第20話

 聞き覚えのある笛の音に、ドネシクを始め議会メンバーたちの顔色が青くなる。


「馬鹿な! 今はまだ昼間だぞ! 妖魔の動く時間ではないではないか」


 三大商会の会頭の一人、バルミット商会のゼルスが椅子から腰を浮き上がらせた。他のメンバーや傍聴席も騒然とする中、カーズは指先をドネシクに突きつけたまま、続けた。


「望み通り、我々は汚れ役のならず者部隊で結構。その役割に文句はない。ただしこちらの条件を一つ呑んで頂こう。退職金の上乗せを認めろ。最低の屑だとしても、俺たちを人間として扱え!」

「そんなもの、認められるか! そんなことよりもギルバートをなんとかしろっ!」


 状況の飲み込めていないドネシクがわめく。


「オイオイ、そんなことなんてこたあ、ねえだろうがよ」


 扉が開き、スキンヘッドに黒い肌の男が入ってきた。片手を吊って固定したその男の後ろから、ぞろぞろと第二部隊の面々が続く。


「リーガル、何故お前まで来た」

「ああ? 最後の挨拶だよ。退役するまでは俺も第二部隊隊員だろが。仲間外れにすんなや、隊長さんよ」


 カーズの問いにリーガルが低く唸るように答える。

 リーガルの後ろにいるウィークラーが、苦虫を噛み潰したような表情で立っていた。真面目なウィークラーのことだから、リーガルを止めたのだろう。あの表情からして、リーガルに丸め込まれたのだとカーズは推測した。


「言っておくがよ、お偉いさんたち。隊長を辞任させるなら俺たち第二部隊隊員、全員が今この場で辞めてやんぜ」


 鷲鼻のジェイが、自分の手で首を切る真似をする。


「そうなりゃあ、困るだろうな」


 訳知り顔で、トッレが無精髭の生えた顎を撫でた。


「おうおう、隊長以外に誰がギルバートと殺り合うよ? ご自慢のエリート部隊様かあ?」


 へっへっへと、猫背のディックが笑う。


「無理無理。あっさりヤられるのがオチよぉ」


 三白眼のラナウンがこれ見よがしに手を振った。


 がっはっはと笑い声を上げる第二部隊隊員たちを前にして、ドネシクが怒りに体を震わせた。


「貴様らっ! 誰がここに来ることを許可した! 出ていけ!」

「おや? いいのですか? 彼らが居なくなれば私たちを守るのは、第一部隊だけになりますよ」


 三大商会会頭席に座ったラナイガが、柔らかい声音で口を挟む。


「我ら第一部隊にお任せを。必ずや議会長をお守り致しましょう」


 第一部隊隊長ライズ・マルガヤが議会長へ進み出た。元々白い肌は怒りと恐怖からか蒼白になり、薄い唇がひくひくと動いていた。彼ら第一部隊は訓練を受け、国民へデモンストレーションの演武をするのみで実戦経験はない。訓練通りにやればなんとかなると思っているのなら、舐めた話だ。


「お前らエリート部隊に俺が止められるのかよ!?」


 何もない空間からくくくという嘲笑が響いた。

 声と共に拳が現れ、ライズの頬にめり込む。白の制服に包まれた長身がなす術もなく吹き飛ばされ、側に立っていた進行役の男を巻き込んで沈黙した。


「ギルバート!」


 隅に控えていた第一部隊隊員が剣を抜いて斬りかかった。流れ弾が当たる可能性のある銃は使えない。お手本のような綺麗な剣の軌道を、すっかり姿を現したギルバートが鼻で笑って避けた。空いた腹に拳を食らわせて床に沈める。続けて回し蹴りが隣の第一部隊隊員を直撃、ギルバートの拳と足が次々と炸裂した。


