第3話 エルフ?な不思議少女 3~車輪屋男爵


3 車輪屋男爵


 クローリーが車輪屋ホイーラーディーラーと呼ばれる由来になった郵便業を始めたのは、父の死が原因だった。

 実家から王都の魔術学院まで恐ろしいほど遠いわけでもないのに送られたはずの手紙が届かなかったのだ。

 彼が父親の死を知ったのは死後2か月以上も後で、しかも人伝に噂を聞いて知ったというものだった。

 手紙は必ず届く保証はない。

 それが常識だったとはいえ、そこそこ信用できる筋に依頼した上に曲がりなりにも貴族からの手紙が届かない。

 家督を継いでもいまだに王都の魔術学院に籍を置き、普段は様々な理由で冒険者稼業をしているクローリーは、領地経営をほとんど弟に任せっきりである。

 何かの事態が起きたときに連絡がつくように、実家と王都の魔術学院の間を繋ぐ郵便業務を行う会社を作ったのだ。

 本来は彼個人の都合だけだったのだが、道中の村に停留所を作り、格安料金で郵便配達を請け負い始めたことで名を知られることになった。

 当初はあまりうまくいったとは言えなかったが、時間が経つとともに信用を得て依頼が舞い込むようになった。

 ……とはいえ、この世界この時代に識字率はとても低く、字の読み書きができる庶民はとても少ない。

 10人に1人もいるだろうか。

 そもそも初代皇帝自体が自分の名前すら書けずに、彼の名前を意味する最も短い単語である4文字でサインすることを周囲から教えられ、なんとかその4文字だけは書くことができるようになったもののたびたび書き間違えるために古い文書にはたびたび判読が難しい図形が残されてるという。

