第72話

 その頃、今井に異変が起きていた。急に痙攣を起こして倒れたのだ。

「ニャー(寝室へ運んでやれ)」

 佐久間が言うと、与田と満島は、今井を抱えて運んだ。

「ニャー(俺がこいつの傍にいる。お前たちは部屋から出ていろ)」

 佐久間の言葉に、

「はい」

 と二人は返事をして出て行った。

「ニャー(戦っているんだな)」

 佐久間は今井を見て、悲しそうに呟いた。ベッドに横たわる今井の額には、冷たい汗が滲み出ていて、眉間にしわが寄り、苦しそうに見える。

 光の能力者は、同時に二人は存在しない。それが彼らの常識だった。しかし、現に二人いるのだ。もしかして、こんな稀な事象があるのかもしれない。もしかしたら、今井と『白き神』は一人が分裂したのかもしれない。色々な可能性を考えた。しかし、今の状況からすれば、『白き神』は今井と別れた片割れであることは確実だ。くれないが『白き神』を処刑して消してしまったら、ここにいる今井も消えて無くなる。しかし、処刑人の刑戮けいりくを、いにしえの者は止めることが出来ない。自らの手で、今井を消してしまったら、紅の心はどうなってしまうだろうか? それを考えると、佐久間は心に痛みを感じて、自分にまだ、こんな感情が残っていたんだなと自嘲した。


 これまで、古の者に対して、これほど感情に左右されたことはなかった。長い間、処刑人として古の者を処刑してきた佐久間にとって、慈悲や哀れみなどの邪魔な感情は、とうの昔に捨ててきたものだった。その呪いから解き放たれ、重責を逃れ、今こうして人の感情が持てるようになった。皮肉なことに、猫の身体ではあるが。それでも、仲間と共に過ごせることに幸せを感じていた。この幸せが壊れることが怖いと感じる。今井を失いたくはなかった。紅を悲しませたくはなかった。自分に何ができるのか? 佐久間は考えた。今井がなぜ分裂したのか。以前、今井から聞いた過去の話から、その真相を読み解くことが出来るかもしれない。


 今井の過去の話を、もう一度振り返ってみた。


 今井が初めて、自分の能力に気付いたのは九歳の時。近所の神社の神主の中に、人ではない者の存在を感じた。それは、きっと古の者に違いない。神主は神降ろしによって、自分の身体に神を宿したと話した。神主には力があり、古の者を支配出来ていたに違いない。出会った頃のくれないのように。その神主は、人の身体に宿した者が善とは限らないと、今井に忠告した。まだ幼い今井は、神主の中にいる者が悪ではないと感じていた。今井には、善と悪を見極める力があるのだろう。この時に、今井は自分の存在を善と悪、どちらであるかを見極めたのではないか? 『白き神』の姿が幼い子供であると聞く。それは今井の話から、九歳の今井の姿ではないか? しかし、見た目の違いがある。今井は生まれた時から普通の見た目だったのか? その話はなかったが、九歳になるまで、自分を普通だと思っていたのなら、見た目が『白き神』のような異質なものであるとは考えにくい。幼い今井が、何かをきっかけに、普通の今井と、『白き神』に分裂したのではないか? 今井の記憶から、今井は普通に生きてきた。分裂したことを知らなかったのだろうか? 今は本人から話しが聞ける状態ではないから、すべては自分の憶測にすぎない。しかし、魂が分裂すれば、片割れの存在に気付かないはずはない。ここにいる今井に魂があるのなら、分裂した片割れには何があるのか? 魂のない片割れは、どうして存在できるのか? 光の能力者については謎が多い。魂のない片割れは、なぜ、組織の主導者となって、世界征服を目論むのだ? 魂がないのなら、人の持つ欲もないはずだ。これには裏がある。古の者にとって、光の能力者は脅威だ。しかし、手の内に収めて、意のままに操ることが出来れば、世界征服などと言う馬鹿げた構想も、現実のものとすることも不可能ではない。まだ幼い今井の分身を手に入れ、『夜明け』の組織を作り上げた者たちがいるのだろう。敵の本拠地で戦う紅たちは、真実に辿り着けるだろうか? 本当の敵は『白き神』じゃない。裏で操る者たちを処刑しなければ、この戦いは終わらない。

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