第6話

 季節は秋の終わり。よく冷える夜だった。


 隊長から、高位妖魔が出る可能性を示唆されてから四日後の夜。

 明日には『珠玉』が到着する。それまでこれ以上の被害を出さないこと。高位妖魔を見つけ次第、民間人を避難させて足止めをすること。それが第二部隊の任務だった。


「うーっ、冷える! 流石に皆連日の事件で、夜間の外出は控えてるみたいだね」


 カーズの横でレイブンが身を震わせた。夜の黒に白い息が流れる。賑やかな歓楽街すら自粛していて、珍しくナナガ国の夜を静寂が支配していた。


 始まりは一件の殺人事件だ。

 最初はただの刺殺死体だった。宿主本人が普通に凶器を使って人を殺したと思われる。

 同じ事件が三件起き、四件目で能力を使った殺人となった。夜間、飲み屋帰りの男が顔を爆発させたような体で見付かったのだ。

 この時点で『デンキ』のハヤミとギルバートが動き、『珠玉』に依頼した。


 翌日の夜の被害者は三人。死体はいずれも凄惨で体の何処かが爆ぜる……というよりも、べろりとめくられたように中身を晒していた。


 その翌日の夜は六人。今度は様子が違った。ある者は手があるはずの場所に足が生え、逆に足の付け根から手柄生えていた。ある者は身体中の皮膚が裏返しになっていた。


 現場を保存していた第四部隊の隊員が、青い顔でギルバートへ報告していた。


「手足の位置が逆、皮膚の表面が内側に、本来内側の部分が外側になっていました。他の死体も方法こそ違いますが、全てが逆になっています」


 次の夜は被害者が爆発的に増えた。貧民街の安アパートが倒壊したのだ。いや、倒壊というのは語弊がある。建物は上下が逆さに引っくり返されていた。アパートの住人五十名弱が犠牲となった。これが昨夜のことだった。


「これで高位妖魔は確定だ。規模も大きくなっているからな。今夜辺り、本気で牙を剥くぞ」


 夕刻、ギルバートが壇上からぐるりと隊員たちを見渡した。


「もうじき『珠玉』もナナガに着く。俺たち第二部隊は、それまで被害を最小に食い止め、徹底的な妖魔の足止めだ」


 ずらりと並ぶ総員千九百五十六名。隊員たちの顔を、ギルバートが焼き付けるように見ていく。


「俺たちが守りたいもんは何だ? 家族か? 恋人か? そんなもんねえ奴が殆どだよなあ」


 そう言ってにやりと笑った。


「金の為ならとことんまで金の為に戦え! 居場所がなくてここに来るしかなかったんなら、自分の居場所を守る為に戦え! 少ないかもしれないが、家族や恋人を守りたいなら守る為に戦え! 自分が何に命を賭けてるのかを見失うな!」


 朗々と響くギルバートの声に、カーズは拳を握った。


『居場所を守る為に戦え』


 カーズの胸に響いたのは、その言葉だった。

 死に場所を求めてここに来たカーズだが、いつの間にかここが居場所になっていたらしい。


「俺はお前らが背負ってるもんを、お前らごと背負って戦う! 一人の命も落とさないとは言えねえ。高位妖魔は甘い存在じゃねえからな。だが、一人でも多くの命を拾う為に俺の全身全霊を賭けると誓う」


