星傘職人の弟子

旦開野

「お願いです。僕にその塗料を分けてくれませんか」

「お師匠様から俺は気難しいやつだって言われてないか?そう簡単にはやらねーよ」

 星が瞬く山奥で、僕は月に梯子を伸ばす少年に頭を下げていた。少年は僕の言葉に耳を傾けつつ、ハケに夜空色の塗料をつけ、まんまるい黄色の月を三日月の形に整えているところだ。僕は少年が使う夜空色の不思議な塗料が欲しいのだが、少年はなかなか首を縦には振ってくれない。

「お前はどうして、この塗料が欲しいんだ? 」

「それは……星傘を作るのに必要だから」

「お前はどうして星傘を作る? 」

「どうしてって……師匠に言われて……」

「他人に言われて、お前はものを作るのか? 」

 少年のその言葉に、僕は言い返すことができなかった。


 僕が星傘の存在を知ったのは、つい先日。とある雨の降る日だった。

 僕はこれまでの人生、とにかく人に言われるがまま、流されるがままに生きてきた。学生の間はそれでもそこそこうまくやって来れたが、成長すればするほどに、うまくいかなくなっていく感覚があった。しかし僕は流されていく方法しか知らなかったから、流れに身を任せるしかできなかった。そして僕は会社を辞めた。正確に言えば辞めさせられた。派遣の仕事をしていた僕は、いわゆる派遣切りにあったのだ。

 途方にくれて、突然の雨に降られながらとぼとぼと家までの道を歩いていると、急に雨が止んだ。顔を上げると、外はまだ雨がザーザーと降っている。僕に傘をさしてくれていたのは、ウェーブのかかった銀色の髪が美しい、上品そうなお婆さんだった。

「この傘に気づかないなんてお兄さん、よほど疲れ切っているようだね」

「すみません、てっきり雨が上がったのかと思いまして」

「そうじゃなくて。ほら、傘の中をご覧よ」

 よくわからないことを言うおばあさんだと思いながら、僕は頭上にさされた傘を見上げる。

「え、なにこれ……?夢? 」

 見上げると、骨組みの向こう側に、無数の星が瞬く空が広がっていた。

「不思議な傘だけど夢じゃないよ。この傘、お困りのお兄さんにあげよう」

 そう言っておばあさんは、さしていた傘を僕に手渡してくれた。

「その傘はただ綺麗なだけじゃない。そこに広がる星たちの声に耳を澄ませてごらん。きっとお前さんが進むべき道を照らしてくれるよ」

 それだけ言うと、おばあさんは歩いて行ってしまった。僕は傘の内側に広がる星々を再び見上げた。おばあさんが言った通りに耳を澄ませてみると、雨音に紛れ、かすかにキラキラと綺麗な音が聞こえてくる。まるで星たちが僕に何かを伝えようとしているみたいだ。ふと、傘の取っ手を見ると、そこにはタグが付いていた。「星屋工房」と言う聞いたことのない工房の名前が書かれていた。


 翌日、僕は星に言われるがままに星屋工房の門を叩いた。そこには先日この不思議な傘をくれたおばあさんがいた。

「おや、お前さんはこの間の」

 おばあさんは気が付いた。

「先日は傘をありがとうございました。あの後、星たちにここに来るように言われたような気がして……」

「おぉ、そうかそうか。お前さんが私の跡取りか。そういうことなら手取り足取り、この星傘の作り方を教えてやろう」

「え、いや……僕はそんなつもりじゃ……」

「これから先、やることも決まってないんでしょ? 断る理由もなかろう」

全くその通りの言い分に、僕は返す言葉もなかった。こうして僕は星傘職人になるために、星屋さんに弟子入りすることになったのだ。



「お前は師匠に言われるがままに、俺のところにきた。全く、人に言われないと動くことができないのか?俺はお前みたいなやつは気に入らないんだ」

 星屋さんに言われ、星傘を作るための塗料を分けてもらうためにやってきた月見山。まさかこんな山奥で僕よりも幼い少年に説教をされるなんて思いもしなかった。

「お前は見た目に囚われすぎだ。言っておくが、俺はお前よりも遥か昔から、時間が来るたびに空を塗っているんだ。俺からすれば、お前の方がよっぽどガキなんだからな」

 確かに星屋さんは彼のことを何百年も生きている仙人のような存在だと言っていた。その話を聞いてぼくはてっきり、彼はおじいさんの姿だとばかり思っていたが、そうではなかった。

