第十二話 二人の消失

 人魚の精霊はけわしい顔をしたまま、三人の後ろにある森の方を見つめていた。


「はやく……! 海岸沿いを丘へ向かって逃げて下さい! 音は立てず……はやく!」


 リーサンは自分たちの後方から何か危険がせまっているのだと理解し、アンとエナの腕を取ってその場を離れた。精霊の方を振り返ったとき、彼女が岩から降りて海の中へ潜るのが見えた。


「リーサン……」


 広い岩場まで来たとき、エナが不安そうにリーサンの腕を掴んだ。エナの手が震えている。気がつくと雪が降りはじめていて、三人の吐く息も白くなっていた。


「大丈夫、とにかく扉まで戻ろう」


 そう言ってエナをなだめた瞬間、すぐそばで乾いた金属音が鳴った。前を行くアンが立ち止まり、腰の剣を抜いた音だった。


 アンの前に、異様な姿をした何かが立っていた。


 その姿はまるで呪われた騎士のようで、背丈せたけはリーサンの二倍ほどもあり、身体を覆う黒いマントから甲冑かっちゅうの腕と脚が覗いている。顔は兜で覆われていて、その中で青く光る右目がアンを見下ろしている。


 リーサンはアンの前に立つその騎士の姿に、心臓を鷲掴みにされるような恐怖を感じた。森にいたドラゴンやトロルどころではない。とても戦える相手ではないと本能が訴える。


「アン……!」


 エナが声にならない声を出した。アンは両手に剣を握ったまま、騎士と向かい合って動かない。


 騎士は何の前触れもなく、その手に持っていた大きな槍でアンを突き下ろした。アンは体を回転させてそれをけ、その体勢から二本の剣で力いっぱい騎士の足を斬りつける。


 ギギンッ! 火花が飛び散ってにぶい金属音が鳴ったが、騎士は全く動じない。


「火炎!」


 ドゴンッ……エナが放った魔法が騎士の頭部に炸裂した。騎士はエナを一瞥しただけで、すぐにまたアンの頭上めがけて大きな槍を振り下ろした。


 アンは剣を頭の上で交差させて何とか受け止めたものの、剣は二本とも弾き飛ばされ、そしてアンはその場に倒れ込んだ。


 騎士は間髪入れずに三度目の槍を突き下ろす。アンは動かない。いや……動くことができない。


 とっさにリーサンはアンと騎士の間に飛び込み、太刀で騎士の槍を払った。太刀が折れる高い音が響き渡り、同時に右肩に激痛が走った。払いきれなかった槍が、肩から背中まで貫通したのだ。


「リーサン!」


 エナはとっさに後方から回復魔法を放つが、リーサンが受けたダメージには焼け石に水だった。エナの青く光る目からぼろぼろと涙がこぼれている。


 アンは剣を拾って立ち上がると、素早く騎士の後ろに回り込み、上段斬りの構えで飛び込んだ。


「アン……やめろ!」


 叫ぶリーサンの傷口から血が噴き出る。自分に突き刺さった槍を抜かせまいと、両手で槍を掴んだ。騎士は後ろから飛び込んでくるアンに、半身をひるがえして手のひらを向けた。


鎌風かまかぜ……」


 バシュン! 空気を切り裂くような音とともにアンは吹き飛ばされ、後ろの岩に強く打ちつけられた。糸が切れた操り人形のようにぐったりと崩れ落ちたアンの体には、無数の切り傷がついている。


「エナ……アンを……!」


 エナは騎士の横を走り抜けてアンの元へ行き、アンを胸に抱きながら回復魔法を唱えた。アンはぐったりしたまま動かない。


「なんて……なんてことに……」


 リーサンはこのとき、自分の命を捨てる覚悟を決めて騎士の片足にしがみついた。


「エナ! アンを連れて逃げるんだ! はやく!」


 騎士は足にしがみつくリーサンを簡単に振り払い、そのまま甲冑の足で踏みつけた。肋骨が何本も折れる音がして、リーサンの口からは血が流れた。


「逃げろ……エナ……はやく……」


 騎士は姉妹の方へと歩いていく。エナはアンを胸に抱きしめたまま近づく騎士を睨んでいる。騎士は二人の近くまで来ると立ち止まった。エナはもはやなすすべがないことを悟り、リーサンに言った。


「ありがとう……リーサン、さよなら……リーサン……」


 そしてエナは静かに目を閉じると、祈るような気持ちで最後の言葉を言った。


「……きっと、また逢えるわ」


 騎士は右手を突き出し、手のひらを二人に向けた。


「奈落……」


 騎士がそう唱えると、二人がいる地面がひび割れ始めた。そして、アンとエナは粉々になった地面と一緒に、吸い込まれるように地中深くへと落ちていった。


 やがて辺りは静かになった。さっきまで二人がいた場所には、大きな穴が口を開けていた。穴の中は、深さが分からないほどの漆黒の闇だった。


 いつのまにか、雪が強く降っていた。


「嘘だろ……アン……エナ……」


 騎士は倒れているリーサンから無造作に槍を抜くと、そのまま森の中へと消えていった。


 リーサンは冷たい地面の上に倒れて、ただ穴の中に落ちていく雪を見ていた。




第十二話 二人の消失 ――完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る