第7話 船出

「次の町まで行けばそこから船に乗って王都に出られるわ。ただし今日は野宿よ、覚悟してね」


 言葉を発するエリーの口からは白い息が湯気のように立ち昇る。ミーナは少し身震いをした後に頷き、ジェフは大きなあくびをしていた。

 こうして、ようやく白み始めた空の下、三人は次への町へと向けて歩き始めた。




 昨日の疲れが抜けきらないミーナとジェフは、顔色も悪く息を切らせながら必死にエリーの後を着いて行った。


「あのエリーさん、ちょっと休憩しませんか……」


 足を止め、膝に手をついてジェフが提案すると、エリーは大きくため息をつく。


「このペースじゃ三日掛かるわよ。それとも明日巻き返すのかしら?」


 二人が持つ荷物の三倍はあろうかという大きな背嚢を背負った彼女に負い目を感じながらも、ミーナは幼馴染に同調して休息を嘆願した。


「今日は早めに休みたいです、明日は頑張りますんで……」


 昨晩よく眠れなかったのか、少女の目の周りは青黒くクマが出来ていた。

 そんな二人を見て、エリーは少々わざとらしく、先ほどよりも大きくため息をついた。


「そこまで言うなら仕方ないわね。もう、適当な場所で野宿しましょう」


 日が傾きかけているとは言えども、まだ辺りははっきりと明るかったが、三人は適当な野営地を探すために街道を逸れた。




 大量の薪の傍らで小さな焚火が破裂音を響かせていた。ぐったりとうな垂れるように座り込むミーナとジェフ、そしてそれを尻目に地面に何かを撒くエリー。

 焚火と、三人が寝そべることが出来る程度の空間を残し、その周囲に青く煌めく小石のようなものを撒くと、エリーはそれに手をかざし、目を閉じる。

 すると円状に撒かれた小石は光り輝き、薄い水蒸気の膜が半球状に三人を包み込んだ。


「これは…?」


 不意に起こる見知らぬ術に、ぐったりとしていたミーナは顔をあげて尋ねる。


「そうね、言わば霧の天幕かしら? あらかじめ水を含ませた感応石に、ある種の術を掛ける事で、中に込められた水を霧状に張り巡らせられるの。もっともこれは火や冷気から身を守るための防御術を応用したものだけれどね」


