第5話

 入隊してから三年半、レイブンとは相変わらず同室だった。


「あと一年半くらいか? 借金が返せるのは」


 カーズは小銃の手入れをしながら、机で家族からの手紙を広げているレイブンへ声をかけた。


「ああ、借金だけなら正確には一年と二ヶ月くらいかな? でも父の具合が良くないみたいだから、まだまだここに居るよ」


 華奢だったレイブンにも筋肉が付き、すっかり第二部隊の隊員らしくなった。気弱さは影を潜め、おどおどとしなくなり、今もカーズとしっかりと目を合わせている。


「君には本当に感謝している。あの時殴って貰わなかったら、俺は覚悟を決められないままとっくに死んでいた」


 小さな工場を営むレイブンの家は、別の大手工場が出来てから立ち行かなくなり、あっという間に借金まみれになった。あのままでは一家全員首でも吊るしかなく、両親はレイブンを見て、毎ある事にお前が女の子ならと暗い顔で言った。女なら娼館に売ることも出来たのにと。


 だからレイブンは要らない自分を、自分で第二部隊に売り払ったのだ。


「別に俺は……お前の為に怒ったんじゃねえ」


 あの時ギルバート隊長は、カーズがレイブンの為に怒ったように言ったが、本当は違った。

 いちいち説明してやる気もなくて、結局あの後一言も口をきかなかったのだが、レイブンは好意的に解釈したらしい。あれから彼はカーズの顔色を見つつ、根気よく関わった。


 カーズもレイブンに苛つきながら、渋々付き合っている内に、互いに打ち解けた。今では誰よりも気の置けない存在となっている。


「じゃあ、何で?」

「お前にそっくりな奴が居たんだよ。死んだけどな。俺が殺したようなもんだ」

「悪かった。今の質問は忘れてくれていいよ」


 聞いてはいけない話題を振ったと、レイブンが話を切り上げるべくさっさと発言を撤回した。


「いいんだよ。まあ聞いてくれや。俺は貧民街育ちで親の顔は知らねえ。そんなガキがあそこにゃ溢れてて、俺らは何となく固まって一応助け合いながら生きてた。昔から粗野で乱暴者で仕切り屋の俺はあいつらの大将だったさ」


 カーズは組み立て終わった小銃を指に引っ掛け、くるくると回して弄んだ。


「そんな俺の後を金魚の糞よろしく付いて来るリジーって奴が居てな。あの時のお前みたいに気弱で、おどおどと俺の顔色を見てやがった。馬鹿な俺はお山の大将を気取り、得意になってたのさ。あいつが宿主になるまでは」


 宿主となったリジーは、ずっと命令ばかりのカーズが憎かったのだと、目障りで仕方なかったんだと狂ったように笑った。笑ってカーズの胸に爪を立て、もう一押しで心臓を貫くところで。


「自分で自分の喉を突きやがった」


 自分の喉を突いた時のリジーの笑みは、狂ったものではなく、透明だった。


 今でもカーズには分からない。リジーが最期に浮かべた笑みは何だったのか。

 否。分からないふりをしていた。考えないようにしていた。理由を考えてしまえば、都合のいい解釈をしてしまうだろう。


 リジーの劣等感に気付かなかった自分に腹が立った。いい気になっていた自分が許せなかった。憎くて許せない自分を殺す勇気もなく、半ば自棄になって第二部隊に入った。死亡率の高い部隊に入れば死ねると思ったのだ。


「『殉職でもすれば』なんて言うお前が、リジーに重なって猛烈に腹が立った。俺も同じようなもんだってのに」


 同期の隊員は半数以下になったというのに、もう三年以上生き残っているのだから因果なものだ。


「カーズ」


 レイブンの穏やかな声に、床を見つめていたカーズは目線を上げる。レイブンはカーズに向かって小銃を向けていた。


「動くなよ」


 一言告げてレイブンは引き金を引いた。乾いた発砲音と共に銃弾はカーズの右肩、僅かに上を通り黒い塊を貫通して壁を穿った。


「妖魔か」


 一つ目の犬のような妖魔が、床に落ちて消える。死骸は残らない。そういうものだ。


「下級だね。外に出ていた」


 皮肉な事に自分自身を責める罪、罪悪感などの内向きの罪の時、妖魔は外へ出てくる。逆に他人へ向ける害意や悪意などは内に巣くい、宿主の精神を喰い荒らす。


 レイブンが小銃を戻して椅子から立ち上がり、カーズの前へ来た。握りこまれたレイブンの拳が向かってくるのを、黙って眺める。ガツンと重い衝撃。カーズは頬に容赦ない一撃を食らい、床に転がった。


