神官ロシェの神秘な冒険

るい万呂

スラジアの新縁起

第1話 助っ人王国人

 スラジア神殿付きの祭主、神官ロシェはこのところ頻出する人を襲う魔物に頭を悩ませていた。


 4年間僧侶としての修業を経たのち、縁あってこの地でひとり古びた神殿の管理をするようになって2年ほどになる。

 それは僧侶の経歴としてはかなり浅いものだった。


 一般的に、神殿に仕える僧侶たち――神官たちは然るべき手段を踏んで神々に祈れば、神々の権能で魔物が消えると考えている。


 新米ロシェも、願い事や祈りの言葉を唱えたり、花や食べ物を供えたり、家畜や捕えた野生動物を生け贄にして血を捧げたり、そのような加持祈祷、あるいは供犠は有効な手段であると信じてはいた。


 が、自らの経験の浅さは自らも認めるところである。

 神官の言う『然るべき手段』が実行出来ていないのではないか、という疑念は拭えなかった。


 ロシェは素直に窮状を手紙にしたため、今は何処へいるとも知れないニウェウス師匠に送った。


 出会って以降、彼に就いてずっと僧侶の修行を続けていたのだが、2年前に別れたきり現在は所在不明だ。

 しかし指定の住所へ送るときちんと本人まで届くのだ。


 ロシェには仕組みはよく分からなかったが、神官組織の郵便システムは非常に上手く出来ているらしい。


 返事はほどなくして来た。


『一人の僧侶を紹介する。彼の名はフェリクス。オルクス大神殿の一等神官だ。聖都サンノルドの何代にも渡って高僧を輩出する古い貴族の出で、貴族的な尊大さは少しあるが、王国の貴族にしてはまあまあ合理的で、おおむね善良で、けっこう有能だ』


 どうやら大貴族のエリート中のエリートを助っ人に付けてくれるというのだ。


 ここナトニの街――コルディニア王国の南東部に位置し、国王直轄領の外側の、地方領主のさらに代官が治めているようなこんな田舎にわざわざ来てくれるエリートは、確かに善良には違いない。

 違いないが、そんなお偉い方と出自もよく分からない新米が上手くやれるかどうかは別問題だった。


 有能だが高飛車で嫌味な奴が来るのではないか。


 不安を胸に、待ち合わせに決めた市門近くの食堂にやってきたロシェは、目的の男を探す。

 旅程にトラブルが無ければ、昨晩既に到着しているはずだった。


 師匠の手紙には、助っ人は中背、砂色の髪、琥珀の瞳と書いてある。

 それは生粋の王国人、コルディニア支配層の主要民族としてはごくありふれた色彩だった。


 旅人や冒険者たちで賑わう中、肩先まで伸びた砂色の髪を細いリボンで纏めた男がすぐに見つかった。


 僧侶は好んで灰色の服を纏う。

 その男は僧服トゥニカこそ着ていなかったが、藍鼠色の長外套フロックに、僧侶が良く使う濃灰色のケープを羽織って、いかにも僧侶然としていたから、きっと間違いない。


「オルクス大神殿のフェリクス様、で、いらっしゃいますか」


 神々への形式的な唱え詞はともかく、いつもなら人間相手には使わない堅い言葉に舌がもつれそうだ。


 昔から普通に話しているのに、ぶっきらぼうとかやぶにらみとか評されてきた。

 なるべくは失礼のないようにしたいところだが、相手の気に入りそうな貴族らしい挨拶などは到底無理であるし、それがどのようなものかもよく知らないのだ。


 話しかけられた男の琥珀色の瞳がロシェに向けられた。


「いかにもオルクス大神殿付き神官フェリクスです」


 彼は立ち上がり、そう言って片足を引きながら軽く膝を折った。

 典型的な王国式の挨拶だ。


「あなたはスラジア神殿の祭主ペトルス様のお遣いですか?」

「いや、その、ええと、ペトルスは、俺です」


 思いがけない返答に思わずしどろもどろになるロシェ。

“ペトルス”とは確かにロシェが師匠から貰った僧侶としての名前だった。


 名の由来となった伝説上の聖ペトルス僧正は、今日までの神官組織の礎を創出したという偉大な神官である。

 この古えの大ひじりから取られた抹香臭い、もとい由緒ある大変古式ゆかしい名前が、ロシェにはなんとも大仰に感じられて、他人にはロシェと呼ばせているし、自分から名乗ることもない。


 だから一瞬、自分の僧侶としての名前を忘れかけていた。


 思いがけない返答だったのは、フェリクスにとっても同様だったようだ。


「あなたがペトルス様ですって? 僕はてっきり……」


 もっと貫禄のある人物に違いないと思っていた、のだろうなとロシェは勝手に想像した。


 祭壇画などに描かれる古えの大聖ペトルスといえば、威厳たっぷりに髭を生やした老人で、歳の割には逞しい体躯をしており、豊かな白髪頭には太く大きな2本の立派な牛の角があり、その角が輝いている、というような図像なのだ。