 防御術――その言葉通り、吹き付ける風の勢いが和らいでいるのをミーナは感じた。

 それどころか、焚火の発する熱を辺りに留めているらしく、何とも心地の良い暖かさに少女は包まれていた。


「そうそう、この霧のカーテンには触れないでね、獣除けも兼ねているから。はた目には薄い霧でも、性質は雷雲の子供のようなものなの。ビリっと痺れるわよ」




 翌日、疲労困憊な少年少女の代わりに、見張りを明け方までしていたエリーは、目の下にうっすらとクマを作り、少々不機嫌そうな仕草を見せていた。

 けれども、すっかりと元気を取り戻した二人の足取りは昨日とは比べ物にならなかった。おかげで三人は二度目の野宿をすることなく、次の街へと辿り着くことが出来た。




 少女たちが住まうグレンフェル王国。その王国を東西に貫く大河は、肥沃な大地を生み出すと同時に、国の主要な物流網としても機能していた。

 そして、その大河のほとりに点在する町々には例外無く、様々な人や物、そして船が行き交っていた。


「ところであなた達、いくら持っているの?」


 定期船の乗り場に着く前にエリーは尋ねた。


「わたしはこれだけ」

「俺はこんだけです」


 二人の見せた革製の小袋の中身は少なく、エリーの所持金を全て足しても、とても三人分の船賃には及ばなかった。


「この残金ではとてもじゃないけど船を使うのは難しいわね」

「それじゃあ……ずっと歩きですか?」


 ミーナは困ったような顔でエリーを見つめたが、そんな少女の表情とは逆に少し得意げな顔つきで彼女は言葉を返す。


「大丈夫、伊達にふらふら旅をしてるわけじゃないのよ?」


 そう言うとエリーは金色の後ろ髪をなびかせて歩き出す。そして、その後を追うように、ミーナとジェフも乗り場を後にした。




 三人が向かった先、それは客船ではなく貨物船の集う桟橋だった。


「えっと……、密航でもするんですか?」

「馬鹿言わないで、合法的に乗せてもらうに決まっているでしょ」


 ジェフのくだらない質問に、エリーは少々うんざりした表情を浮かべる。


「どこか一艘くらいは人手が足りなくて困っている所があるはず。だからそんな船に雇ってもらうのよ」

「そんなに上手くいくもんかな?」

「あら、別に私は歩きでも構わないのよ?」


 疑念を挟むミーナに嫌味を飛ばすエリー。


「まあそう言われたら、エリーさんのやり方で行くしかないよね」

「二人ともそう思うなら、それらしき船を見つけることよ。言い争ってたり、うなだれてる人や言い争いをしている人たちが居る船が狙い目だから」


 促された二人は、彼女に言われた通りの船を探しに各々別の方向へと歩いて行った。




 しばらくの後、ジェフが駆け足でエリーの元へとやって来た。


「多分ですけど、あっちの船で給料が何だとか言い争ってました」

「ありがとう、お手柄ね。じゃあ私は先にそこに向かうから、ミーナちゃんを連れて来て」

「わかりました! すぐ連れてきます!」


 エリーに褒められたのが余程嬉しかったのか、少年は上ずった声で返事をすると、ミーナを呼びに再び足早に駆けていった。


 ミーナとジェフが到着すると、既に彼女は船長らしき男と甲板で話をしていた。


「エリーさん!」


 少女が声を掛けると、船上の二人が顔を向ける。


「あら、ちょうど良かったわ。もう話が纏まったところよ」

「嬢ちゃんたちがこのべっぴんさんの連れか。立ち話もなんだ、中に入ってくれよ」


 手招きされた二人は、揺りかごのように静かに揺れる船へと案内された。




 一通り仕事の説明を受け終わると、三人には食事が振舞われた。そして、食事が終わる頃に、明日の早朝に街を出る事が船長から告げられる。

 既に外は日が落ち、隣り合う船たちの中には灯りが灯るものもあった。食事を済ませたミーナたちは、早々に割り当てられた船室へと切り上げ、寝床の準備を整えた。


「ちっ、給料無しのタダ働きかよ」

「文句があるならジェフくんだけ別行動でも構わないのよ?」


 雨風がしのげる寝床と満足な食事があり、王都まで船賃が掛からないとなれば、給料が出ない事など問題ではなかった。


「良いじゃん、ジェフってホントわがままだね」

「俺はミーナと違って夜中は見張りなんだぞ! 他人事だと思いやがって!」


 けれども、割り振られた仕事に不満を垂れると、ジェフは寝床に潜り込み頭から毛布を被ってしまった。

 その様子を見ていた二人は顔を見合わせると、小さく肩をすくめた。




 翌朝、東の空が白むころに船は港を発った。次第に明るくなる空。やがて昇った朝日が川面を照らすと、舳先が割った水しぶきがきらきらと輝いた。


「んーっ、良い気持ち……」


 少女は大きくのびをすると、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。そんな様子でミーナが始まったばかりの船旅を満喫していると、不意に彼女を呼ぶ声が聞こえる。


