第12話

 最初の取材は、貧民街スラムの一角だった。


「娘が殺されるほどの何をしたっていうのさ」


 汚い染みのついた壁に背をつけて、地べたに座り込んだ女は、ウェルドとカーズに恨みがましい目を向けた。


 ナナガ国は大陸の中央に貿易拠点として商人が集まった結果、成り立った新興国だ。国としての歴史は浅く、貧富の差が激しい。ほんの一握りの富裕層と少しばかりの中間層、残りの大多数は貧困層だ。

 女も例に漏れず、ナナガ国の大半を占める貧困層だった。


「確かに、盗みはよくないさ。でも、盗みでもしなきゃ食ってけないんだ。裕福なやつらからちょっと拝借して何が悪い! なのにあいつら、ドジ踏んじまった娘をよってたかってなぶって、なじって、盗人だ、罪人だと、勝手に決めつけやがって。妖魔が生まれちまったじゃないか!」


 ぎっしりと詰め込まれるように建った安アパートは、背の高い建物の陰になっていて昼間でも薄暗い。

 何処からともなく漂うすえた臭いは、風通しの悪さも相まって貧民街の象徴の一つだ。


 安アパートに住めている者はまだいい方だ。女は安アパートではなく、安アパートが建ち並ぶ路地の片隅で、新聞と木箱で小さな居住スペースを作っていた。

 数日前まで女は娘と二人、ここで生活していたのだ。同じように簡素な住居もどきが、狭い路地裏を占拠していて、それぞれの住人がこちらを探るように窺っていた。


「可哀想に、娘は第二部隊に撃ち殺された。裕福なやつらの犬が、娘を殺したんだ! どっちが罪人なんだい! ええ!?」


 女は富裕層への憎悪を口にしながら、それを第二部隊へと擦り付けていく。

 富裕層への不満や誹謗は、声高に叫ぶと罪と認識される。不満の捌け口は皆、大っぴらに言える第二部隊へと転じていく。


 ウェルドは女の言葉に頷き相づちを取りながら、手帳へと忙しくペンを走らせた。女はウェルドの相づちを自分の言い分への肯定と受け取り、捲し立てる。


「人殺しの殺人部隊め! まだ娘は下級妖魔とかだったんだ! きっとまだ追い出せた。助けられた。なのに殺しやがって、あんの人殺しども! 畜生めえぇ」


 小さな罪から生まれた妖魔は下級妖魔で、下級の中でも弱いものは大した被害ももたらさずに、やがて消える。盗みを働いた女の娘は下級妖魔を生み出して宿主となり、娘を捕まえて暴行を加えていた商会の坊っちゃんへ襲いかかった。坊っちゃんの盾となったボディーガードに重傷を負わせて逃げたところを、第二部隊が射殺した。

 他人へ襲いかかって重傷を負わせた時点で、中級妖魔確定なのだが、女はそれを認められないらしい。口汚く第二部隊を罵り、自分の不満をぶちまけた。


 女を殴りたい。


 ペンを動かすウェルドの隣で、カーズはただただ耐えた。無言と無表情を貫くのは、第二部隊のためだ。自分は今、第二部隊隊長だ。ここでキレて騒動を起こせば、ますます現状を変えられなくなる。



 次に向かったのは安アパートの立ち並ぶものの、貧民街よりは少し上等な界隈だった。

 似たような造りの建物の一つである階段を上がり、個性のないドアの前に立つ。ウェルドは精一杯、よれよれのシャツの襟を正してからドアをノックした。


「ナイシェルさん、タイラー新聞社のウェルドです」


 暫しの時を経て、ドアを開けたのは憔悴した様子の男だった。くすんだ金髪は櫛も入れてない様子で、灰色かかった青い目は霞がかかったように覇気がない。目の下にくっきりと刻まれた隈と蒼白い顔色が、男の体調を表していた。


