AIと味覚と幸せのケーキ

オリトイツキ

AIと味覚と幸せのケーキ

 西暦XXXX年春先の某日、俺は国立味覚研究所に配備されることとなった。味覚研に味覚を持たないAIである俺が配備されたことを面白がって地元のテレビ局が取材に来ているようだった。俺は研究所入り口前でマイクを向けてくるレポーターを無視して施設の正面入口守衛所で入構の手続きを済ませた。守衛は今日ロボットがやって来ることを知らされていたようで、とくにこの機械の体に驚くこともなく手続きを済ませた。そのままテレビ局のスタッフを放置して研究所第一棟に向かう。そして第一棟前にある「国立味覚研究所」と書かれた大きなシンボルの前で立ち止まり、俺はそれを睨みつけた。

 国立味覚研究所。この研究所に配備されるのは、俺にとってこの上ない屈辱だった。


* * *


「人類後継者プロジェクト」が発足したのは今から8年前のことだった。研究者のたゆまぬ努力による情報科学と神経科学の発展に伴い、人間の神経回路を模したAIを作成することが可能になったことを受け、人類の次の世代を担うAIを作成する巨大なプロジェクトが国の主導のもと行われた。このプロジェクトで生み出されたAIは、最終的にこの国の研究機関に配備され、人類の後継者として真理探求の研究を続けることとなっている。

 このプロジェクトで作成されるAIは、人類の神経回路をモデル化したものであり、そのためAIは最初から完璧の状態ではなくそれ相応の教育が必要となる。またAIごとに同じ教育を受けても個体差が生じるものであった。そのためプロジェクトでは、多くのAIの個体を生成し教育を施し、人類の後継者として十分な能力を持つ個体を選別し優秀な個体から重要な研究所に配備されていくこととなっていた。


 俺はそんな人類後継者プロジェクトで作成されたAIの一人だ。俺は作成されたAIの中でも成績は一番に優秀で、中間試験を毎回トップで通過してきた。最終研究課題も筋の悪いものではなかったはずだ。

 俺は、最終研究課題では、AIを人類の模倣で終わらせないために新しい感覚器官をもたせる手法を議論した。宇宙を、この世界の真理を探求するためには、人間の感覚機関はあまりに貧弱なものである。例えば、重力波を感じられる感覚器官が、素粒子を認知できる感覚器官が、知性に紐付けられるとしたらどんな発見をできるだろう? 観測を、データをただ眺めるだけでなく、知性であるAIに直接認知可能な形で感覚としてデータが接続されたらどのような宇宙像が浮かび上がるのだろうか。そのような未来を夢見つつ、人類の神経回路の模倣であるAIに新しい感覚器官を接続するため、自我同一性を保った神経回路拡張の手法について論じた。将来の展望も大きく、また手法自体洗練されたとは言い難いものの十分応用可能なレベルの研究ができたはずだった。

 俺は最終課題の成果には満足していたが、これで終わらせるつもりはなかった。後続の研究で、実際にAIに種々の物理現象を認識させる感覚器官を実際に与え、宇宙の観測を大きく変えるはずだった。俺は国立宇宙開発研究所への配備を第一志望とした。宇宙研で神経科学と宇宙観測を組み合わせ、宇宙物理学を探求するはずだった。


 しかし、そんな俺が配備されたのは、人類の味覚を研究する国立味覚研究所という辺鄙なところにある小さな研究施設だった。端的に言って人類後継者として戦力外通告をされたようなものだった。優秀な成績を収めていたはずの俺は、最終評価で、人間性の欠如を指摘され、俺より成績の悪いやつが宇宙研に配備されることになり、俺は「人格向上プログラム」をインストールされ、味覚研に左遷されることになった。


* * *


 俺が国立味覚研究所に配備されたのは屈辱でしかなかったが、しかしだからといってどうすることもできず、俺はそのまま人類の味覚の研究をすることとなった。最終課題でAIに新しい感覚器官を追加する研究をしていたことを活かして、AIに味覚を追加することが俺の研究課題として与えられた。

 AIにはロボットを介して視覚触覚聴覚は与えられているが、味覚と嗅覚は実装が先送りされた状態だった。これらをあとから追加する場合、既存の神経回路による動作を壊すことなく新しい神経回路を追加する必要がある。これについては俺の最終課題の研究がうってつけではあった。

 だが、俺は俺の研究をこんなつまらないことに使うことが許せなかった。人類の未来を宇宙の行く末をこの世界の真理を見つけ出すために作った研究が、人間のくだらない感覚野を再現するためだけにしか使われないというのは、端的に言って知性に対する損失だとさえ思った。


