第6話 紅の宝玉

「本当にありがとうございます。一体なんてお礼を言えばいいのか……」


 二人は先程食事をした店の客席で、椅子やソファにもたれ掛かっていた。

 従業員でもある、先ほど加勢に入った女性が店主に口を利いてくれたおかげで、しばらくの間、二人は安全に休息を取る事が出来た。


「別に構わないわ。酔っ払いが暴れるなんてよくある話だし……。まあ、あなた達みたいな子供が絡まれる、っていうのは珍しいかしら?」


 子供扱いされたのは気に食わないミーナだったが、自分たちの至らなさを少々反省してなのか、俯き気味に口を尖らせるだけだった。


「そう言えば名前も言ってなかったわね。私はエリー、エリー・シャリエよ」


 それを聞いた途端、ぐったりと椅子にもたれていたジェフが飛び上がるように身を起こした。


「エリーさんですか、美しいお名前ですね! 僕はジェフ、ジェフリー・ファロンと申します。ジェフと呼んでやってください」

「なんだ、元気そうじゃん。心配して損したよ」


 先程まで見せていた衰弱した様子を一変させたジェフを、一瞥したミーナは改めてエリーの方を向いて答える。


「わたしはミネルヴァ、ミネルヴァ・レンフィールドと言います。みんなにはミーナって呼ばれてます」

「あら、勇ましいお名前ね。よろしくミーナちゃんにジェフくん」


 エリーはその緑色の瞳で微笑むように優しく答えた。だが名前の事を褒めるようにとは言え、話題にされた為――この己の名が、遠い異国の女傑の名である事を知っていたがために――ミーナは少々苦笑いにも似た笑みを浮かべた。


「さて、自己紹介も済んだところで、どうしてあなた達みたいな子供がこんな時間に外出しているかを知りたいわね……」


 すると一転、エリーはその微笑みで隠し切れない、威圧にも似た雰囲気を醸し出した。これから二人を待つは尋問か。少女と少年は顔を見合わせた後に眉間に深い谷を刻み、そして、観念したようにため息をついた。




 今更嘘を付いても仕方あるまいと、二人はここまでの経緯について、その殆どを眼前の女性に述べた。もっとも、嘘を見破られた際にどうなるか解らない、と恐怖に近い感情が少女たちをそうさせたのだが。


「ふーん、なんとも短絡的というか無計画な話ね。悪いことは言わないから早く帰った方が良いと私は思うけど?」


 窮地を救ってくれた恩人に、ミーナは言葉を返すことが出来なかった。唯一、少女に出来たのはそのこげ茶の大きな瞳を、きょろきょろとあちらこちらに忙しなく動かす事だけだった。


「それにあなた達の学校の蔵書は、質も量も国立図書館と大差ないと思うのだけれども、どうかしら? 正直、あなた達の話は半分くらいしか信じられないわ。今日は私の部屋に泊めてあげるから、明日の朝一にここを出て家に帰りなさい」

「うう…わかりました…」


 先ほど程度のいざこざも切り抜けられず、説教をされたミーナは反論することも無くすっかり肩を落とした。けれども、ジェフはエリーの部屋に泊まれることが余程嬉しいのか、目をまん丸に輝かせて満面の笑みを浮かべていた。