「ひいぃ」


 情けない悲鳴を上げて腰を抜かしたドネシク議会長が、その場にへたりこんだ。また一人、第一部隊隊員がギルバートに挑み撃沈された。


「カーズ! 何をしている! はやくギルバートを殺せ!」


 ずりずりと後退るが、直ぐに壁がドネシクを阻む。


「条件は一つだと言っただろう。退職金の上乗せを認めろ。でなければ辞任は今この時だ」


 演壇の前から動かずにカーズは冷たく応じた。自分の都合だけを押し付けてくるドネシクに吐き気がする。


「だとよ。大人しく俺に殺されとけや、ドネシク」


 ギルバートが剣を肩に担いでにやにやと笑った。既にこの場にいた第一部隊隊員は皆、戦闘不能だ。ゆっくりと見せつけるように一歩だけ進む。


「ざ、ザイーシュ総隊長! 第二部隊はお前の部下だろう! ギルバートを殺すよう命令しろ!」

「確かに第二部隊は私の下にあるが、ドネシク議会長。貴殿と私の立場は同じ位置にある。貴殿に命令される謂れはない」


 議会を取り仕切る議会長は、この場でのリーダーではあるものの、立場上で議会メンバーに優劣などないのだ。


 悠然と席に座ったまま、腕組みをして動かない治安維持部隊総隊長ザイーシュ・グラスの落ち着いた態度に、ドネシクが眉をひそめる。ザイーシュやラナイガだけではない。この事態に慌てているのは、ドネシク議会長とバルミット商会会頭ゼルスだけであった。


「さあ決断しろ。このままギルバートに殺されるか。第二部隊の力を頼るか」


 ドネシク議会長が忙しなくカーズとギルバート、議会メンバーたちへ目線を動かした。柔和に笑うラナイガと目が合う。好好爺たるラナイガの、微笑みの下から覗く目の光に、気圧されたように顔をひきつらせた。


「退職金の上乗せを求める!」


 腹の底に力を入れてカーズは言い放つ。ドネシクが滑稽なほどびくりと体を震わせた。

 ギルバートが無言で邪魔な議会長席に手をかけ、いとも簡単に備え付けの机を床から剥がした。


「わ、分かった! 認める! 認めるから、助けてくれ!」


 人間の力を超えた怪力を見せるギルバートに、すっかり顔色をなくしたドネシクが叫んだ。


「いいだろう」


 派手な音を立てて砕け散る議会長席を尻目に、カーズは演壇から一段高くなっている議長席のあった床へ立った。

 ギルバートが持っていた議会長席を後ろの壁に放り投げる。議会長席は派手に粉砕して、床に転がった。


「カーズ。査問会があったってのもあるがな、俺ぁ、お前とやるときは昼間にしようと決めてたんだぜ。その意味が分かるな?」


 妖魔の力は夜に増す。反対に昼間は高位妖魔でもなければ力を発揮出来ない。中級である筈のギルバートなら、姿を消してここへ来たのが限界だったろう。つまり身体能力こそ人を超えるものの、他は人間と同じ状態だ。

 ギルバートは人としての勝負を望んでいる。

 カーズはギルバートを見据えたまま大きく頷いた。


「分かっています、隊長……いや、ギルバート」


 隊長と口にしてから、カーズはギルバートの名を言い直す。


「一つ聞きます。妖魔の制御は……」


 剣を抜くカーズの問いかけにギルバートは小さく笑った。


「あんまりギルバートに幻想を抱くな。妖魔の制御も何も、ギルバートは喰っちまった後だ。俺は妖魔。記憶と意思を引き継いでいるだけだ」


 剣を握りしめる手には、血管が浮いている。


 第二部隊の隊員たちが、議会メンバーたちを傍聴席へ移動させている。移動が完了するまで待てそうになかった。ギルバートの視線は剣を構えるカーズに固定されている。


「さあて、殺し合いといこうぜ。カーズよおっ!」


 肩に担いでいた剣を下ろし、ギルバートが吠えた。

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