 対して現実のロシェはどうだろう。


「確かに、ほとんど黒に近い髪色に瞳、やや小柄な異民族の若い男で、名前はペトルスだが角は無い、とニウェウス様の手紙にはございましたが、ペトルス様がこんなにお若いとは、ご無礼をお詫び申し上げます」


 フェリクスはそう言うと、流れるように恭しく片手を胸に当て、片足を下げて膝を深く曲げる最上等の礼をしなおした。

 まるで王宮の貴人相手にするような礼だ。

 ロシェは過去から今まで、人からこれほどの敬意を向けられたことがほとんど無かったので、彼の度を越しているとも言える慇懃さには少し感動を覚えた。


 こうしたフェリクスの所作や物腰といったものは、どこか優雅であった。

 それがロシェにはかなり気取った態度にも見えたが、わざとらしさは些かも無く、本当に習い性で無意識にやっていることなのだろう。


 そういえばロシェの事を“祭主ペトルス様の使い走り”だと勘違いした割には、初めから腰も低かった。

 確かに彼は善良な僧侶なのかも知れない。


 しかし丁寧な接遇を受けた者が、同じように丁寧な言動を相手に返せる技能があるとは限らない。


「そんな丁寧にペトルスと呼んでいただかなくても、ロシェと――」


 つい育ちの悪さからくる口の悪さが出てしまった。

 これでは相手の礼儀正しさを馬鹿と評したようなものではないか。

 いや、こんな田舎者相手に少々やり過ぎだと思ったのは確かだ。

 悪い方の本音が出てしまった。


 全てを言い終わる前に失態に気が付いたが、もう遅い。

 フェリクスは明らかにきょとんとした顔を見せた。

 多分、初対面の人間に馬鹿なんて言われたことが無いのだ、とロシェは勝手に解釈した。


 だが次の瞬間にはフェリクスは表情を常態へと戻し、それから軽く双眸を細めた。


「なるほど、僕の新しい上司は馬鹿正直な方のようですね」


 その曖昧な笑顔からロシェは自分への呆れ、もしくは哀れみを読み取れるのではないかと半ば期待したが、結局はよく分からなかった。


「では、ざっくばらんにお話しますが、」


 そして少しだけ息を継いで、次の句をどのように告げるべきか、一瞬視線を泳がせた。


「組織に属する神官にとって、年功序列というものは大いに尊重されます。

 また血統というのも割と尊重されるもので、生まれが出世のしやすさにかなりの程度影響することは否めません。

 一方で、生まれや年齢に関わらず組織の中の役職というのも、また尊重されるものです。

 あなたはスラジア神殿の最高権力者、祭主であり、僕はオルクス大神殿付きの一等神官巡察士――」

「一等……何です?」


 フェリクスの肩書が聞き取れなかった。


「覚えなくて良いです。要するにあちこちフラフラしている下から3番目のヒラ神官ってことですよ」


 また曖昧な笑みを浮かべる。

 おそらくこれは、自嘲の笑みだ。

 ロシェは確信は持てないがそのような印象を抱いた。


「つまり僕が言いたいのは、立場が上なのはあなたで、あなたが僕に畏まる必要はない、ということです。分かりましたか、上司ボス?」

「分かった」


 一気呵成に述べられて、とりあえず素直に頷くロシェ。

 ひとまずは舌のもつれる敬語中心の会話からは解放されたようで、少し安堵する。


 フェリクスが腰の低い善良な貴族で本当に良かった。

 彼は高僧の家柄で、おそらく僧侶になるべくして生まれ育ってきたエリートで、しかも年上の貴族だ。

 自分のようなこれといった血統も経歴もないで、他に誰もいないからという理由で祭主に収まっている若造より肩書きが下だというのは、きっと気持ちのいいものではあるまい、と身構えていたのだ。


「ではフェリクス、早速上司としてお願いするが、俺のことはロシェと呼んで欲しい。敬称もいらない。ペトルスも俺の名前なことは確かなんだが、街の連中も誰も俺をペトルスなんて呼ばないし、自分自身だいぶ名前負けしててしっくり来ないんだ」


