ミーナの冒険 紅の宝玉
きょん
第1話 廃城
石造り壁に囲われたひどく息苦しく、ひどく静かな場所だった。
そこに置かれた祭壇のような台の上には、雪のように白い肌の幼い少女が薄布だけを纏い、横たわる。
「お父様……」
血の気の、生気の感じられない薄紫色の唇が僅かに動く。傍に立つ初老の男は、その大きな手で少女の頭を慈しむかの様に撫でると、もう一方の手にした物を彼女の胸元に置く。置かれたそれは、紺碧色の宝石を繊細な金細工にしつらえたブローチだった。
少女を見つめていた男の眼からは、一筋の涙が流れ落ちる。彼が大きく息を吐き、ゆっくりと瞼を閉じると、少女の体は眩いばかりの光が包みこまれた。
僅かな灯りしかなかったその場所は一瞬、まるで昼間の様に明るくなった。だが、すぐにその光は消えた。
輝きの後には少女の姿は忽然と消え、ブローチだけが残されていた。男はそれを手に取り、懐に大切そうに仕舞うと、その場を後にした。
鉄扉が閉まる重々しい音が一度響き、そこには再び静寂が訪れた。
紅く色付いた森を一人の少女が駆け足で通り抜けて行く。落葉を踏み締める乾いた音と、彼女の荒い息遣いが木々の合間に響く。
走り続けること幾ばく、そこには現れたのは朽ち果てた城門、そしてその先には主を失った廃城が佇んでいた。少女はいったん足を止めると、空を見上げた。
茜色に染まり始めた空、晩秋の太陽が足早に地平線の彼方へと向かう最中、辺りを闇が包むまで数刻も無かった。
だが、少女は再び歩みを進めると誰も居ないであろう城内へと足を踏み入れていった。
大きな明かり取りの窓から差し込む夕焼けが、色褪せた絨毯に僅かにだがかつての鮮やかさを蘇らせた。
その昔は華やかであったであろう大広間の中央を、少女は早歩きで抜けていく。埃の積もった大理石の円卓や、煌めきを失った燭台に、朽ちた絵画の数々。それらには目もくれずに城の奥へと向かう。
そして、大広間を抜けると現れたのは冷たい秋風の吹き込む廊下。更にそこを過ぎれば徐々に質素になる城内。壁面は石造りの質実剛健な物となり、年季の入った木製の扉が彼女を待ち構える。
古びたノブに手を掛けるとそれは軋み音を響かせながら開き、石造りのらせん階段が姿を見せる。
暗い階段、それを目にした少女は、おもむろに肩掛けの鞄の中からこぶしより一回り小さい歪な形の石を取り出した。
変哲もないただの石ころのようだった。だがそれを少女は手のひらに乗せ、瞼を閉じ、静かに念じるかのような仕草を取ると、石はあたかも内部に火が灯ったかのように光を放ち始めた。
その光だけを頼りに、彼女は暗い階段を上って行った。
上りきった先、そこは見張り塔の頂上のように周囲全方向を見渡せるような形状をしていた。
木枯らしが容赦なく吹き付け、少女は思わず冷たくなった耳に手をやる。
先ほどまで茜色だった空も既に紺色、さらに藍色に変わり始め、その藍色の空には星が瞬き始めていた。
そんな中、何をするでもなく西の空を眺める少女。眼下に広がるは先ほどまでに通り抜けた城と、そこを取り囲むような広大な森。
そして、その更に先にある地平線の彼方に去っていく夕日を見送っていた。
「帰ろ……」
何をしたわけでも無かったが、彼女は小さく呟くとその場を後にした。
再度、狭い階段をゆっくりと降りていくその時だった。少女は石段から足を踏み外したのか体勢を崩すと、手に持っていた輝く石を落としてしまった。
乾いた音を立てながら、あっという間に階下へと転がっていく石。彼女は小さくため息をつき暗闇の中を手探りに進んでいくと、やがて階下の扉にたどり着いた。
けれども、石は見当たらない。すでに光を失い、どこか物陰にでも隠れてしまったのか。
そこで少女はおもむろに人差し指を立てると目を閉じ、一度大きく深呼吸をした。
「んっ!」
力をこめるような声と共に少女の指先に小さな火球が灯り、辺りを微弱ながらも照らし出す。
弱々しい灯りを頼りに辺りを見回すと、壁際に人の頭ほどの大きさの穴を見つけ、そこを覗き込んだ。するとそこには微弱ながら光を放つ石の姿が見えた。
「部屋……なの?」
覗き込んだ先は不自然な広がりを見せ、それは通路や部屋に準ずる空間のように見えた。
「なんだろ、もうちょっと良く見えれば…」
好奇心に駆られた少女は手を穴に入れると、指先に灯った明かりを頼りに階下に広がるそこを覗き込む。
僅かな光に照らされるのは石壁、そして――
「鉄の扉…?」
何かがある事だけは分かった。だが、それ以上は分からないと悟った少女は立ち上がると指先に込めた力を抜いた。
炎は消え、辺りは再び暗闇と静寂に覆われた。
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