「狭いけどどうぞ、荷物は適当に置いて」


 二人が案内されたのは長期滞在者向けの宿だった。


「エリーさんってこの町の人じゃないんですか?」

「ええ、路銀稼ぎにさっきの店でしばらく世話になっていたのよ。まあ明日この町を発つんだけどね」


 少女は促されるままに荷物を置き、革製の重たい外套を無造作にその上に乗せる。そんな彼女の質問に、自身も上着を脱ぎながら、エリーは答えた。


「次はどこに向かうんですか?」


 すっかり身軽になったミーナは、問いを続けながら粗末な椅子に腰掛けた。


「そうね、どこに行こうかしら?」


 はぐらかすかのように、問いを問いで答えたエリーは、座った少女の向かいに置かれたベッドに腰を下ろす。疲れた表情を浮かべ、豊かな金色の髪を留める結び紐を解き去る。

 すると、彼女の言葉に反応したジェフが、名案を思い付いたと言わんばかりに手を叩くと、こう言った。


「じゃあ僕らと一緒に王都まで行きませんか!?」


 張り上げた声が部屋に響くと、エリーは眉をひそめ、ミーナは人差し指を唇の前に立てた。

「おっと失礼、でも名案だと思うんです。エリーさんみたいに頼れる人と一緒なら僕らも心強いですし」

「あなた達には利があっても、私に何か利があるのかしら? それにさっきも言ったように、私はあなた達に帰る事を勧めるわ」


 あまりに突拍子もない提案に、ため息を交じりに返答したエリーは、枕もとの台に置いてあった瓶の中身を小さなグラスに注いだ。

 すると、すっかり言い負かされたジェフはそれ以上何を言うわけでも無く、口を尖らせたまま、少ししょげたように上着を脱いだ。


「あら、何か落としたわよ?」


 その時だった。不注意に上着を脱いだジェフ、その懐に入れていた、黄金と鮮血の如き深紅の宝玉の奢られたブローチが、エリーの足元に転がり落ちた。

 そして、エリーはそれを何の気なしに拾いあげた――それはあまりにも不用意に。

 すると、彼女の顔色は一瞬で青ざめ、目を大きく見開くと、数秒と経たずに手にしたブローチを乱暴に、それを忌諱するかのように放り投げた。


「あっ、ちょっと!」


 流石のジェフも、折角のお宝を粗末に扱われ苛立ちを感じたのか、エリーに抗議の視線を向ける。

 けれども、その視線の先にいるエリーの様子は明らかにおかしく、彼女の額には汗が浮かび、先程までは薄紅色をしていた唇は青ざめ、その間から見える歯をカチカチと鳴らしながら怯えるように震えていた。


「ど、どうしたんですか?」


 ミーナが心配そうに声を掛けると、敵意にも似た感情を滲ませた表情で、エリーは二人を睨みつけた。


「どうしたのかって……、一体そんなもの、どこで手に入れたのよ……」




 ミーナとジェフ、そしてエリーは小さなテーブルを囲うように座っていた。そして、そのテーブルには、ブローチと例の本が置かれていた。

 先ほどの形相は消えたものの、エリーの顔には未だ警戒心が滲んでいた。


「これって……、そんなに恐ろしい物なんですか?」


 しばし沈黙が包む中、それを破ったのはミーナ。少女はエリーの顔色を窺うように恐る恐る尋ねる。


「そう、これは恐ろしい物。少しでも術に心得のある人間ならばこれの恐ろしさが分かるはずよ」


 そう言うと手にしたグラスをテーブルに置き、視線をブローチに落とした。ミーナとジェフは困惑したように顔を見合わせ、再び沈黙が訪れた。音も無く光るランプ、その傍では鎧戸が寒風に煽られ、ガタガタと鳴った。