 庶民に文字を書くことを要求するのが難しいのは当たり前だった。

 それに為政者や教会の神官からすれば、庶民が文字を読み書きできないのは都合が良い。

 法律や聖書をきちんと理解されていなければ、その場その場で言動を翻しても問題ない。

 支配するには賢すぎる庶民は手に余るのだ。

 当然、庶民に教育は行き届いていない。

 そんな世の中でどれだけ手紙を書く人がいるかというと……当然だが郵便業の収支はいつも大赤字であった。

 ただ、信用だけはそこそこできた。それが収穫だったかもしれない。

 郵便の確実性もさることながら、途中で行った馬車の修理代や御者の食事や滞在費は専用の金属板で現地に支払われる。

 これの金属板は期限が定められているものの魔法によるサインがされており、領地と王都にある駅のどちらかに持ちこむと、間違いなく支払いがされるのだ。

 そのため臨時の貨幣に使われることもあるくらいの信用度があった。

 車輪屋男爵は必ず固定の金額と引き換えてくれるからだ。

 相場によっては少し得をすることもある、ある意味お得なシロモノだった。

 貨幣相場が良ければさっさと交換し、悪ければ交換を控えて少し寝かせておく。

 持ち合わせがないときの金券。当たり馬券を渡すようなものだった。

 実はこのことが将来に大きく関わることになるとはクローリーは考えてもいなかったが。

 そんな副業をしているクローリーにつけられたのが、『車輪屋』であった。

 どちらかというと貴族の端くれなのにという否定的な意味で使われることが多かった。



 「ねえ。ちょっと。クロちゃん!」

 「へいへい」

 沙那のヒステリーじみた声に、クローリーは肩をすくめた。

 2人は並んで王都の大通りを歩いていた。

 助けてあげた少女は奇麗に魔法で洗濯された制服を着ている。

 名門私立帝邦学院中等部のブランドデザイナーによるセーラー服だ。

 クローリーは知る由もなかったが、日本ではやや古風ながらも人気のある制服だった。

 沙那が帝邦に進学した理由の一つは制服の可愛らしさであったが、母親自身が憧れだった学校ということで猛プッシュしてくれたのも大きい。

 父親は逆に高額な入学金、授業料、寄付金などで、金額を見ただけで頭髪が少し薄くなったほどだったが。

 お気に入りの制服に戻った沙那はクローリーがたじろぎそうな勢いで巻くしたてた。

 矢継ぎ早に質問をしたり・・・ほとんどは文句ばかりで、クローリーも相手をするのが少々億劫だった。

 しかし、多くの場合は彼が知り得ない気づかない内容のものが多く、エルフの進んだ知恵を垣間見るようなこともまた少なくなかった。

 「なんか、町中すっごぉぉぉぉぉぉーーーーーーく臭いんだけどー!」

 「そりゃ匂いはどこでもするっスなー」

 「ちがーう!どこもかししこもトイレの臭いなのーーーーっ!」

 「……ん。まあ、そうっスな」

 王城の堀すら汚水で悪臭が漂っていたが、町中もそれは変わらない。

 強いて言えば表通りは少しマシ。くらいである。

 香水が高値で取引されるも無理はない。

 そもそも王都に下水はなく、排泄物も裏通りや場合によっては近くの川に投げ捨てるのが一般的なのだ。

 通りにすらちょいちょい落ちており、それは沙那が知る世界の犬のフンに当たるよりも多くの、人間の~~が落ちていた。

 沙那は何度か踏みそうになっては慌てて飛びのいたりしていた。

 「そ、そう!トイレっていえば、シャワーがないのー!」

 「……そりゃないっスなー」

 「水洗もないし、トイレットペーパーがないのがいちばんおかしいっ!」

 「ペ……紙?……そんなぜいたく品を何に使うんスか?」

 「もちろん……………………拭くためにっ!」  

 「ああー……。他人が使ったあとのは気が引けるときもあるっスなー。じゃあ、これを……」

 クローリーは背負い袋から何かを取り出した。

 「なにこれ」

 「海綿っス。ちゃーんと一度も使ってない新品っスよ」

 「っっっ!!!!……使えるわけないでしょーっ!!」

 「しかし、エルフは紙を使うんスかー。よほど安く作れるんスかねー。そいうや一説にはエルフは森の中に住むっていうから紙が作りやすいなにかがあるのかも知れねーっスな」

 クローリーは心の中に大量生産して無駄遣いできるエルフの紙があるとメモをした。

 「それこそ、ないんだったら……クロちゃん得意の魔法でぱーっ!となんとかできないのっ?」

 「……そんな魔法聞いたことねーっスな」

 「ないなら作って!今すぐ!緊急事態なのっっ!」

 「そんなの無茶っス。そのうち何か思いつくこともあるだろうけども……ああ、さにゃ、もしかしてトイレっすか!?」

 「聞くなーっ!」

 「大きい方っスか?小さい方っスか?恥ずかしいならそのあたりの裏道で……」

 沙那の小さい拳がグーで飛んできた。

 女の子に殴られたのは子供時代以来だ。……クローリーはそう思い出した。

 気絶しなかったのが奇跡なほどの強力な一撃だった。



 「おい。何やってるんだクロ?」

 殴られてたたらを踏んだクローリーの背中を支えるように、大きな体があった。

 大きい。

 身長1m90センチはあるだろうか。分厚い筋肉の塊みたいな大男だった。

 革の鎧を着につけ巨大な大剣を背負っている。

 見るからに屈強な戦士と分かる。

 「あ。ちょうど会いにいくところだったっスよ。シュラさん」

 シュラと呼ばれた男、シュラハトはそこそこ名の知れた冒険者である。

 もとは正騎士だったという噂もあるが、とても上品には見えない。

 少し粗野な、しかし腕のそこそこ立つ強そうな剣士というが見たままの全てである。

 「俺に?」

 「そうっスよ。家に帰る都合もあるから護衛が欲しかったんス」

 「まあ、いいけどよ。ちょっと高くつくぜ」

 「そこは友達割引きで……」

 笑って聞き流したシュラハトはクローリーの隣に立つ小柄な少女に気づいた。

 目をしばしばさせるように細めて、少女を見つめた。

 「んー?なんだそいつ?」

 背を丸めてじっと近づく。

 とはいえ長身なので中腰でも沙那の背よりはかなり高い。

 「ダメよ。シュラハト。あんた顔怖いんだから」

 シュラハトの後頭部を軽くチョップする女性。

 肉感的な美女で、沙那はグラビアアイドルかな?と印象を受けるような華やかさも持つ女性だった。

 優し気に目を細めた彼女は、人懐っこそうな笑みで沙那を見た。

 「可愛い子ねえ。……エルフね」

 「ああ……エルフだな」

 「たぶんエルフっスな」

 3人同時に口を開いた。

 「ちがーうっ!さっきもクロちゃんに言ったけど、ボクはエルフじゃない!」

 沙那は拾った野良猫みたいに3人を睨み返した。

 「いや、でも」

 「その髪の色は」

 「エルフだよなあ」

 「なんでー!?」

 エルフは森の住人……という俗説のほかに、異世界からの来訪者という異説がある。

 その最大の理由は動物や魔獣にも存在しない金属光沢の色の髪と瞳である。

 どういう理由からかはわからないが様々な輝く色をしているのだ。

 それをある魔術師が別の世界から壁を越えてこちらの世界に来るときに、そのような変化をする。あるいはそういう色の世界からくるものがエルフと学説を説いたこともある。

 どちらにしても、エルフは独特の髪の色と瞳をもってあらわれるという認識はされている。

 だから、沙那はその髪の色でエルフと判断されたのだ。

 

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