第3話
その日は、昼間の茹だるような暑さが色濃く残った夜だった。
夏服とはいえ、あまり涼しいとは言えない制服の胸元を摘まんで動かし、温い風を送る。気休め程度の涼を得て、カーズは視線を前へとやった。
今回カーズを含めた四分隊が担当するのは、巷を騒がす連続通り魔事件だ。
滑って転倒しての死亡事件が二十三件も発生。最初のうちは事故死とされ、妖魔の存在に気付くのが遅れてしまった。
カーズは第四部隊から上がってきた地図を一瞥する。
妖魔は昼間まともに妖力を発揮出来ない為、時刻だけは夜間に絞り込めるが、そんなものはあってないようなものだ。さらに絞り込むには情報がいる。第四部隊の情報は不可欠だった。
ナナガ国治安維持警備隊は四つの部隊で編成されている。貴族や名家のエリートからなる第一部隊。妖魔と戦う第二部隊。同じく妖魔と戦うが、郊外担当の第三部隊。事務仕事を担う第四部隊。
市民の窓口である第四部隊は、妖魔関連の情報を把握、管理していた。
地図のばつ印は事件現場で、全て半径二十キロ圏内。約十人ずつの分隊が、持ち場を決めて巡回していた。第四分隊は先輩隊員が七名、新米隊員はカーズ、レイブン、リッジだ。
人気のない表通りを通り抜け、ごちゃごちゃとした飲み屋街へ差し掛かる。陽気に酒瓶を明けていた中年たちが、第二部隊を見かけると声を潜めた。
「おい、ならず者部隊のお通りだぜ? なんだだって今回はこんなに物々しいんだよ」
「ほら、あの滑って転んで死ぬあれだよ」
「けっ! 妖魔に殺されるのは嫌だけどよ、その死に方はねえよな」
顔を付き合わせてこそこそと喋っていた酔っぱらいたちは、堪えきれずにがははと笑った。
「人殺し部隊に宿主扱いされて殺されるよりはマシだろ」
「馬鹿、聞こえるぞ」
ちらちらとこちらへ目線を向けて、大きくなっていた声をまた小さくする。
「全部聞こえてるんだよ、糞が」
小さく毒づくカーズの頭を先輩隊員が小突いた。
「いちいち気にすんなよ新人」
「分かってますよ」
憮然と言葉を返す。第二部隊に入って五ヶ月、この手の揶揄は何度も聞いてきた。何度か腹に据えかねて殴りに行ったが、その度に先輩隊員に止められて隊長の説教を食らう。毎度面白そうにカーズに説教をする隊長が、癇に障って仕方がなかった。つい反発していつも喧嘩腰になってしまうのだが、それすらギルバートは楽しんでいるようだった。
****
「隊長があ? 冷静沈着を崩さない隊長が、同僚殴るわ、喧嘩っ早いわ、隊長に反発するわって本当っすかあ?」
話の腰を折って、ニックがすっとんきょうな声を上げた。おもわず言ってしまったらしく、他の隊員に軽く睨まれ慌てて口元を押さえる。
「すいませんっす。つい信じられなくて」
「若気の至りだよ。俺だって最初からこうだった訳じゃない」
カーズは苦笑してまた少しグラスを傾ける。冷えた酒が喉を通り、口の中に湿り気を与えた。
「兎に角、あの頃は何もかもが気に入らなくてな。好き勝手言う民間人も、気弱なレイブンも、訳知り顔の先輩隊員も、毎度面白がって説教するギルバート隊長もな。当時の俺は口よりも手が出るタイプだったから、手を焼いただろうよ」
グラスの中で溶ける氷が、ゆっくりと酒を薄めていく。当時の先輩隊員も、ギルバート隊長ももういない。多くが望まない退役と、殉職である。あの頃から比べると、カーズは大きく変わった。変えたのは、第二部隊の仲間とギルバート隊長だ。
「へえー、隊長がねえ」
隊員たちがそれぞれ、意外そうな顔でカーズを見つめてくる。ここに勤続十年を超える古参の隊員はいない。皆、現場や皆の士気を上げる時以外は、声を荒げることもない、今のカーズしか知らなかった。
「それで、初めて遭遇した宿主との対面だがな……」
