第17話

 リーガルを運び込んだ病院で、消えたギルバートを追ったハヤミから、カーズは妖気を見失ったという報告を聞いた。


「ギルバートの旦那は戦いに長けたお方ですからねィ。気配を消すのと同じ要領で妖気を消したんでしょう。それじゃァ、アタシはこれで失礼しますよ」


 ミズホ国の『デンキ』や『珠玉』たちは、妖魔の発する妖気というものが見えるという。妖気は人の発する気配と似ていて、宿主や妖魔によっては上手く隠すらしい。ギルバートはそれに該当したようだ。残念ながらハヤミたち『デンキ』の能力で追うことは出来ない。


 ハヤミを見送ったカーズは、病室に入った。


「物を握れなくなる可能性があるんだとよ」


 病室のベッドに背を預けたリーガルは、にっと白い歯を剥いた。


 傷そのものは治るが、問題は肘の腱と神経を断裂だ。傷が治っても相当な痛みが出たり、力が入らなくなるらしい。

 リハビリには相当な時間がかかり、例え後遺症が軽くとも妖魔と戦うことは厳しいだろう。


「ま、どっちにしろ、リタイアだな。俺にはいい潮時だぜ」


 リーガルがさばさばと無事な片手を振った。


「……リーガル。すまなかった」

「おいおい、よせよ。隊長さんよ」


 頭を下げるカーズに大袈裟に溜め息を吐いた。


「自分のせいだとか、償おうとか思うなよ、カーズ隊長。あんたがレイブンの店の資金出して、すっからかんなのは知ってんだぜ。嫁さんも貰ったばかりだろが」


 夜が明けた窓から入る光が、リーガルの黒い肌に巻かれた包帯を白く照らしている。壁もベッドも白い病室に、リーガルの黒だけが浮いて見えた。


「ったく、辛気臭い面しやがって。何もかも背負いこもうとすんじゃねえよ。こっちが迷惑だっつんだ。チッ、あんたの悪ぃ癖だぜ」


 半身を起こし、リーガルはベッドへ行儀悪く胡座を掻いた。不機嫌そうに白い歯を剥いてみせる。


「人生は博打みたいなモンだ。どう転ぶかなんて分かりゃしねえ。俺はあの場で自分の心に従って行動した。賭けた結果が、勝ちだろうが負けだろうが、後悔も文句もねえってのが俺の信条なんだよ。こればっかりは、あんたにもどうこう言わせねえぞ」


 胡座を掻いた足を苛々と貧乏揺すりしてから、リーガルはむっつりとカーズから顔を背けた。


 喉に引っかかった謝罪の言葉を、カーズは飲み込んだ。今それを言うのは無粋だ。それはリーガルという男を貶める。


 リーガルは賭け事が好きだ。給料が入れば最低限の生活費以外は殆どつぎ込む。

 勝ち負けの是非には執着しない。どちらになるか分からないあの感覚が好きなのだと、日頃からのたまっていた。

 自分のしたいようにし、結果がどう転ぼうとも割りきるのがリーガルの生き方だった。それを、他ならぬカーズが否定してはならない。


 カーズはただ無言で頷いた。窓の外へ顔を向けているリーガルからは見えなくとも、伝わっているだろう。そんな確信があった。


「人生は博打だ。勝つか負けるか。昔の俺はよ、ど田舎で働いて働いて、野菜作るしか取り柄のない親父は負けだっつってよお。決めつけて馬鹿にして、大喧嘩して飛び出してきた訳よ。俺はああはならねえ、勝ってやるって意気込んで都会に出てきたものよお、へっ、結果はざまぁねえ」


 あくせく働く日雇いの重労働はリーガルの性に合わず、路地裏で燻っていた。


「本当に負けていたのは親父じゃなくて、俺だったんだよなあ」


 同じような連中の一人が宿主となり、なす術もなく殺されかけていたところをカーズたち第二部隊が助けた。ここで命を拾っても少し寿命が延びただけだと溢したリーガルへ、なら第二部隊へ入るかと言ったのはカーズだった。


「右手が使えなけりゃ、左手がある。ま、死ぬことを思えばなんだってやれらあ。そんな風に思えるようになったのはよお。第二部隊にいたからだぜ」


 窓から視線を剥がしたリーガルが、厚い唇を大きくつり上げた。


「俺はよお。家を飛び出したことも、路地裏で燻ったことも、第二部隊に入ったことも、リタイアすることも後悔はねえんだ」


 掻いた胡坐の上に無事な左手のひじを乗せて、頬杖をつく。


「正直、第二部隊の悪評も、あんたが拘る『消耗品』ってやつも気にならねえ。そう言われてもしょうがねえ奴らの集まりじゃねえか、俺らはよ」


 第二部隊の大半は、犯罪予備軍で宿主と紙一重だ。第二部隊に入らなければ、何かしらの妖魔事件を起こしていただろう。入隊していても、事件を起こして宿主になった者もいる。同室だったリッジや、ギルバートのように。


「俺ぁ、帰ろうと思えば帰る場所がある。嫌って逃げてた農業を継ぐのも、今はいいもんだと思ってるしよ。他の奴らに比べりゃあ、幸せなもんだ」

「ああ、そうだな」


 引っ掛かっていた言葉をようやく吐き出して、カーズは苦く笑った。


「ま、悪いと思うならここの入院代は頼むわ。この間スっちまって金がねぇんだ」

「分かった。それはいいが、これからは賭け事も大概にしろよ」

「あぁ? 聞こえねぇよ」


 後は他愛もない言葉を交わし、カーズは病室を後にした。


****


「それから数日、事態は進展しなかった。ギルバート隊長が動かなかったわけじゃない。ナナガ国国議会メンバーの官邸に姿を現しては、護衛の第一部隊隊員を蹴散らし、また姿を消すということを繰り返した」

「官邸にだけ、ですか?」

「ああ、官邸だけだ。怪我人もなしだった」

「妖魔や宿主が人間を喰えないのではなく、喰わないなんて」


 ウィークラーが不思議そうな顔になった。妖魔を生んだ者は必ず人間を喰おうとする。人間を喰う力を持たない下級妖魔でさえ、逆に狩られるのに、人間を襲おうとするほどだ。


「ギルバート隊長には目的があったのさ。妖魔の本能よりも大事な目的が」


 氷が解けてほどよく薄まった酒でのどを潤すと、カーズは続きを語った。


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