第7話 エルフ?な不思議少女 7~エルフ?の浅知恵~義務教育

7 エルフ?の浅知恵~義務教育


 「髪の毛がごわごわになってるー……」

 馬車に揺られながら紗那がぼやいた。

 石鹸で髪を洗うと避けられない事態だった。

 「なんでリンスとかないのー?」

 「そんなこと言われてもどーいうものかすらわからねーものはどうしようもねーっスなあ」

 「う~~~~~~」

 紗那は眉を顰めて腕を組んだ。

 「サバイバルなネタはあまりないのに。……えっとえーっと」

 オレンジを齧るクローリーを見て紗那ははっとした。

 「それ!」

 「どれっスか?」

 常温で2日目のオレンジは表面が少し乾燥していたが腐らせたらもったいないとおやつ代わりにしていたのだ。

 「今、クロちゃんが手にしてるものっ!」

 「あ。うん。食べたいんスか?間接キスがお望みなら……」

 「ちがあああああああああああああああうっっっ!!」

 紗那は床……というよりもクッション代わりの毛布をぱんぱん叩いた。

 「それクエン酸だよねっ。柑橘類はたいてい入ってる」

 「クエ?……ドラゴンの鳴き声か何かっスか?」 

 「……いいから、それちょうだいっ!」

 紗那はクローリーからオレンジを奪い取った。

 「自信はないんだけど……」

 木桶のそこにオレンジを押し付けてぎゅうぎゅう絞る。

 「何か潰して汁を出す方法ない?」

 「そりゃあ……俺向きかな?」

 シュラハトが手を伸ばす。

 4人の中で間違いなく最も膂力のあるのは彼だ。

 ガーゼのような薄い布で包んで、力強く絞る。

 たちまちオレンジの果汁が木桶に溜まる。量的には大したものではないが。

 「ジュースにするには足りねえっスなあ」

 「いいのっ!沢山じゃなくても。どうせ薄めるものだし」

 紗那は飲料用にするはずの綺麗な水を木桶に注いで、果汁を薄めた。

 「割合はさっぱりだけど……目分量で……いいよね。試しだし」

 何をしているのだろうと周囲が見つめる中で、紗那は薄めた液体を自分の髪の毛にぺたぺやと塗り始めた。

 「……な、何するっスか?」

 「ん?」

 紗那は髪をぺたぺたしながらみんなを見る。

 「PH調整剤だよ」

 「ぺ……なんだって?」

 「石鹸はアルカリだから……弱酸性で中和すればリンスの代わりになるかも……って」

 水分を得たせいもあって髪の毛がスムーズに指を流れる。

 「……いける……かな?……ごめん。マリさん、髪を梳いてくれるー?」

 「ん。いいけどぉ」

 マリエッラは紗那の髪に櫛を通す。

 「あら。ちょっと滑りがよくなったかしら」

 「でしょ?うん。いける」

 「オレンジの匂いがついていい感じねぇ」

 「へへーっ」

 実のところ紗那は一つ間違っていた。

 中和するのは良いが、リンス成分はちゃんと洗い流さないとかえって髪が痛んでしまうのだ。

 「ふぅん……だいぶ櫛の通りがよくなったわねぇ」

 少し楽しくなってマリエッラは紗那の髪を弄り回す。

 縛ったり編んだり。

 面白がってトライテールにしてみた。

 ツインテールにポニーテールを追加したような髪型だ。

 長いうえにボリュームのある紗那だからこそできる髪型かもしれない。

 ただ、童顔で小柄な紗那がすると、より子供っぽく見えてしまうのだが。

 マリエッラにとっては弄りがいのあるかわいい妹ができたような感覚なのだろう。

 むしろペットの犬猫に近いのかもしれない。

 「これで一つ解決っ!」

 「解決じゃねえっスよー。石鹸は高いんスから。それも香り付きは」

 クローリーは目頭を指で押さえた。

 石鹸は贅沢品。しかも帝国直轄地の工場でしか生産されていないのだ。

 したがって専売で帝国の重要な収入源にもなっている。

 「つくればいいのにー」

 「作るっていっても、制作技術は門外不出スからできねーっス」

 「そーなんだ?……んー?んー?」

 紗那は首を傾げた。

 「小学校の理科の実験で作ったよー?」

 「しょう……何学校って……」

 「義務教育の中の初等教育だよー」

 通常は劇物の苛性ソーダを使ったり有毒なガスが発生するので滅多に行うことはないのだが、紗那の学校では原始技術を学ぶ授業として裏庭を使って石鹸を作る実験があった。

 もっとも基本的には専門の教師が行い、紗那たちは説明を聞くのと安全な状態での作業を一部行うだけだったが。

 「たしかねー……アルカリと油で作るんだよー」

 沙那はうろ覚え知識を披露した。

 「……なんスか。それ」

 「アルカリは……燃やした灰で良いって聞いたから……あ。固形化するにはナトリウムがっていうから海藻とかを燃やした灰がいいかも。それと油は動物性でも植物性でもいうから……オリーブとか菜種とかの油でも……って、あるのかな?」

