愛があるから大丈夫
砂鳥はと子
第1話 あなたに酔いたい
お酒は正直あまり好きじゃない。飲むとすぐに眠くなってしまうし、付き合い以外で進んで飲むことはなかった。
でも時にはお酒の力が必要なこともあって、心のちょっとしたリミッターを外すというか、少し自分の背中を押すのに役に立った。
私はちまちまと飲み干したお酒の空き缶をテーブルに置いて、隣りに座る
気持ちよくてふわふわして、今にもとろんと眠りに落ちそうな心地が、私の恥ずかしいという気持ちを丸めてどこかにやってしまった。
今なら手ぐらいつなげるかもって、私は愛佳さんの指先に触れる。ちょんと指先が当たって、愛佳さんは優しく笑うと私の手を握った。
温かい手。私は嬉しくて幸せで、このまま溶けてなくなってしまいそう。
「
愛佳さんのハスキーな声が耳朶に当たる。私たちは隙間もなく寄り添っているけど、これ以上どう近づけばいいの。
私が愛佳さんを見ると、ぽんぽんと自身の膝を叩く。そこに座れってことだよね。それでいいんだよね。
どうしようか。近づいたっていいよね。膝に座ったっていいよね。
だって私たち恋人同士だもの。仲良くするのは普通のこと。
愛佳さんに目一杯甘えるチャンスを捨てるなんてもったいない以外ある?
酔っていたせいか私は普段なら躊躇するであろう、愛佳さんの膝に座った。さすがに向き合うのはお酒の力をもってしても恥ずかしいので、背を向けたままだけれど。
すかさずしなやかな腕で愛佳さんは私を抱え込む。
「楓ちゃんが来てくれた。嬉しい」
ぎゅっと私を強く抱きしめる愛佳さん。その声があんまりに嬉しさそのものだったから、私はこの人に愛されてるんだって実感する。いつだって、愛佳さんは私に包み込むような愛情をくれるけど、ただ
(いつか私も愛佳さんに返せるようになりたい)
私は腰に回された愛佳さんの腕に触れる。その白い温かみのある素肌は私を安堵させる。
自分でも何でか分からないくらいに私はこの人が好きで好きでしょうがない。嫌いだったはずなのに。嫌いだったのに。
「楓ちゃん」
「⋯⋯何ですか?」
「ちょっと細くなった? 何か前より腕回せる気がするんだけど」
「最近、たまに朝走ってるから、ちょっと痩せたかも」
痩せたと言っても1〜2キロ程度だけど、そんなことにすぐに気づくくらいに、私のことを知っているなんて。本当に愛佳さんには敵わない。
「そうだったんだ。初めて知ったよ。もう教えてくれてもいいのに。ダイエットしてるの?」
「特にそういうわけじゃ⋯⋯」
「ふーん。運動不足解消とか?」
「そんな感じ、です」
なんて本当は私より十四歳も年上で四十代なのに、昔のままの抜群のスタイルを維持している愛佳さんに引けを取りたくなかったからだ。もともと顔立ちも良くて、背も高くて、全体的にスレンダーなくせに、胸元はグラマラスな愛佳さんに、地味子の私が並び立つのは無理がある。けど、せめて今よりはよく見せようという意地はあった。
愛佳さんに少しでも可愛いと思われたいから。
(ああ、そうか。私は愛佳さんに可愛いって思われたいんだ)
酔ってる今ならそんな自分も素直に受け止められる。
「楓ちゃんが走ってるなら私も走ろうかな」
「愛佳さんは別にそんなことしなくていいですよね」
「私は楓ちゃんみたいにもう若くないからね。もっと体動かさなくちゃ。家でストレッチとかヨガとかしてるけど。走るのも悪くないよね。いっそのこと二人で朝走る?」
「住んでる所離れてるのにですか?」
「そうだよねー。離れてるもんねー。楓ちゃん家の近所に引っ越そうかな。それなら毎日会えるし」
「毎日って⋯」
「楓ちゃんは私に毎日は会いたくない? まぁ会いたくないか。私ちょっとうざいもんね」
「⋯⋯そんなことは、ないですけど」
「えっ、本当に!?」
「まぁ、私も愛佳さんに会いたいですし」
「もう楓ちゃん、嬉しいこと言ってくれるな〜。これだけでしばらく生きていけるよ」
「⋯⋯愛佳さんは大げさですね」
