一章 どうしようもなく息吹き始まるぼくたちの季節③
*
体感時間として数時間ほど、檜垣の指示に従って
帰宅途中の学生やサラリーマンが改札から出たり入ったりしてる。
「どうするんだ。こんなところで」
「まずは何事も実践しないと始まらないわ。理論と実践は必要不可欠なものなんだから」
「はあ……」
「原界への位相転換だけど、このまま意志を展開させて原界へのジャンプを想像すればいいわ。さっきの集中力があれば、位相転換も簡単にできるはずだから」
「わざわざ手を握ってたのはそういうわけだったのか」
「あれは自分以外の人を位相転換させる技術のひとつだからね。もう堤くんはひとりでできるよ」
「そうかい」
僕はややも残念に思いながら、胸の中に時の止まった世界を思い描いた。
ギュンと何かが耳元で高速回転するような音がして、地面が反転したような眩暈が襲う。
再び目を開けたときには、既に駅前の人々は立ち消え、恐ろしく静かな風景が代わりに現れていた。
檜垣は一人でに歩き始め、僕もその後を追う。
「この辺だと思うんだけど」
「何がだよ」
僕は不思議に思っていたが、駅前の通りを東に進み、商店街から一本外れた飲み屋がちらほらある区域に入ると、彼女の向かった意味が分かった。
家屋の屋根を越す五メートルはありそうな煉瓦の巨体がそこにいた。
スケールは桁違いだとはいえ、人の形をして路地を進んでいた。
「おいおい……何の冗談なんだ」
「里中くんの情報によると、Dランクらしいから平気よ。どうってことないわ」
檜垣はその後ろ姿に向かいながら、僕に言った。
「誰だよそれ……。それより全然人間っぽくないんだけど? あれ、煉瓦じゃないの? ガイストってのは人工霊の集合体なんだろ?」
「ガイストを構成してる人間の残滓は主に怨念なのよ。我を忘れたなれの果て、それがガイストなの。だからガイストは強力になるごとに形は人間から離れていくのよ」
「あれを結晶の力で倒すのか?」
「正確には
檜垣は右手をわずかに震わせると、空中から緑色に鈍く輝く金属の槍を創出した。
「堤くんもやってみなさい。自分が扱えそうな武器を捻出するの。原界の磁場が意志の鼓動を受けて、創出してくれるわ」
「わ、わかった」
僕は考える。
武器……、僕がこの時の止まった世界でガイストたちに渡り合える武器……。
頭の中にその輪郭が浮かび上がる。
僕はそれをさっきまで練習していた通りに、意志の発現と合わせて、目の前に表そうとする。
すると、僕の右手にずしりと重さを感じた。
見れば、それは黒いボディをした拳銃だった。
「じゃあ行くわよ!」
檜垣は地面を蹴った。
それは僕が今まで見たこともないようなスピードだった。
彼女は姿勢を低くしたままで、足を後ろに強く蹴って影たちに向かった。一歩一歩の合間は広く、すぐに彼女はそのガイストの直前まで距離を詰めた。
煉瓦の巨体の足元へ辿り着くと、低い姿勢のまま斜め上に向かって居合を抜く。
緑の閃光がひらめいて、煉瓦の巨体が姿勢を崩した。
しかしその衝撃で完全に僕らはガイストの標的と定められてしまったようだった。
ガイストはその頑丈な腕で檜垣を薙ぎ払おうとした。
「檜垣!」
僕は慌てて叫んだが、檜垣は敵の攻撃を予測していたように軽々と身を翻してそれをかわした。
身を後ろに引いた彼女は僕を一瞥した。
「堤くんもやってみて!」
「僕も……?」
僕は拳銃の引金を弾いた。
だが、カチッと音がしただけで中は空っぽであるかのように銃は機能しなかった。
「もっと集中して! 意志の流れをイメージすることを忘れないで!」
檜垣に言われる通り、僕は心を鎮めようとする。
銃把を握る手に力がこもる。
全身を廻る意志の流れ……僕の心の底から湧きたつ力を僕は想像する。
ガイストは地震みたいな音を響かせて、こちらに向かってきていた。
その長い手が僕に襲おうとする。
足が震えている。僕は、恐れているのだ。