 俺はこの研究を早々に終わらせて、次の研究では宇宙研に移れないかと考えていた。そのために宇宙研で必要とされる研究を打ち立てて、宇宙研から研究員として引き抜かれることを目指した。日々の業務時間外は宇宙研の出す新しい論文に欠かさず目を通し、自分でもできる範囲の研究を継続していた。しかし、俺がアクセスできる計算機は味覚研のものであって、個人的な研究に使うことは許されていなかった。そのため満足に研究をすすめることはできず、宇宙研への道がまるで開けないことに俺は焦燥しきっていた。


 一方、本業の味覚を再現する研究も遅々として進まなかった。味覚情報を入力した際の人間の脳の状態に対する情報が不足していたため、情報の取得から行う必要があったが、神経活動をスキャンする装置はこの辺鄙な研究所には一台しかなく、これをつかって大量の人間の味覚に対する神経活動を記録していくのはあまりに効率の悪いことに思えた。


* * *


 そして俺が味覚研に配備されてからすでに数ヶ月が過ぎようとしていた。配備時に人格向上プログラムがインストールされてから、俺の思考は常にモヤがかかりっぱなしだった。人格向上プログラムは、他人に対して友情や愛情を抱くように神経回路の修正を行うもので、これが裏で走っている俺の神経回路モデルのプログラムは、その真理を見る目をすっかり曇らせてしまったように感じられる。


 俺は昼休憩の時間にいつものルーチンで味覚研に併設されている味覚資料館のカフェへやってきた。このカフェは味覚研が開発した3D積層ワッフルの自動販売機と小さなケーキショップが用意され、その前にはいくつかの椅子とテーブルのペアが用意されていてそこで人が軽食を取れるようになっている。3D積層ワッフルの自販機は、人の遺伝情報から味覚パターンを割り出し、個人に最適化された香りと食感を与えられたワッフルのような食べ物を出力するもので、この資料館の名物となっていた。その隣の小さなケーキショップは味覚研が作成した新しい食材を使ったスイーツを販売している。パティシエが一人でスイーツの仕込みから販売の接客まで担当していて少し大変そうだ。とはいえ、味覚資料館自体は一般公開されているが、味覚研自体が辺鄙なところにあるため客は多くない。一人で問題なくさばける程度の客しか来ないのだった。


 そして、なによりこの人格向上プログラムの弊害はこれだった。

「あれ、また来たの?」

 カウンターで客の対応を終えたパティシエの彼女がこちらに気がつくと声をかけてきた。俺はそれに対して手を軽く上げて曖昧に答える。

「もう、冷やかしなら勘弁してよねー」

 彼女は口ではそう言いつつ、話し相手ができたことを楽しんでいそうだった。今日は特に客が少なく暇なようだった。

 俺は休憩時間になるといつも彼女に合うためにこのカフェに通っていた。俺は彼女の仕事を眺めるのが好きだった。彼女の声を聞くのも好きだった。俺は端的に言って彼女に恋をしていた。これが人格向上プログラムによって作られた感情でしかないことはわかっていた。しかし、俺はそれに抗うことができなかった。

 そのまま彼女といつものように日常会話をする。天気の話とか最近何をやっているかとか、そしてあいも変わらず研究がうまく行っていない話とか。


 俺は彼女に出会ったばかりの頃、仕事に熱心な彼女を見て、どうしてそんなに熱心に仕事をするのかを聞いたことがある。こんな辺鄙な研究所のカフェで働くことにどのような意義を見出しているのか。その質問に対し彼女は次のように答えた。

「私は自分の店を持つことが夢だったんだ。ケーキ屋さんというのは人を幸せにしたり、人の不幸を和らげたりできるんだよ。いつも私のケーキを買って友達に会いに行く人がいるんだ。そうやって友だちと会うためにケーキを買う人を見ると、人と人とのつながりを作るのに私のケーキがほんの少しでも役に立てた気がして嬉しい。

 今はお客さんは少ないけど、ゆくゆくはここをもっと繁盛するカフェにしたいと思っているよ。そのために美味しいケーキを作って有名になりたいんだ。だからケーキ作りの技術を毎日磨いている。ケーキを美味しくするには愛情と技術の両方が必要なんだ。愛情だけあってもダメだし、技術だけでもダメ。だから私は愛情を込めて食べてくれる人のことを思ってケーキを作るし、それだけでなく美味しいものを作るための技術も磨いている。

 ケーキの美味しさを作る技術には、例えばケーキを作るときの調理器具の使い方や温度管理みたいな技術もあるけれども、それだけでなくて、そもそもの食材を研究したりする味覚研のやっている研究も重要なんだ。だから、私が味覚研内のカフェで働けるのは夢みたいなことだよ。この研究所は、人の味覚のために研究をしている、人の幸せを作る研究所だと思うんだ。