 だが、意を決したかのように、ミーナは再度この沈黙を破る。


「わたしも術士の端くれです。このブローチが恐ろしさを教えてくれませんか?」

「本当に知りたい? 別に生命に危害が加わるわけじゃないから教えてあげるわ」


 眉間にしわを寄せ、警戒したような表情でエリーはミーナを見つめた。数秒、緑色の瞳と、こげ茶の瞳が、その互いを映しあう。

 そして、エリーは小さくため息をつくと、その視線をブローチに落とす。


「このブローチを持って、少し意識をこの宝玉に向けてみなさい。すぐに分かるわ、というか一度もこれを手に持ってないの?」

「はい、ジェフが触らせてくれなかったので……」


 横目でジェフを見るミーナだが、少年は何ともとぼけた表情で明後日の方を向いていた。


「まあいいわ、覚悟はすることね。今日は良く眠れなくても私は責任を取らないから」


 エリーのはぐらかすような言い方にミーナは一抹の不安を覚えた。けれど、それ以上の好奇心が少女を突き動かした。

 そして、小さく息を吐くと目を静かに閉じ、おもむろにそれを掴み上げる。金属のひんやりした感触と、見た目以上の質量が彼女の手に伝わる。

 そして刹那、ミーナの耳元に誰かの声――それが本当に耳を通じて聞こえているかは分からないが――が聞こえた。


「おね……がい……、た……す……けて……、ここ……は……いや」


 今、同室する二人のものではおよそない、幼い少女の小さくかすれる声が、けれども確実にミーナには聞いて取れた。

 更には、目を閉じているにも関わらず、誰かの姿が見える、というよりも脳裏に浮かび上がった。


「えっ!?」


 思わず少女はその手からはブローチを滑り落とす。木の湿った音が響くと、悪夢から覚めたかのように、不安げにその大きな目を開けた。


「どう? 何を感じたのかしら?」

「女の子の苦しそうな声が聞こえて、それから、多分その女の子の姿見えたような……」


 答えながら、不安を払しょくしようとミーナは胸に手をやった。激しく脈打つ心臓の鼓動が手に伝わる。


「そう、良かったわね、その程度で」


 意味深な台詞の後、エリーはグラスの中身を一気に飲み干した。そして、今までで見せた表情の中でも特に厳しい顔を作ると、意を決したかのように、こう告げた。


「私にはね、その女の子の最期が見えたの」


 とても冗談には聞こえない言葉に、二人の顔からは血の気がみるみると引いて行った。




 三度、沈黙が三人を包み覆った。無言でエリーはグラスに瓶の中身を注ぐと、先程と同じようにそれを一気に飲み干した。

 そして、袖で口元を乱暴に拭うと、思いつめたような、はたまた覚悟を決めたような眼差しを少年少女に向けた。


「これが何か知りたいのよね?いいわ、私の推測の範囲内でしかない、と断りを入れた上で教えてあげるわ」


 彼女は今一度、真一文字に唇を結んだまま、瓶の中身をグラスに注いだ。その神妙な面持ちを前にしたミーナとジェフは、椅子に深く腰掛け姿勢を正した。


「結論から言うわ、このブローチにはめ込まれた宝石は感応石の一種で、

 これの中には恐らく……私たちが見た少女の魂が入っているわ」

「たま……しい……」


 驚愕の推測を聞かされたミーナは、唖然とした表情でエリーの言葉を繰り返した。

 すると緊張に耐えられなくなったのか、少年は立ち上がると、先程までの不真面目な様子を微塵も感じさせない真剣な面持ちで、堰を切ったかのように口を開いた。


「待ってください! 術には疎い俺ですが、一応道具屋の息子なんで言わせてください。感応石は人間の術力に反応して望む事象を引き起こすか、余程の物でも、それこそ王侯貴族の術士が持つような物であっても、その術力を一時的に蓄えるか、増幅する程度のものでしょう? 魂そのものを込めるなんて……そんな事も物も、聞いたことありませんよ!」

「そう、一般的な感応石に対して既知の術を使っても、ジェフくんの言うとおりにしかならないわ……。既知の術ならばね……」


 エリーは遠い目をしてグラスに口をつけた。今度は中身を一気には飲み干さず、一口それを含み、その苦みを味わいながら、ゆっくりと飲み下す。


「術の力とはすなわち魂の力。肉体を動かし維持するための魂の力を、僅かに体外へと放出し術者の望んだ事象を引き起こすのが術。という事は、術を扱うとは魂を扱うことに似るわ。そこで昔、いつの頃かはわからないけれども、魂そのものを扱おうとした者たちが居たと言われるの」

「でも、そんな事許されるわけ……」


 少女の言葉に被せる様にエリーは言葉を続けた。


「そう、許されない。でも、もしそんな事が出来たなら、人類の術の歴史がひっくり返るでしょうね。実際にそう言った術……と呼ぶのもおこがましいけれども、そういったものを研究していた集団が在ったとも、はたまた今現在も在るとも言われているのよ」

「で、研究結果がここにあるこれって事ですか?」


 ジェフはおもむろにテーブル上のブローチに目をやった。先日まで高価な深紅の宝石、としか見ていなかったそれは、今ではまるで鮮血を固めて作られた、呪われた石の様に思われた。


「そういう事になるのかしら。でも、それ以上はあなた達の言う通り、王都にまで出て調べなければわからないかもしれないわね」


 手にしたグラスをテーブルに置いたエリーは、ゆっくりと窓辺へ歩み寄った。カーテンを開け放つと、真っ白な月の光が彼女の顔を照らす。


「さっき、私に一緒に旅をしないかって言ったわね。その誘い、是非とも乗らせてもらうわ」


 一見するとエリーは不敵な笑みを浮かべていたように見えたが、その目元には一分の隙も無かった。


「本当ですか!ありがとうございます!早くこんなおっかない物はなんとかしましょう!」


 だが、ジェフにはそんなエリーの腹の内など知る由も無く、玩具をねだる幼児がその願いを叶えてもらったかのような、能天気な笑顔を浮かべていた。

 そしてその一方では、この先に待ち受ける何かを感じてか、ミーナも不自然に作った笑みをただ浮かべるだけであった。

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