 王国の由緒正しい僧侶は、お互いを僧侶としての名前で呼び合う。


 フェリクスにも、もっと砕けたプライベートな愛称いみながあるのだろうが、昨日今日に出会った人間には教えないし、尋ねないのが慣例だった。


 例外は一目惚れをした相手を口説くときくらい、と言われている。

 そうした習慣を連想したのだろう、フェリクスは口元を手で押さえて、また感情の読みにくい曖昧な笑みに顔を歪めている。


 どうやら、この男は何かの感情が動いた時は、それが快であれ不快であれ、いつでも同じ“曖昧な笑み”を浮かべる癖があるようだった。


「…………」


 フェリクスが口に手を当てたまま黙ってしまった。


「そんなに抵抗あるか?」

「ありますよ、……ロシェ」


 そして今度は曖昧な笑顔ではなく、一瞬だけ間違いなく照れ笑いを浮かべた。




 一方のフェリクスは、初対面の男の前で思わず素の感情を表に出してしまったことに内心で動揺を覚えていた。


 何しろ祭主という身分は一般の神官よりも遥かに上であって、その最高権力者からの最初の命令が親友のように「愛称いみなで呼べ」である。

 明らかに距離感がおかしい。


 定まった上下関係は組織の秩序の基本だ。

 だから祭主の肩書を尊重して上の立場を譲ってやったのに、全く何を考えているか分からない。


 年齢不詳の変わった男だとフェリクスは思った。

 背丈はフェリクスより少し低いくらいだが、貧相な感じはしない。

 身のこなしは溌剌として若々しく、他方で独特の落ち着きもあった。

 一言で言えば、隙が無い。

 いきなり愛称呼びを要求する明け透けさにも関わらずだ。


 フェリクスはこの一風変わった男にもっと注意を向けたかったが、あまり人をじろじろと観察するのもはしたないので、内心の動揺は直ぐ社交向きの微笑みに押し込めて、ひとまずは仕事の話を進めようかと息を吸った。


「誰か!!」


 そこへ誰かの悲鳴にも近い怒鳴り声が、食堂の扉を勢いよく開ける破裂音と共に転がり込んできた。

 外からは警鐘のけたたましい音が響きだしている。


「誰か、冒険者はいないか!? 魔物だ! ドラゴンが西門目指して向かっている、誰でもいいから市警隊が着くまで足止めをしてくれ!」


 それだけ叫ぶと声の主はまた走り去っていった。


 ここは西門に一番近い食堂で、腕の立つ冒険者もよく集まる。

 市警隊が出払っているときに大きな魔物が出現するたび、冒険者を呼ばう声が舞い込むのは日常茶飯事だ。

 と、若い上司ロシェはさも当然のように落ち着き払って説明した。


 一人の赤毛の女性が剣を取りながら立ち上がる。


「あたしが行こう。市壁の上を飛ばれると厄介だ。会計は後で頼む」


 軽装の鎧を纏った冒険者のようだ。


「俺も行く」


 もう一人、立ち上がった男がフェリクスの正面にいた。

 ロシェだった。


「フェリクスはここで待ってろ、俺はあの女冒険者を手伝うから」


 フェリクスは初めてロシェが帯剣していたことに気付く。

 鞘から見るに刀身の細い片手剣だ。

 普通の僧侶は儀式用の小型ナイフくらいしか刃物類など持ち歩かないのだが。


 そういえば、ロシェの纏う殆ど黒に近いつるばみ色の上下揃いの服は、長い袖や裾を広く取る僧服とは違って、全体に細身であるが腕や足回りにゆとりがあり、もっと動きやすさを重視した軍服のようだと思い当たる。


 心底驚きながらフェリクスは思わず若者の袖を引いて言った。


「あなたが行くんですか? 魔物退治は軍人か冒険者の仕事であって、僧侶の仕事ではありませんよ」

「多分あの冒険者の方が俺より剣の腕は立つと思うけど、でも女一人行かせる訳にもいかないだろ」


 ロシェは袖を掴むフェリクスの手を丁寧に外しながら、説得するように一瞬真っ直ぐ瞳を見つめ返してくる。

 それから彼も冒険者を追って外へ駆け出して行ってしまった。


 後に残されたフェリクスは、空になった手を顎に当て少しのあいだ天井を仰ぎ見たが、やがてにこりと笑って愛想よく店員を呼ぶと、


「お会計をお願いします。あの冒険者のお嬢さんの分も」


 2人分の代金を卓上に置いて、歩いて扉に向かった。


「西門というのはここのすぐ近くの市門ですね?」


 その背中に応対した店員が声をかける。


「まさかお坊さんも行くのかい?」

「……今出ていった彼ね、僕の上司なんですよ。上司走らせて僕がここでお茶飲んでる訳にもいかないでしょう」


 神官の仕事は神への加持祈祷を通して魔物の発生を抑えることであって、眼前に迫る魔物を剣で退治することでは絶対にないのだが。


 魔物から人々を守る、というのは確かに神官の責務だ。

 しかし人々を守るために魔物を物理で倒せとはどんな教義にも載っていない。


 フェリクスの知る普通の僧侶は剣を腰からぶら下げて歩かないし、ドラゴンを武力制圧しようなんて発想すら抱かないはずだった。


 あの若い祭主は、多分、相当、普通じゃない。

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