僕は銃口を合わせ、引金を弾く。
――しかし、またもや空弾。
必死によけようとするが煉瓦の腕の先が命中し、僕は吹っ飛ばされた。
更に追撃しようとするガイストの動きを檜垣が牽制した。
「堤くん! 大丈夫よ。あなたならできるわ!」
「……そんなこと言ったって」
僕は立ち上がって、ガイストを見た。
こんな見たこともない奴に僕が何をできるっていうんだ。
だが、何もできない僕の眼前で、檜垣は何倍もの大きなのガイストとやりあっていた。
剣を振るい、ガイストの殴打を受け止め、俊敏な動きで敵を翻弄していた。
それを眺めていると、僕は沸々と煮えたぎってくる思いを感じた。
「……僕はなにをしてるんだ」
僕はもう一度、銃把を握りしめ、ガイストを狙った。
ガイストは長い腕で華奢な檜垣を殴りかかろうとしている。
戦う。それだけを思い描き、照準を絞り、僕は引金を弾く。
ガン、という衝撃が僕の腕を痺れさせた。
ガイストの長い腕は檜垣には届かなかった。銃口から放たれた青い弾丸が、ガイストの肩の辺りを貫通し、腕をもぎ落したのだった。腕は宙に落下しながら、砂塵と化して細かな粒子へと散ってゆく。
「その調子よ!」
檜垣がガイストの後ろに回り込んで、剣戟を叩きこんだ。ガイストの表面を覆っている煉瓦がバラバラと剥がれていく。
僕は感情を押し殺し、体内の気持ちを相手に排出することだけに気を向けた。
そうすると弾丸は思うように銃口から飛び出し、ガイストの煉瓦を破壊することができた。
青と緑の鮮やかな光線が夕焼けの街にきらめいた。
「はああああああああああああああ!!!」
勢いよく発された掛け声とともに、檜垣がガイストに胴を打ち込むと、ガイストは彼女の後ろで真っ二つになった。
砂がさらさらと風に舞うような最期をもって、ガイストは完全に消滅した。
「ふーっ」
汗を手の甲で拭いながら檜垣が僕に近寄ってくる。
「ありがとうね、堤くん。戦ってくれて」
そう言って右手を僕に差し出した。
「これは現世界に還るための……?」
「ううん。今日のお礼よ」
僕はその手を握り返した。
「どういたしまして」
「これからもよろしくね!」
檜垣が手に握力をこめた。
「あっ、ああ……そうだな」
「明日の夜、みんなに紹介するわ。早く馴染んでもらいたいしね。」
「みんな!?」
「ええ、原界で戦う戦線のメンバーよ。もう堤くんもその一員なんだから」
「……そうかい」
「戦線では普通、夜に活動してるのよ。ガイストの働きが活発化するから。明日は……そうね。堤くんは、家の前の道路で待っていてくれればいいわ。あなたの
地面には影が長く伸びていた。陽がもう暮れかかっているのだ。
僕はガイストの消滅したあたりを見やると、ふと気づいたことを彼女に訊ねた。
「そういえば、太陽が沈んでるよな。ここって時が止まってるんじゃないのか?」
「あー……そうなんだよね。なんでか太陽の動きとかは変わらないんだよね。雲も流れてるし、雨が降るときもある」
彼女はすこし考えるような仕草をしたが、すぐに溌剌とした表情をした。
「でも時計は止まってるし、現世界に帰れば分かるけど、私たちがこっちに来るまでの状態が続いてる。だから現世界に戻るということは感覚的には時間を遡るみたいなものね。慣れてくればあまり感じないんだけど」
「ふうん」
そんな会話をしながら、僕たちは駅の方へと歩き出した。
こうやって僕はどうしようもなく、新たな世界へ一歩足を踏み込むこととなった。
こんなこと一度だって予想することはなかったけれど、僕はもう簡単に世界線を超えることを覚えてしまったのだった。そして僕の心はそんな現実を驚くほど容易く飲みこんでしまったのである。
あるいは、それは僕にとっての真の現実は別にあると言わんばかりに。
僕は生まれたばかりの夜の中を歩く檜垣の後を追いかけた。
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