アロマンティスト×アロマンティスト 3


 留守中、と書かれたプレートが掛けられた保健室のドアが静かに開いた。一人の女生徒が足を踏み入れる。


 女生徒は静かに移動し、利用者名簿を手に取った。一番上に書かれた『1年3組。出席番号1番。足高龍成』という文字に、細い指をそっと沿わせ、名簿を元の場所へと戻す。


 次に、ベッドへと足を向けた。ただし、カーテンが掛かっていない空きベッドの方ではなく、龍成が熟睡しているベッドの方へと。カーテンをめくって中へと入る。中腰になって龍成の寝顔を覗き込む。


 少女はしばし何かを考え、うん、と一つ頷いた。スマホを取り出しカメラを起動。撮影音が鳴らないようにサイレントモードも起動。そして龍成の寝顔を撮影し、


「また後日……今度は、起きてる時にお会いしましょう。足高あだか龍成さん」


 龍成が起きないように小声で、けれども決意表明のごとくはっきりと。


 再びカーテンをくぐって外に出る。利用者名簿に名前を書くこともなく、入ってきた時と同じように、静かにドアを開けて保健室から出ていった。


   ●


 クラスメイトの顔をしたパパラッチたちに追いかけまわされて、加賀和と一緒にいるところをスキャンダルだと激写される夢を見た気がする。


 夢見は最悪であったが、多少なりとも寝れたおかげだろう。気分はかなりマシになっていた。


 今何時だ、とベッドに横たわったまま時計を探す。が、見える範囲には見当たらない。腕を伸ばし、鞄の上に重ねて置いていた上着を取る。ポケットからスマホを取り出して電源を入れる。


 小仙上こせんじょう高校では携帯電話の持ち込みは許可されているのだが、授業中に着信音やバイブが鳴ると没収されてしまうのだ。どうせ茜以外に頻繁に連絡を取るような相手もいないのだからと、龍成は普段から、校内に入る前にスマホの電源を落としている。


 OSが立ち上がる。


 時計は三限目が終了する17分前。


 メッセージアプリに着信が一件。茜からだった。『任務完了』と書かれたスタンプ。時刻は朝のショートホームルームの直後。


 あ、これ既読付いたから、僕が起きたの茜にも分かるんじゃないかな。


 そんなことを考えながら、むっくりとベッドの上で起き上がる。ボリボリと寝起きで乱れた髪を搔いて、ふと思い立ってカーテンの隙間へと頭を突っ込んだ。保健室の中をぐるりと見回し、他に誰もいないことを確認する。


 今、ここでしか出来ないことをやろうと思う。


 鞄を掴んで中身を見る。どこだ、適当に突っ込んだせいで見当たらない。弁当だけは避難させ、鞄をひっくり返してベッドの上にぶちまける。


 国語の教科書。違う。数学。違う。英語。違う。主婦の献立レシピ365選。これも違う。


 一通り探してみたが見つからず、今度は一冊一冊の背表紙を掴んでバサバサと振りながら確認する。捜査が8割ほど進んだ頃、歴史のノートの中から目的のブツは発見された。



 ラブレター。



 深呼吸をして精神を集中させる。先週、加賀和からのラブレターを読んでいた時に気付いたのだが、ラブレターに書かれている文章はゴリゴリと思春期の精神力を削ってくるのだ。読む方もこっ恥ずかしくて堪らない。恋愛のパワーってすごい。よくもまぁこんな内容を人に見せられるものだと龍成は思う。あの時に最後まで読めたのは、授業中という特殊な環境だったことが理由に違いない。


「……よし」


 気合を入れる。高校入試の時に受けた面接の何倍も緊張する。


 ラブレター、開封。


 当然ではあるが、加賀和とは筆跡が違った。加賀和が少し丸みを帯びた女の子らしさのある文字だったのに対して、今回のラブレターの筆跡は、まるで鉛筆習字のお手本のように美しい。


 文字の美しさとは裏腹に、恋する乙女の切実な心情を綴った文章が並ぶ。思わず身悶えしそうになるのを、必死に耐えながら読み進める。落ち着きなく身体が揺れる。


 読み終わった。加賀和から貰ったものとは趣の異なる、あいにく龍成はそちらの方面には疎いので恐らくでしかないが、文学的名作の表現が多用されたラブレターだった。


 どうして疎いのに文学的名作の表現だと思ったのか、それは呼び出し場所に、図書館の裏に来てください、と書かれていたのが理由だ。


 便箋の最後には、季節の締めの言葉の後に、差出人の名前が書かれていた。


 弘原海わだつみ佳奈芽かなめ


 ご丁寧なことに、小さな文字で漢字の上にひらがなでの読み方までもが書かれている。正直、弘原海を何と読むのかが分からなかったので、地味ではあるが嬉しい気遣いであった。