「なあー! 手伝ってくれよー!」


 振り向くと、埃と蜘蛛の巣にまみれたジェフが口をへの字に、船倉から頭だけ出していた。


「ええーっ!? 掃除を頼まれたのはジェフでしょ? 一人でやりなよ!」

「そんなこと言うなよ、それにお前今暇だろ?」

「うーん、まあ暇だけどさ……」

「頼むよ~、整理して出たガラクタはくれるって船長が言ってたし、何か良い物有ったらやるからさ、なっ?」


 あまりにしつこい幼馴染の頼みに、少女は渋々だが手伝う事にした。




 薄暗い船倉で、二人は指示通りに荷物と不用品を整理した後、適当にだが埃や塵を掃除した。


「サンキュ、助かったよ」


 ジェフは軽く礼を言った後、少女に背を向けて、不用品をまとめた木箱の中を漁り始めた。


「どういたしまして。どう?何か良い物有りそう?」

「そうだな……」


 木箱の中を引っ掻き回す少年の傍らで、ミーナも目ぼしいものはないかと物色する。


「お、これなんかは修理すれば使えそうだぞ」


 ガラクタの中から引きずり出されたのは、随分とくたびれた革鎧だった。その腹部は裂け、胸部から上の状態も良いとは言えなかった。


「直さないと着れないよ?」

「任せておけよ、うちは道具を売るだけじゃなくて直したりもしてるの知ってるだろ?」

「そう言えばそうだね」


 革鎧の状態を確かめるジェフの横で、ミーナも何か役立ちそうなものはないかと中を物色する。

 何に使っていたのか分からないようなゴミ同然の、まさにガラクタを掻き分けていると、その中に奇妙な手触りの紐がついたYの字型の棒を見つけた。


「何だこれ? この紐、変な感触。引っ張ると伸び縮みするよ!」

「あー、それ? ゴム紐っていうんだ。最近見かけるようになった素材だよ」

「ふーん、で、この道具は何?」

 ゴム紐を引っ張っては戻しを繰り返すミーナ。ジェフはその様子を一瞥すると再び手にした鎧に目をやる。


「そりゃパチンコって言うんだよ。紐の戻る力で石とかを遠くに飛ばせるぜ」

「武器?」

「一応それで鳥とかを仕留められるらしいぞ」


 少年の言葉に少女は目を輝かせると、パチンコを彼の目の前に突き出した。


「使い方教えて! 掃除のお礼ってことで!」

「しゃーねーなぁ……、でもこれ壊れてるな。そのうち直してやるよ」

「ありがとー! 楽しみに待ってるよ!」


 ミーナはパチンコを手渡すと、ジェフとともに甲板へと軽い足取りで上がっていった。




 少女は傾き始めた日に照らされながら、ぼんやりと遠くを眺めていた。


「ミーナちゃん」


 不意に名を呼ばれ振り向くと、エリーが疲れた表情を浮かべて立っていた。


「あっ、エリーさん。仕事は終わりですか?」

「ええ、大分くたびれたわ」


 彼女は額に浮かんだ汗を右手で拭ってから、左手にもったカップに口をつけた。


「ところでエリーさん、お疲れのところ申し訳ないのですが、お願いがあります。わたしに術の稽古をつけて欲しいんです。わたしたちを助けてくれた時にエリーさんが使ったみたいな術を使えるようになりたいんです!」


 ミーナはそう言うと船の縁に近づき、船外に両手の平を向けた。


「ん~~~~~~っ!」


 眉間にしわを寄せ、念を込めるかのように唸る。


「んっ!!」


 パンっ。掛け声と共に、手を叩くような何とも弱々しい破裂音が響き渡り、落ち葉をくべた焚火から出るような白い煙が、うっすらと水上に広がり、そして直ぐに消えた。


「これでも一応、勉強中なんですけどね……はははは、はあ……」


 あまりにもお粗末なそれを曝け出すと、がっくりと肩を落としたミーナは自嘲的な乾いた笑い声をあげた。

 そんな彼女の様子を見て肩をすくめたエリーは、一度小さくため息をつくと少女に歩み寄る。


「これでも私、結構くたびれてるの。でも少しだけ教えてあげるわ」


 少女の華奢な肩に右手を掛けると、彼女は片目を閉じて微笑み掛けた。



「もっと意識を集中させて、どんな事象を発生させたいのか強くイメージするのよ」

「ん~~~~」


 突き出された少女の手の平が僅かずつだが輝き始める。


「もうちょっとよ、体の内にある力と意識を押し固めて手の中に蓄えて」


 ミーナは瞼を強く閉じ、険しい表情のまま更に意識を込め続ける。


「今よ!」


 輝きが強さを一段と増した瞬間、エリーの掛け声と共に少女はその大きな目を見開く。

 ポンっ。先ほどよりは幾分か強さを増した破裂音が響く。

 けれどもそれで終わりだった、少女が望むような閃光や爆炎は一切現れなかった。大きくため息をつくミーナ。その顎からは汗が滴る。


「もう今日はやめにしましょう。汗を拭かないと風邪をひくわ」


 既に太陽は沈みかけて、先ほどまでの暖かな陽気は水上を吹き抜ける寒風にかき消されていた。


「うう……」


 額の汗を拭うと肩を落とすミーナ。そんな彼女の肩に手をやったエリーは、少女の顔を見つめながら言葉を掛ける。


「大丈夫、そのうち出来るようになるわ。ただ、攻撃的な術だから身が危険にさらされるような場面に遭遇しないと、イメージを掴めないかもしれないわね」

「じゃあ、明日はもっと厳しくお願いします!」

「そうね、私に余裕があったら考えるわ。けれども、身を守るのは力だけとは限らないのよ」


 そう言うとエリーは船室へと歩みを進め、その後をミーナが追った。



 夕食も済み、停泊した船上にはかがり火が灯っていた。炎が川面を照らしていたが、その水面はまるで墨を流したかのように黒々として見えた。


「見張りは朝までなの?」

「ああ、これでも修理しながらのんびりやるよ。って、もう修理終わりそうなんだけどな」


 先ほど見つけた革鎧を持ちながらジェフは言った。


「何かあったらみんなを起こすんだよ」

「大丈夫、それくらいわかってるさ」


 心配そうな視線を向けるミーナに、ジェフは怪訝な表情を浮かべる。


「おまえらしくないじゃん、俺の事心配するなんて」

「何ていうか、嫌な予感がするんだよね」

「変なこと言うなよ、怖がらせようって魂胆か?」

「そんなんじゃないけど、とにかく気を付けてね」


 胸騒ぎの原因は分からなかったが、幼馴染に気を付けるようにと念を押した少女は寝床へと向かった。


「嫌な予感、ね……」


 腰に携えた長剣の柄に手をやったジェフは、一人呟いた。

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