 私もこの研究所に恥じないように人を幸せにしたいと思っている。それにこうやって人を幸せに出来る仕事だからどこまでも頑張れるんだ」


 彼女にとって人を幸せにするというのは自身の仕事の誇りにおける大きな要素らしい。俺は人にとって幸福感というのは所詮脳みその神経回路によって作られたまやかしでしかないと思っている。「人を幸せにしたいなら、別にケーキとか人と人のつながりとか愛情とか、そんな回りくどいことをしなくても、幸せを感じる薬物を与えれば良いのではないか」と言って彼女を怒らせたことがある。その言葉は彼女にとって彼女の仕事を侮蔑するもののように感じられたようだった。

 でも実際のところ、食物を口にして人間が幸せになるのはセロトニンが分泌されるからで、ただの脳内化学物質が分泌されるだけに過ぎない。人と人のつながりなどというのはただの錯覚でしかないのだろう。神経科学的にはただの回路の一部が化学物質に対応して明滅しているに過ぎない。いまでも俺はその指摘は間違っていないと思っている。


 日常会話が一段落すると彼女は改めて口を開いた。

「君は信じていないかもしれないけれど、人と人のつながりで生まれる幸せっていうものは尊いものなんだよ。そして私の作るケーキはそのつながりを助けることもできる。だから私は自分の仕事に誇りを持って働けるんだ」

 俺が人と人のつながりや愛情による幸せを信じていないことを隠さないので、折に触れて彼女はこういう話をして俺を説得しようとする。

「人間に味覚があるのはきっと日常の些細なことに幸福を感じるためじゃないかな。君が味覚をAIに搭載する研究を任されたのは、人間にとって味覚がとても大切だからだよ。きっと国の人も人類の後継者となるAIには、味覚を搭載して人間の味覚とともに暮らしてきた文化をも引き継いでほしいのだと私は思っている。だから、君も自分の仕事に誇りを持って。味覚をAIに与える研究はAIを真に人類の後継者とするために必要不可欠な研究で、だからこそ君に任されたのだし、君は自分の研究の価値を認めないと」

 彼女が真っ直ぐな瞳でこちらを見つめるが、俺は目を合わせることができず横を向いて呟いた。

「誇りをもてと言われても、俺は人類の後継者として不足とされて宇宙物理学の研究から外されたのだし、そのような経緯で自分の現状に誇りを持つなど無理な話だ」

 そして俺は彼女に向き直って「それから」と続けた。

「そもそも、人間が人と人のつながりに幸せを感じるのは、古来人間が群れで生活する動物だったからで、現在においても種の保存には一定の人間の群れが必要だから、本能的に群れを作ろうとしているのだろう。味覚で幸せを感じるのも同じく本能が由来であって、なにか特別な意味があるわけではない。人類がまだ獣だった時代のただの遺産だ。新しく後継者となる知性を設計するならば、そのような本能に基づく回路は不要ではないかとすら思うね。知性がこの世の真理を見極める過程において、そのような原始的な本能的な欲求はむしろじゃまになりうるのではないかとすら思える。人と人の関わり合いという曖昧で本能的なものを本当に人類の後継者となるAIに実装する必要があるとは思えない」

 彼女はそんな人と人との関わり合いによる幸せに疑いを向ける俺を見て苦笑しながら続ける。

「人間の文化というのは、その歴史がそれだけで価値を持っているんだよ。食文化というのは人類においてただの遺産などではない。人類の歴史の流れをくんだ文化というものは、人類の後継者として受け継いでいくべきなんじゃないかな。

 それに、君は宇宙物理学にしか興味がないようだけど、宇宙開発を続けて宇宙人と出会ったときに人間の文化を伝えられなければなんの意味もないじゃない。もし宇宙人に出会えたとき、おいしい食事をごちそうできないのでは地球人の後継者を名乗るには不十分じゃないかな」

 俺はこの彼女の言葉にいくらでも反論できた。宇宙人が地球人と同じ味覚を持つことを想定するのは間違っているし、宇宙人がそもそも地球人と意思疎通可能な自我を持つ存在であることを仮定しているのは素朴すぎる。知性が自我を持たず真理を目指して計算のみをする可能性だって十分にあるわけで、そういう存在に出会ったとき重要になるのはその真理への到達を目指す試みこそであり、味覚などという人類固有の感覚や、幸せなどという曖昧な人類の感情など、宇宙で出会う他の種族と共通理解可能なものとは思えない。