「おーい、揉め事か?」


 ドアの向こうで声をかける隊員に、レイブンは朗らかに返答する。


「いつものやつですよ。もう平気です」

「了解。後で隊長に説教食らえよー?」


 隊員たちは慣れたものだ。こういったことがあるから、必ず二人以上が同室となるのが第二部隊の決まりだった。



「それで、喧嘩の原因は?」


 笑いを噛み殺し切れないギルバートの前で、妙ににこやかなレイブンと、頬を腫らしたカーズが突っ立っていた。


「喧嘩ではありません。俺が一方的にムカつきました」


 しれっとレイブンに入隊間もないあの時のやり取りをなぞられ、カーズは渋面になった。


「カーズ、レイブンが怒った理由をよおく考えろよ」

「分かってますよ。俺が悪いんです。有難い鉄拳を貰いましたんで、もう変に罪悪感持つのはなしです」


 カーズは仏頂面で頬を擦り、にやつく隊長へ宣言した。

 もしも同じようなことがあってもレイブンならぶん殴ってくれるだろう。逆の事があれば思い切りぶん殴ってやるぞこの野郎、と密かに決意する。


「ったく、成長したもんだぜ。お前らも」

「ありがとうございます」


 澄ました顔で礼を言うレイブンに、三年半で図太くなったものだとカーズは呆れた。


「頼もしくなったお前らに教えておいてやる。ミズホ国の『デンキ』、ハヤミから接触があった」


 東の辺境国、ミズホ国は高位妖魔へ対抗できる戦力『珠玉』を有する唯一の国だ。『デンキ』は各国に派遣された、ミズホ国の宝石商兼、諜報部員の総称である。ハヤミはナナガ国担当の『デンキ』代表だった。


「では、やはり」


 笑いを引っ込めたギルバートに、カーズとレイブンの顔も引き締まる。


「ああ。高位妖魔が出る可能性がある。ミズホ国の『珠玉』二人が来るまで、最低でも五日はかかる。ったく今度は何人落ちるか分かりゃしねえ」


 ミズホ国の『珠玉』はたった十二人しかいないという。その内二人も来るのだから、今回の高位妖魔はそれほどなのか。


「詳しくは追って報せる。覚悟だけしておけ」


 カーズとレイブンはギルバートに敬礼し、隊長室を後にした。


****


「レイブンさんとは、男の友情やってたんっすねえ。安心したっす」

「隊長とリジーさんの話、ちょっと胸に来るな」


 口々に感想を言う隊員たちへ、カーズは口角を上げた。


「馬鹿言え。お前らも似たようなもんだろう。第二部隊に来る奴なんて、皆何かしら抱えてるもんだ」

「違えねえ」


 陽気な笑い声があちこちから上がる。事情は人それぞれだが、自分の命を捨ててでも多額の金がいる者が大半だった。


「十一年前の高位妖魔の話ですね」


 ウィークラーが神妙な顔でジョッキを置いた。


「ああ。十四名の隊員の命が落ちて、退役者は十九名。民間人の被害は死傷者千五百二十三名。能力は『引っくり返す』だった」


「引っくり返すって字面だけだと大したことなさそうっすね」


 ぼりぼりとつまみの木の実を噛み砕き、ニックがのんびりと言った。


「お前は今回しか高位妖魔を経験してねえからそれが言えんだよ」


 隣のウィークラーがニックを小突く。今回の高位妖魔は二体だったが、民間人の死傷者は六名、第一部隊の隊員が三名。建物の倒壊もなしだ。圧倒的に被害が少なかった。


「今回の高位妖魔の能力は『糸』だが、あれもその気になればもっと死傷者が増えてたぞ。遊んでくれてたのと、変にグルメだったから助かったがな。それとあの若い『珠玉』、結界系の妖魔を使役していたろう? あれもでかい」


 今回の高位妖魔は人間の臓器を食べる目的、それも肉親の臓器に執着があったため、無差別に人を殺したり、手当たり次第に建物を壊したりしなかった。高位妖魔が本気を出す頃には『珠玉』が結界系の妖魔を使役して隔離した。


 たとえ糸という能力でも、建物を切って倒壊させていれば被害は跳ね上がっていただろう。今回はつくづく運が良かったのだ。


「十一年前は俺とレイブンは分隊ではなく、隊長直下で高位妖魔にあたったんだが、知っての通り散々な結果だった」


 カーズはまた酒を喉へ流し込み、十一年前の苦い経験へ思いを馳せた。

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