 知らない名前である。が、それも当然だった。弘原海わだつみ佳奈芽かなめという名前の前に書かれている文字を見れば理由が分かる。


 二年一組。


 上級生。


 首を傾げる。加賀和は分かる。同じクラスで、4月の間は隣の席で、多少なりとも交流はあった。別のクラスの女子も、まぁ分かる。なんだかんだで学年は同じなのだ。龍成の方には全く覚えがないのだが、もしかしたら中学の頃にでも、どこかで会っていたのかも知れない。高校デビューなんて言葉もある事だし。


 弘原海。


 分からない。


 龍成は部活に入っているわけでもないし、知り合いと呼べる先輩もいない。茜との噂話のせいで、龍成のことを一方的に知っている先輩たちなら大勢いるのだろうけれども。


 あ、なるほど。なんでもなにも、自分で答えにたどり着いているではないか。龍成のことを一方的に知っている先輩たちなら大勢いるのだ。この弘原海という先輩も、その中の一人に違いあるまい。


「モテ期到来、か……」


 今朝、茜に言われた言葉を思い出した。先週のトップカースト女王様と、ポニーテール委員長に引き続き、この短期間で三人目。妄言と一言で切って捨てるべきではないのかも知れない。



 全く、これっぽっちも、嬉しいとは思えなかった。



 だいたいなんで僕なんだ。こういうのは毎日教室の中央を陣取ってアホ面さらしてウェイウェイ鳴いてるウェイウェイゼミもとい瀬見のグループ辺りから選ばれるべきではないのか。


 茜は凄い。今さらながらに幼馴染の少女に尊敬の念を抱いた。並み居るラブレターの送り主たちをちぎっては投げちぎっては投げ、敗者の山を築き上げた。いや、今もなお築き続けている。完成予定日は未定である。


 たとえ同じ状況になったとしても、自分にはあんな真似は出来そうにない。


 音を立てて保健室のドアが開く。咄嗟にラブレターを主婦の献立レシピ365選の中に滑り込ませる。


「あら、もう起きて大丈夫?」


 カーテンの隙間から顔を覗かせたのは、養護教諭のオバチャン先生だった。


「はい。かなり楽になりました」


「そう。ところで、それは何をしてるの?」


 ベッドの上に広がった、教科書やノートを指差された。


「あー、その……。今日の時間割の内容、持ってきてたか不安になって。すぐに片付けます」


「そう。まだ休んでいく?」


「いえ、もう大丈夫だと思います。四限からは出ます」


 そそくさと荷物をまとめる。いつもの癖でベッドメイキングを行う。お世話になりましたーと言いながら保健室から出る。


 三限目の終了を知らせる、チャイムの音が鳴った。


   ●


「あ」


「あら、おはよう。それとも、こんにちはかしら、お寝坊さん?」


「……おはよう、加賀和さん」


 教室に入ると、真っ先に加賀和に声を掛けられた。


「保健室に行ったって聞いてたけど、もう大丈夫なの?」


「ああ、うん。ちょっと昨日は寝付けなかっただけだから」


「そう。だけど、もうすぐ季節の変わり目だから、体調を崩さないように気を付けてね」


 先週に告白されたのが無かったことになったかのような、以前と同じような態度。ありがたいことであるはずなのに、自然であることが不自然だと思ってしまう。


 もしかして、と思う。もしかして、龍成が気付いていなかっただけで、加賀和との個人メッセージ画面に「告白は断られたけど、これからも前と同じようによろしくね」なんてメッセージが届いていたのではないだろうか。確認したくて堪らない。が、スマホはもう電源を落としてしまっている。


「凛ー! 宿題! 宿題写させてー!」


「こら、写すのは駄目。解き方なら教えてあげるから」


「次の授業で提出なんだからそれじゃ間に合わないー!」


 他の女子に呼ばれて、加賀和はそちらへと行ってしまった。ぼうっと歩き自分の席に着く。鞄から数学の教科書とノートを取り出す。ウェイウェイゼミとそのゆかいな仲間たちが今日も元気に鳴いている。廊下を誰かが走る音が聞こえる。


「あっ、リュウいたー! もーまたスマホオフにしてるでしょー。保健室に様子見に行くってメッセ送ったのにー」


 茜だった。急いで保健室から戻ってきたらしく、少し息を切らしていた。


「茜」


「なぁに?」


「……数学の宿題、写させてくれ」


 四限目開始のチャイムが鳴る。数学教師の中村が教室に入りながら「おらーさっさと座れー授業はじめっぞー」と気だるげに呼びかける。


 宿題を写す時間は、一秒たりとも無かった。

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