職業柄、隊員たちの前で喋るのは場慣れしているが、今回のように自分自身を語るのは少し勝手が違う。居たたまれなくなったカーズは咳払いを一つして、昔話の続きを始めた。
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さっさと飲み屋街を通り抜け、寂れた路地裏へと入る。妖魔が出る夜間の外出は危険が伴う為、昼間の喧騒が嘘のように静まるものだが、飲み屋街や歓楽街は別だった。
商業国家である経済第一のナナガ国は、わざわざ営業禁止などしない。防衛手段として第二、第三部隊や軍の退役者を用心棒に据え、夜間も賑やかに営業している。
しかし、件の通り魔事件は飲み屋街や歓楽街では発生していない。発生しているのは、飲み屋街や歓楽街へ通じる寂れた路地裏。家路に着く者や、他の飲み屋街から歓楽街へ移動する者などを狙うのだ。
異変に気付いたのは、先頭を行く先輩隊員だった。無言で手を上げる。それを見て三人の先輩隊員が速やかに動いた。路地を折れて反対側へ回り込みに行く。ついでにリッジとレイブンも、「来い」と引っ張られて行った。
残った先輩隊員は更に二人ずつに別れ、カーズは片方に付いていく。向こうも別れているだろうから、四方向で囲う形だ。
暑さと緊張から汗ばむ手で小銃を握り、唇を舐めて湿らせた。事前に先輩隊員から聞いていた注意事項を反芻する。
「今回の事件は滑って転ぶ、だ。それだけ聞くと馬鹿みたいな死に方だが、馬鹿にすんじゃねえぞ。妖魔ってやつの怖さは身体能力の高さよりも、各自が持ってやがる能力にあんだ」
下級妖魔は宿主の中に潜み、ゆっくりと宿主の精神を喰らう。喰らって力を付けた妖魔は中級となり、宿主を乗っとるなり操るなり、時に融合して人間を襲う。この時、下級妖魔では発現出来なかった能力を使うようになる。これが厄介なのだ。
「滑るという能力が、物をつるつるにしちまうのか、滑るものを付着させるのか、他の方法があるのか。効果範囲と効果を及ぼすものは何か。慌てずよーく見ろよ」
これが難しいんだがなと、先輩隊員たちは笑いあっていた。
同時に先日の集会で、新人教育担当ザッカスの言った事も思い出す。彼は如何にも戦いに身を置くものという、堂々とした体躯と佇まいの厳めしい上官だった。
「これから諸君は、いよいよ宿主を始末する任務に入る。宿主の見た目は普通の人間だ。言動も普通の人間と変わらない時もある。違いは妖気というか臭いというか、こればかりは経験だから実戦で覚えろ。そして、宿主だと思ったなら迷わず殺せ」
殺すという単語が、新米隊員たちをひやりと撫でる。そんな新米隊員たちを見て、ザッカスの頬に刻まれた傷痕が笑みと共に歪んだ。
「躊躇えば自分が死ぬ。それを頭に叩き込んでおけ。今回から宿主を殺す役目は新人、お前たちだ。新人全員が一人ずつ宿主を殺すまで、俺たちはサポートに回る。第二部隊でお前たちがやっていけるかどうかの正念場だ」
ザッカスは鋭い目で新米隊員たちをぐるりと見渡す。
「俺たち第二部隊は、妖魔から人々を守るなんて崇高なものではない。手も足も出ない化け物を出さないのが主な仕事だ。高位妖魔になる手前の宿主の段階で確実に殺す。周りから見れば人殺しのならず者集団だ」
居たたまれない表情をする者、決意に燃える者、青褪める者、合法的に人を殺せる事を喜ぶ者もいる。
「だがな、間違うなよ。命を軽んじるな。その意味は宿主と向き合えば分かる。以上だ!」
ザッカスがブーツの底を鳴らし檀上を降りた。
命を軽んじるな。
この中に、この言葉の本当の意味を理解する者が何人いただろうか。カーズも分からなかった。それは、宿主と相対した時、思い知ることになったのだ。
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