第二十四話 エナの祈り

 ダンジョンにもぐる前の日の夜、三人は湖から少し森に入った所でキャンプをしていた。


 焚き火を囲んで食事をした後、エナはリンカから渡された手紙をぼんやりと眺めていた。出発してからもう何度も読んでいたので、書いてある内容はすっかり頭に入っている。


 手紙の内容は次の通りである。


 エナ、昨日の夜、夢を見たわ。湖のほとりであなたはリーサンに回復魔法をかけていた。リーサンは体中に怪我をしていたけど、あなたは無事のようだった。もしかしたらダンジョンで危険な目に会うかもしれない。どうか気をつけて。この夢が現実にならないように祈ってる。リンカ


 リンカは昔からよく予知夢をみた。夢の通りになることもあれば、そうでないこともあった。そして、夢を知っていたからこそ回避できたように思えることもあった。


 エナは無事に湖までたどり着くことが出来たので、ひとまずほっとしていた。しかし明日のダンジョンに、もしくは帰り道に危険があるのかもしれない。気をつけなければ。


 そんなことを考えていると、エナはふと誰かが横に立っているなような気がして顔を上げた。しかし誰もいなかった。自分は少し神経質になっているのだろうかと思った。


 湖のほとりに行ってみようかと考えていると、リーサンが手紙について聞いてきた。エナは余計な心配をさせたくなかったので、とっさに嘘の内容を言って席を外した。


 立ち上がって湖に向かおうとしたそのとき、エナは心臓が止まりそうになるほど驚いた。ほんの一瞬だが、すぐそばに立っている誰かと目が合った気がしたからだ。しかしそこには誰もいなかった。


 さっきから何か周囲に違和感を感じているエナは、急いで湖のほとりまで来ると、セミトランス状態になるために膝をついてお祈りをした。周囲の音が遠のき、感覚が研ぎ澄まされていく。エナの目が青く光って、深いセミトランス状態に入った。


「セミトランス……」


 聞き覚えのあるその声にハッとして見上げると、体中に傷を負って血だらけのリーサンが立っていた。


「リーサン! リーサン、あなただったんですね? その体の傷は……」


「エナ、見えるんだね」


 リーサンは大怪我をしているのにもかかわらず、穏やかな表情で落ち着いていた。


「ダンジョンで何かあったんですね!? リーサン、何があったのか教えて……!」


「きみの声が聞こえないよ」


「そんな……リーサン、なぜこんなに傷だらけなんですか……アンは無事なんですか?」


 リーサンは答えてくれず、エナを見て優しく微笑んでいた。エナは涙が込み上げてきた。


「すまない。ダンジョンできみとアンを失ってしまった」


「そんな……あなたは……リーサンあなたは無事なんですか? 今どこにいるんですか?」


 リーサンは、エナの問いに答える代わりにその手を取って、何かを手の中に握らせた。リーサンの手はとても冷たかった。


「これは精霊のログライトだ」


 エナが手を開いて見ると、そこには美しいペンダントがあった。


「きみによく似合うと思う」

 

「だめです……行ってはだめです、死なないでリーサン……!」


 エナはリーサンの両腕をつかんで回復魔法をかけた。今のリーサンに回復魔法が効くかどうかは分からない。しかし、エナは必死でリーサンの傷を癒やそうとした。すると精霊のログライトの力だろうか、自分でも驚くほど強い光の粒子がリーサンを包み込んだ。


 リーサンはしばらく目を閉じて光に包まれていたが、やがて目を開けると、エナを真っ直ぐに見つめて言った。


「もう十分だ。ありがとうエナ。さよなら……エナ」


 リーサンは穏やかに微笑みながら、静かに消えていった。


「リーサン……」


 エナはこれまでの経験で悟っていた。いま自分が見たことは、実際に起こったことだ。リンカの夢と違い、結果を変えることはできない。だからこそ、そこにいたるまでにやるべきことを、出来ることをするしかないのだ。


 エナは湖の冷たい水で顔を洗い、深呼吸をして心を落ち着かせ、そして森の中へ戻っていった。




 次の日、朝からエナは落ち着かなかった。これから三人に何が起こるのか。そして自分のやるべきことは何なのか。そのことが頭から離れなかった。


 ダンジョンに入ってから、今回は調査を切り上げて引き返そうとなったとき、エナは心がとても軽くなった。もしかして違う結果にたどり着くことが出来るのではないか。そう期待したのだ。


 しかし期待は外れ、ついにその時がやってきた。


 ダンジョンの中でアンの前に立ちはだかった大きな騎士の魔物。リーサンがその騎士の槍で体を貫かれた瞬間、エナの目に涙が溢れた。


 そしてアンが騎士の魔法で吹き飛ばされ、その傷だらけの体がぐったりと崩れ落ちたとき、エナは心を決めた。アンだけは、愛する妹だけは自分の命に代えてでも守らなければ。


「エナ……アンを……!」


 リーサンがそう言ったときにはもう、エナの体は走り出していた。騎士の横を抜けてアンのところへ行き、その体を抱きかかえて回復魔法をかけた。


 騎士を足止めしようとするリーサンがさらに攻撃を受けて倒れた。しきりにエナに逃げろと言っている。しかし、もう騎士は目の前に来て、その冷たく光る目で二人を見下ろしている。


 「ありがとう……リーサン、さよなら……リーサン……」


 エナは目を閉じた。リーサンの命が助かることを願い、そして最後の言葉を言った。


「……きっとまた逢えるわ」

 

 騎士が呪文を唱えると周囲の地面がひび割れて、そしてアンとエナを飲み込みながら一気に崩れていった。


 自分はどうなってもいい、アンだけは助かってほしい。エナは暗闇の中を落ちながらアンを強く抱きしめた。そのとき、エナの胸のあたりが急に熱くなり、強い光が周囲を照らした。


「この光、精霊のログライト……?」


 エナはアンを片手で抱きながら、胸の中からペンダントの青い石を引っぱりだした。光はさらに強く輝いた。


「お姉ちゃん……」


 耳元でアンの声がする。


「精霊のログライト、どうかアンを助けて……!」


 エナがそう言うと同時にログライトの光が一気に強くなり、アンの全身を包み込んだ。エナはアンを強く抱きしめる。二人はさらに穴の中を落ちていく。


「お願い、お願い……!」


 そして次の瞬間、エナの腕の中にいたアンは光と共に消えた。エナはそれを見届けると、ゆっくりと目を閉じて、漆黒の闇の中を落ちて行った。




第二十四話 エナの祈り ――完

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