 ギルバートは右拳を胸に当てる。それから今度は右拳を上に掲げた。


「今夜が正念場だ! 生き残ってまた馬鹿をやろうぜ! 以上だ!」


  隊員たちの雄叫びを背に、ギルバートは壇上を降りた。



 自分が何に命を賭けているのか。


 カーズは前方を歩くギルバートの背中を眺めた。

 決して大きくはない背中だ。制服の下につまった岩のような筋肉に、無駄な力みは見当たらない。

 緊張どころか、楽しそうにさえ見える背中は、カーズをからかう時と変わらない。


 隣で白い息を吐くレイブンを見た。

 入隊した頃より鍛えて厚みを増したが、相変わらず華奢だ。本来なら荒事などに向かない温厚な男に、何度助けられたか分からない。


 第二部隊という居場所を守る。仲間を守る。


 第二部隊はカーズにとって守りたい居場所で、そう思わせてくれたのはレイブンや、何かとカーズを構うギルバート、第二部隊の隊員たちだ。


 突如、濫立する建物の一つが動き、地響きと土埃を立てた。夜空を白く染める光が上がり、笛の音が空気を切り裂く。


「近いな、行くぞ!」


 走り出したギルバートに続き、カーズたちも地面を蹴る。

 短くも、長い戦いの始まりだった。


「アッハハハハハハァ! 死ね死ね死ね死ね死ね!」


 現場に到着すると、中途半端に伸びた髪を振り乱し痩せた男が、狂喜の笑い声を上げていた。周りには数名の隊員が油断なく小銃や剣を構えている。

 男が隣の壁に手を当てると、その建物の上下が引っくり返った。


 ぐしゃりと潰れる建物の屋根部分と中から響く悲鳴、バランスを崩した建物は隣の建物の方へ傾ぎ、粉砕する。新たに起こった悲鳴と怒号に、男は更に笑いを加速させる。


「アアアアァ、堪らねえ! いいぜ! もっと引っくり返れ!」


 再び夜空に上がった照明弾と笛の音と共に、カーズたちが発砲した。銃声が響き男の額に当たる。笑いを引っ込めた男が視線を落とした。

 額から地面に落ちたのは弾丸で、鳴りやむことなく発砲音と銃弾が雨のように続いた。額、胸、腹と正確に急所に当たり、何の痛みも傷も与えず落ちてゆく。


「どうってことないが、邪魔すんなよ。蟻ども」


 舌打ちした男が地面に手を着いた。


 足下の地面の舗装が捲れ上がる。慌てて飛び退く隊員に、上から捲れた舗装が落ちてきた。


「くそっ!」


 隊員が悪態を吐いて可能な限り避けようとする。しかし覆いかぶさってくるのは、人の背丈より大きな舗装だ。避け切れず、足を挟まれそうになる。そこを後ろから力強く引かれ、寸前で事なきを得た。


「隊長! 助かった」


 ほっとした表情の隊員に、ギルバートが一喝する。


「礼はいいから状況説明! それから民間人の避難だ!」

「妖魔の能力は何でも引っくり返しちまう。引っくり返す対象に触れて発動! 宿主は融合型! 小銃はもう効かない!」


 隊員が端的に情報を叫んで、速やかに離脱する。宿主捜索には第二部隊全員で当たったが、実際の足止めはカーズを含めた隊長直属の分隊が行う。宿主の位置が分かった以上、周辺の民間人を避難させるのが彼らの役割だ。


「やはり融合型か」


 連続殺人犯は宿主として妖魔に好まれる。完全に精神を喰わずに、宿主の精神と融合するのだ。そういったものを融合型といい、高位妖魔に多く見られる。


 ギルバート以下、分隊の隊員全てが小銃を構え発砲する。効かないのは百も承知。狙いはこちらに妖魔の意識を集中させることと、相手を苛立たせてやることにある。

 治安維持警備隊に支給されているのは、小銃と剣のみ。手榴弾やロケット砲などはない。妖魔相手には、小銃だろうが手榴弾だろうが同じであることから、建物を破壊する可能性のある武器の使用は認められていないのだ。


「逃げろ! 建物の中は安全じゃない! とりあえず全力でここから離れろ!」


 我先にとボロアパートから出てくる住人たちに、先の分隊の隊員が避難の方向を指し示す。既に倒壊した建物の中にいる人間は後回しだ。まずは自分で逃げられる者を逃がして、一人でも被害を減らす。


「させるかよぉ!」


 宿主、否、走り出した妖魔の足へギルバートの剣が当たった。


「ぐおおおお!」


 気合いで踏ん張るギルバートの靴底が地面を抉り数センチ後退する。

 高位妖魔を剣で斬ることは出来ない。渾身の力で後退を止めたギルバートが、剣をすくうように払った。

 妖魔が剣に足を払われて転ぶ。斬ることが出来なくても、こういう使い方は出来るのだ。

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