洋のルソー」


 お楽しみにね!


 もうすぐストックがなくなるけど、なんとか毎日更新は続けたいと思っております。

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