死縁
すぐり
縁側
親愛なる家族へ。
憧れというものは厄介で、子供の頃に思い描いた理想や抱いた憧憬は、大人になった今でもふとした瞬間に脳裏に浮かんでは心を掴んで離さなくなる。これを見ている貴方の心に浮かぶのはどのような景色だろうか、どのような物だろうか、あるいはどのような人だろうか。
このあまりにも強すぎる一種の拘束に似た感情は、決して消え薄れるものではなく、時には人に選択を誤らせることもある。そんな憧憬という名の呪い。
それが私にとっては縁側だったのです。
本当に些細で幼稚な理由。
風鈴の音が蜩の聲に混ざり、細長く伸びた縁側から覗く青い空と、揺れる木々。どこかで見た写真かドラマ、映画に影響されていたのでしょう。そして私は自分の人生に縁の無かった縁側へと想いを馳せ、気が向くとある遊びをするのです。遊びというか、ただの空想、妄想。心に空いた無色透明な空白を埋めるかのように、心に浮かぶ景色の中を自分の家かの様に徘徊する。ただそれだけです。
その昔、想像した家の中を徘徊中に誰か人と遭遇すると、霊感があるという話もありましたが、きっとそれは血液型診断や都市伝説と言った眉唾物の類でしょう。私はいつも誰かの影を見るけれども、霊感なんてないので。
貴方も是非、今から書く私の妄想を自分の家だと思いながら読んでみてください。えぇ、是非ただいまを忘れずに。
目を瞑って空想の日本家屋を思い浮かべるとしましょう。
ただいまと言いながら、摺りガラスが木枠に収まった薄い引き戸を開けると、ガラスの揺れる騒々しい音と共に、目の前に広がるのは薄暗くじっとりと湿った玄関。靴を脱いで板張りの廊下を進むと、体感温度が下がったような冷えた空気が肌を包み、じっとりとした気味の悪さを憶えるのです。
目につく扉を幾つか開けると、寒色で整えられた台所や、タイル張りのお手洗い、畳の広がる居間を始め次々と家の間取りが明らかになり始めます。たまに開かない扉や、生活感の溢れる汚れた部屋、不自然に作られた壁など、空想ならではの整合性の無い空間が現れるのも、頭の中で間取りを作り上げる楽しみであり面白いところでしょう。
そして家を探索し終える頃に目の前に現れる襖を開くと、こじんまりとした仏壇を見つけるのです。いつもその仏壇からは線香の紫煙がゆらりと三本昇り、線香の香りが鼻腔に届く頃になると部屋の向かい側で開く白い襖。誘い込むように広がる薄暗い空間。
その空間の奥には青白い光が漏れる障子があった。
障子の向こうを横切る誰かの影。
私は無意識に障子を開けるのでした。白い空から吹く涼しい風が細長い廊下を抜ける。障子の向こうには、柔らかな光が降り注ぐ縁側と、そこから広がる青い木々や揺れる草木が並ぶ庭。つまり私の理想の景色なのです。
これは割とある話ではないでしょうか。どんな空想や妄想をしても最後は自分の理想が反映され、いつも同じ結末に辿り着くということが。
私の空想も最後は縁側に辿り着き、ポケットから取り出したボタンのようなものをハンカチに包んで、縁側から投げ捨てるところで終わってしまうのです。いつも、いつも。全く同じ結末。
どうだったでしょうか、これが私の遊びなのです。
しっかり自分の家のように探索してくれましたか。
この奇妙な場所を自分の家だと思うと気持ち悪いけれども、気持ち悪さの中に奇妙さや不気味さが感じられるのが、少し楽しいところでもあります。
子供のころから何度も繰り返し続けた空想。その空想の中で、私が憧れ、焦がれた日本家屋の縁側はいつかどこかで見たことのある景色だったです。そう、どこかで。
そして私は、そのどこかを最近思い出しました。何故だか今まで思い出そうとしなかった記憶。その思い出した先で薄っすらとした縁側の景色が脳裏に過ったのでした。
それは幼い頃、二度ほど遊びに行った親戚の家。人里離れた田舎に佇む、どこか寂れた大きな日本家屋の一軒家だった。マンション暮らしに馴染んでいた私には、その大きさに驚き、憧れを抱くのです。さらには、目の前に現れた絵に描いたような理想の縁側。
そう、ドラマでも映画でもなく、実際に存在した親戚の薬袋家のことだったのでした。
しかし、その時の私には分からなかったのです。この世には思い出さなければ良いこと、忘れてしまっていれば良いことがあることを。そして、憧憬という名の呪いは深く私を縛り付けてしまうということを。
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