「僕は星傘が言うからここにきたんだ。星屋さんだって星たちの声に耳を澄ませろって。だからここまできたのに。そんなこと言われても、少々理不尽じゃないか? 」

 僕は少年に反論してみた。

「星傘は進むべき道を示してくれるが、それに従うか従わないかは、最終的にお前自身で決めるものだ。占いの通りに動いたからって全てが簡単に進むわけではないだろう?それと同じさ」

 僕はこれ以上、言い返すことができなかった。

「今のお前に塗料を渡したところで無駄にするだけだ。出直して来るんだな」

 なにも言い返せなかった僕は、仕方なく、工房に戻ることにした。


僕は少し、気を落としながら山を降りた。僕は塗料をもらえなかったことを正直に星屋さんに報告した。彼女は僕を怒るでもなく、むしろ笑っていた。

「あの人も相変わらずだね。なぁに、気を落とす必要はないよ。彼が初対面で気をよくしてくれるなんて思っていないから」

 こうなることを、星屋さんは分かっていたようだった。

「これも修行の一つさ。気長に頑張りな」

「そうは言っても星屋さん、何かヒントくらいもらえませんか? 」

 僕の言葉に星屋さんはそうね……と考え込んだ。

「大事なのは自分の心に向き合って、心に従うこと……かね。お前さんは星傘に導かれてここまでやってきたと言うけど、きっとお前さんの心の中に何か引っかかりがあったから、わざわざやってきたのだろう? もっと心の声をお聴き」

 なれない寝室で少し眠った後、僕は星屋さんの仕事を手伝いながら彼女の言葉、少年の言葉、そして僕自身について考えを巡らせていた。僕はずっと、周りに流されながら生きてきたと思っていたけど、ここへきて、果たしてその考えは正しいのだろうかと疑問をもった。流されてきたとはいえ、僕の周りには色々な人がいて、色々なことを言ってくる。人に言われたことに流されるって言っても僕は無意識に、その中から自分がしたい、いや、そんなたいそれた選択じゃなくてもマシなものを選んでいるわけだ。じゃあどうして僕はここへきたのだろうか?


「意外としぶといお兄ちゃんだね。もう怖気付いてしまったものとばかり思ってたよ」

 辺りが暗くなる頃、僕は再び月見山に登った。少年は昨夜と同じように、月に梯子をかけ、空を紺色に塗り上げている途中だった。

「僕やっぱり、どうしても星傘を作りたい。そのためにもどうしてもその塗料が必要なんだ」

 僕はできる限り力強く、少年に伝えた。

「おや、昨日とは随分心持ちが違うね」

 少年は作業をやめ、梯子の上から僕を見た。

「星屋さん……師匠は、そして星傘は、迷っていた僕を導いてくれた。僕は星たちの声を聞いたから迷いながらも1歩、前に進むことができたんだ。きっと、僕みたいに迷っている人はたくさんいる。そんな人たちに、僕も星傘を届けたいんだ。師匠がやってるのと同じように」

 僕がそれだけ言うと、しばしの沈黙が流れた。

「ま、今はそれでよしとしよう」

 少年は答えた。

「自分の意思で動かなければ開かない道もある。その道は思い描いてた場所に繋がっているとは限らないけど、いい方向であることは間違い無い。さぁ、梯子の下にバケツがあるだろう。それを持っていくといいよ」

 少年は持っていたハケで梯子の下を指した。僕はバケツを覗き込んだ。中には深い紺色をしたペンキが入っており、所々星のかけらのようにキラキラと光るものがあった。

「ありがとうございます」

 僕は勢いよく少年に頭を下げた。彼にわずかでも認められたのが嬉しかった。

「君とは長い付き合いになりそうだからね。これからもよろしく頼むよ」

 少年は三日月を背に微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星傘職人の弟子 旦開野 @asaakeno73

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