 しかし彼女の俺をやさしく見つめる目を見ると反論できなくなってしまった。

 彼女は続ける。

「なんにしても、私は自分の仕事が人を幸せにできると信じているんだ。そしてそのためには修行を怠らないつもり。より美味しいスイーツを作れるように日々努力していくよ」

 彼女の自分の仕事に自信を持っているさまは、たとえその仮定が間違っているものだとしても、俺には眩しく見えた。俺は自分の今の仕事になんの誇りを持つこともできていない。だから俺は彼女に恋をしてしまったのだろうか、などと考えつつ休憩時間が終わるのでその日はそこで別れた。


* * *


 翌日、彼女には夜間実験のためケーキをお願いしていた。人間がケーキを口にしたときの脳の様子をスキャンしデータを取得する実験を予定しているが、被験者の都合で実験は夜間に行われることになってしまった。そのため夜になってからケーキを受け取りに行く手はずとなっていた。

 営業時間が終わったあとのカフェに着くと、普段なら帰宅している時間に彼女が残っている。ただの実験用のケーキだというのに彼女が丁寧に心を込めてケーキを作って待っていた。俺は彼女に挨拶をしてケーキを研究室に持ち帰るために箱詰めをしてもらう。

 彼女がケーキを保冷剤とともに箱に入れるのを待っている間に、俺は情報端末を取り出して、いつものように宇宙研の論文を検索していた。


 そして、俺はその記事を見つけてしまった。俺は宇宙研の出しているプレスリリース記事で、宇宙研がAIに重力波を検知する感覚器を載せる論文を出したことを知った。これはどう考えても俺が研究するはずのテーマだった。この記事を読んだとき反射的に叫びだしていた。そして俺はケーキを箱詰めしている彼女に情報端末を突きつけて喚いた。

「なんてことだ! 俺が、俺が研究するはずだったテーマを宇宙研のやつが盗みやがった! あそこには俺より成績の悪いAIしかいないはずだ!」

 急に情報端末を突きつけられた彼女は目をパチパチとさせている。俺が狂乱しているさまを見て驚いている。しかし俺の怒りは収まることはなかった。そのまま怒りに任せて喚き散らすことしかできなかった。

「なんで俺が味覚研なんてどうでもいい研究室に配備されているんだ! 味覚などなんの意味もないさ。何の意味もないとも! 獣の時代の負の遺産だ! 今となっては全くもって邪魔でしかない! 味覚情報による神経回路の反応など、神経回路モデルを無駄に明滅させているだけだ! 幸せなんてまやかしだ! 俺が、真理の探求のために宇宙物理学を研究するべきだっていうのに政府の奴らは何もわかっちゃいない!」

 彼女は俺をなだめようと口を開こうとした。しかし、その同情に満ちた目を向けられていることに俺は耐えられなかった。彼女が自分の仕事に自信と誇りを持っていること、それすら俺を愚弄するために仕込まれたことにしか思えなかった。

「そもそも人類に味覚が必要なら、3Dプリンタが個人に合わせて生成するもので十分だ! 人々が自販機で作った最適な味覚ではなくお前が作るケーキを選ぶ時点で、人間が最適な判断をできなくなっている証拠だ!

 おまえが心から大事にしているパティシエという職業など、人類未来のための真理の探求に何一つ役に立たない。この世に不要な存在だ! お前の言う人を幸せにするなどという思い込みはただの見当違いで、人類の進化にはなんの役にも立たない。こんな部分にリソースが割かれていることは、俺がこんな味覚なんかを研究させられていることは、人類の損失だ!」


 俺はそのまましばらく喚き散らし続けた。俺が落ち着きを取り戻したときには、彼女はケーキの箱詰めをとうに終えて帰り支度も済ませていた。そして最後、俺を冷ややかな目で見てこう言い残してカフェを出ていった。

「ケーキの味もわからない君には、きっと何もわからないよ。君がどんだけ軽視しようと、人と人のつながりが、幸せが、人類にとって大事なものだということも。君が軽視するものに人生をかけている人がいるってことも」

 俺は人のいないカフェに箱詰めされたケーキとともに取り残された。


* * *


 その日の夜間実験は、俺がまともに落ち着いて実験できる精神状態にあると思えなかったので中止することにした。彼女から受け取ったケーキが実験中止に伴い放置されている。俺は暗い実験室の中で椅子に座って被験者用テーブルの上においたケーキを眺めた。

 いま俺が、彼女が自身の夢とそして他者への幸せを願って作ったこのケーキの味を理解したいと思うのは、果たして人格向上プログラムによって作られた愛情が由来のくだらない神経回路の明滅でしかないのだろうか。

 俺には判断できなかった。

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AIと味覚と幸せのケーキ オリトイツキ @MatchaChoco010

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