「……どうぞ」


 ぼそりと呟いてウェルドたちを部屋へ招き入れる。


「お邪魔します」


 ウェルドは神妙に一礼して、ふらふらと歩く男の後へ続いた。


 小ぢんまりとした部屋には、四方に箱が山積みになっていた。ソファーの上に引っ掛けられた衣服と、テーブルに置きっぱなしの空になった酒瓶だけが転がっている。男からは酒の匂いはしないから、昼間から酒に溺れるのではなく、眠れない夜に飲んでいるのだろう。


 ウェルドにナイシェルと呼ばれた男は、ウェルドとカーズへソファーに座るように促してから、自身も倒れ込むように腰を落とした。


「こんな状態で申し訳ない。妻が死んでからどうにも余裕がなくて……」

「お気になさらず。こちらこそ大変な時に申し訳ありません」


 ウェルドは丁寧に頭を下げてから、目を伏せたまま言った。


「この度は、奥さまを亡くされて心中いかばかりか」

「心中も何も。ただただ、わけの分からない後悔ばかりです」


 男は左手で眉間を揉みこみ、項垂れた。


「私は仕事ばかりで、ずっと妻に寂しい思いをさせてきた。自覚していましたが見ないふりをしていたんです」


 暫くしてのろのろと顔を上げた男は、部屋の片隅に積まれた箱の山を見渡した。


「寂しさを紛らわすために妻が取った行動は、買い物でした。驚いたことに、使ってもいないものばかりなんですよ」


 はははっと力なく乾いた笑い声を立ててから、また下を向いて眉間を揉む。

 確かに箱には包装紙やリボンがかけられたままであったり、紙袋から出ていないものもあった。


「当然私は妻を責めました。私がこんなに働いて貯めた金を、なんてものにつぎ込んだんだ。どうしてくれる、お前が働いて返すのか。怒りのままに妻を罵った。そりゃあそうでしょう? これだけのものを買うのにどれだけ働かなきゃならないことか。腹が立って腹が立って」


 手帳に要点を殴り書くウェルドの横で、カーズは沈黙を貫いた。


「妻の弁明など一言も聞いてやらなかった。腹立たしくて、顔も見たくないと怒鳴り妻が買ったものを叩きつけました。妻はショックを受け、絶望した顔で出ていきました。きっとあの時、妻の中に妖魔が生まれていたんだ。けれど私はあの時、勝手に私の金を使った罰なんだから、これくらい当然だ。妻の絶望した顔を見て清々した気分にすらなったんです。……それが生きている妻を見た最後になったというのに!」


 震える声には、押さえきれない後悔と憤りが滲んでいた。


「あの後、妻は私に叩きつけられた品物を質屋に持っていき、安くしか買って貰えないことで口論になって店員を刺しました」


 ウェルドがちらりとカーズに視線を送ってくるのを無視する。店員を刺して逃げたナイシェルの妻は、やはり第二部隊が射殺した。


「なんで妻が殺されなくちゃならなかったんです!? 確かに勝手に金を使いこんでこんな買い物をしたのには腹が立った。店員を刺したのは罪だ。しかし店員は大した怪我じゃなかった。買い物だって、よくよく考えれば私も妻に寂しい思いをさせていた。もう一度話し合おうと思っていたんです」


「奥さんを罵ったことを謝ろうとしたんですね」


 静かなウェルドの声音に、男は項垂れたまま頷いた。


「喪って気付かされました。私がどんなに妻に支えられていたか。たった一人で過ごす日々の寂しさを。私が妻をどんなに愛していたのかを。それを肝心な妻にはもう、伝えられない」


 白い棚の上に飾られた写真立てには、幸せそうな笑顔の二人が写っていた。幸せの名残の色濃い居間に、男は自身への後悔と第二部隊への非憤を吐き出した。


「生きてさえいれば、伝えられたのに。殺す以外の解決方法はなかったのか……! 妻を殺した第二部隊を私は恨まずにいられないんです」


 自分の怠惰が招いた悲劇を、俺たちのせいにするんじゃねえよ。

 喉元まで出かかった怒りを、カーズは抑えた。

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