 「さにゃ……」

 クローリーはまじまじと紗那の顔を見つめた。

 「さにゃはもしかして魔術師か錬金術師っスか?」

 「……へ?」

 「なんかよくわからないことを並べていたっスが、なにやら構成要素マテリアルコンポーネントっぽいことを言ってたように見えるっス」

 「マテ……なんとかはわからないけど、そーゆーものだって授業で習ったよ」

 「……紗那の世界ではそういうのが普通なんスか?」

 「授業をちゃんと聞いてるかどうかは別だけどねー」

 紗那ははははっと笑った。

 正直なところ勉強熱心だったわけではなかったからだ。

 面白い部分だけつまみ食いするような良くある学生の姿勢だったものだ。

 「言っておくけど、正確で細かいレシピまでは知らないからねっ」

 ポケットに入れていた頼みのスマホは無反応だ。

 汚水に漬かっても壊れなかったのはすごいが、何度見てみても『圏外』状態である。

 それにバッテリーも残り1/3ほどになっている。、

 夢の中でくらい役立てばいいのに。と紗那は心の中で毒づいた。

 「……いや。原理が分かればあとはトライアンドエラーで繰り返せばわかってくるっスよ」

 たぶん、と付け加えながらクローリーは言った。

 クローリーは我が意を得たりと思った。

 彼がエルフから得たいものとはそういうものだった。

 自領で量産できて価格を下げて庶民にも行きわたれば、洗濯も楽になるだろう。

 他にも生活向上に繋がるかもしれない。

 それこそがクローリーが追い求めている研究でもあった。

 「そーいう話をもっといっぱい聞かせてもらえると助かるっスなあ」

 ただ、惜しむらくはクローリーの期待に反して、紗那の知識は小学生のものと中学生としては途中のものしかないことであった。

 この時点では彼はまだ気づいていなかったが、いろんなエルフを集めればより多くの知識を得られるのではないかという期待はあった。

 もちろんエルフだけではなく、人間やその他でも。

 それこそが後に彼が良い意味での車輪屋ホイーラーディーラーと呼ばれることになるものだった。


 

 「賢者セージと会えばもっと正確なことがわかるっスかねー……」

 「せー……なに?」

 「もう一人のエルフっスな」

 クローリーが最初に出会ったエルフのことだった。

 自ら賢者と名乗るあたりやや自信過剰に思えるが、その知識量は確かに賢者を名乗るのも不思議ではなかった。

 彼の語るエルフ世界は想像を絶していた。

 星の彼方まで飛ぶ船や、数千キロも先まで一瞬で声を届かせたり、一撃で街を滅ぼすことのできる強大な炎の魔法。

 軽く説明を受けても全く理解が及ばないどころか、想像するのも難しい。

 夜でも昼間の様に眩しく照らす光など。何か一つ、その片鱗でも再現できれば世界は変わるかもしれない。

 「軍師ストラテジストと呼ばれるようになりたいって言ってた男っス」

 「へー。男の子なんだあ?」

 「男の子ってゆーよりは……オッサ……壮年て感じスかね」

 クローリーはその姿を想い起こしていた。

 「将来へ向けての一歩っていうことで下水道を作ることを教えてくれたっスな」

 「下水……?」

 沙那は小首を傾げた。

 下水が出来れば確かに少しは清潔になるだろうけど。将来への一歩って何だろう。

 「それで何か変わったー?」

 「……まー、いろいろと。でもまだまだ先があるとも言ってたっスね」

 「へー」

 どういう人だろう?沙那はあんまりイメージできなかった。

 白衣の似合うエリート技術者な感じだろうか。

 「なんか世界を激変させる凄いものができるとかって……想像もできないっスが」

 「……そんなものより、ボクはお風呂とかをどーにかしてほしいよ」

 「さっき水浴びしたじゃないっスか」

 「ちがーう!川の水はねー……なんか、こー…べたっとするのー」

 沙那は腕を擦ってみせる。

 「サッパリしきれないっていうかー……あとがべたっとするようなー……」

 やっぱり日本人ならお湯のお風呂!と思わないでもなかった。

 「温泉とかあればいいのに……」

 「温泉は温泉でなんかヌルっとするけどねぇ」

 マリエッラが口を挟んだ。

 「これから行く先にもお湯が噴き出す山があるけど……なんか卵の腐ったような臭いするし」

 「……硫黄泉!!」

 「服やタオルに色がついちゃって面倒なのよねぇ」

 「わぁ!それ天然温泉だよねっ!ちょっと期待しちゃうかもー!」

 「そんなに喜ぶようなものか?」

 シュラハトも呆れた。

 「あ、でも……」

 クローリーは何かを思い出した。

 「賢者セージは硫黄があって、山に木があって、あと一つの構成要素があれば『例のもの』ができるって言ってたっスね」

 「なにそれ……」

 「世界を変えるものっていてったやつっスな」

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