「そうかな? 楓ちゃんこっち向いてくれない? 楓ちゃんの顔見たい」
背中越しに愛佳さんの言葉。
こんな話して、真っ正直に振り返られると思ってるのだろうか。
そんなの無理だ。お酒を飲んでても照れくささが全て消失するわけではない。
「楓ちゃん、こっち向いて」
腕を引っ張られて、振りほどけなくて、私は顔が高潮するのを感じながら体勢を変える。ちょうど向き合う形で愛佳さんの膝の上にいる。あまり考えると恥ずかしさで失神しそうだから、なるべく考えないことにする。
愛佳さんはいつも通りの慈愛に満ちた瞳で私を見つめた。優しくて、あったかくて、胸の奥がきゅんとして、時々泣きそうになる、そんな風にさせる瞳で。
「楓ちゃん、顔赤いね。お酒飲みすぎちゃった?」
「⋯⋯そうですね」
本当は照れくさいだけなのに。いや、多少お酒の効果もあるけれど。愛佳さんは私が照れてるって気づいてて気づかないふりをしているようでもあるし、実際にお酒でただ赤いだけと思っているようでもある。
けどきっと前者なのだろう。
この人は私の気持ちにとても敏感だから。
そんなところが愛おしくもあり、ちょっとだけ憎らしくもある。
愛佳さんは手を伸ばして私の顔を引き寄せると、キスをした。
「楓ちゃん、大好きだよ」
「⋯⋯私もです」
またキスをする。何度も何度も、柔らかな雨を降らすように。
スマホの振動で目が覚めた私は慌てて起き上がった。時間を確認すると午前十時を過ぎている。「遅刻」という言葉がよぎったが、すぐに今日が土曜日で休みだと気づいた。
「⋯⋯さむっ」
隣りで声を上げた愛佳さんも目を覚ましたようだ。私は慌てて毛布を引き上げて、愛佳さんの上にも被せる。
しばらく私は隣りの彼女を見ていたが、起き出す気配もなく目は閉じられたまま。気持ちよさそうな寝顔から、規則正しい呼吸が静かに聞こえる。完全に目を覚ましたわけではないようだ。
私はもそもそと毛布の中に潜り込んで天井を見上げる。オフホワイトのこの天井を見上げるのは何度目だろう。自分の部屋ではない場所の天井。愛佳さんの家の寝室の天井。
横に当たり前のようにこの人がいるのも何度目なのだろう。
数え切れないほどではないけれど、一から数えるのは面倒くさい、それくらいの回数。
愛佳さんと付き合うようになって気づけば二ヶ月もたっていることに、驚くような、ほっとするような。
いつまでも続いてほしくて、いつかぷつり終わってしまうのではないかという不安。両方が同じくらいある。
そもそも、中学時代の担任ですらない数学の教師と付き合ってるというのが奇跡というか、ありえないというか。
あげくに私は愛佳さんのことを当時嫌っていた。一番苦手にしていた教師。
その人と恋人同士になるなんて、何をどうしてどうすればそうなるのか分からない。そうなった今でさえ不思議で仕方ないのだから、人生って何でも予想通りにいかないのだと分かる。
私は体の向きを愛佳さんの方に変えて、手を伸ばしてそっと前髪に触れた。赤味がかった柔らかい猫毛。さらさらと今にも音を立てそうなくらいに、髪がはらりとおでこの脇に流れる。
たったこれだけ触れるだけで、私の心臓はばくばくとけたたましくなり、耳の中がうるさい。うるさすぎて、愛佳さんに聞こえてしまったらどうすればいいのだ。
まだ慣れていない。愛佳さんと恋人でいることに。昨晩のようにお酒の力がなければ、私は自然に触れることすらできない。
でもいつか、私も愛佳さんの横にいるのが当たり前で、自然体でいられるようになりたい。
だって、この人と生きたいから。生きていきたいから。
まだまだ素直じゃない私は、きっと目が覚めた愛佳さんにまた可愛げのない態度を取ってしまうと思うけれど。
(愛佳さん、もう少しだけ待ってて)
私もすやすやと眠る愛佳さんと一緒にまた眠りへと落ちた。
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