ドラッグ、ちくわ、コンセント、並行世界、うん、そんな感じ。

百壁ネロ

ドラッグ、ちくわ、コンセント、並行世界、うん、そんな感じ。

 学祭まで二週間を切った月曜日。

 僕が所属するSF研究会の、出し物の準備が佳境に入ってきた、と先輩が言い始めた頃。

 友人の彼女が捕まった。

 捕まった、っていうのはぶっちゃけて言っちゃえば逮捕されたってことで、じゃあなんで逮捕されたのか、ぶっちゃけて言っちゃえばドラッグだった。一体なんのドラッグか。これは僕は知らない。と思ってたら、

「ヘロインだよ」

 友人がぶっちゃけた。別に訊いてもなかったし、ヘロインって名前は知ってるけど具体的にどういうやつなのかも知らないし、そもそもそんなこと教えられてもこっちとしてはなんて言葉をかけたらいいかわからなかったので、

「おー、へえ、そう」

 と、おへその節目節目に長音を入れたような(ようなっていうかそのままだけど)、気の抜けた返事をしておいた。あと、全然どうでもいいことだけど、友人の彼女つまり言い換えれば友人のヒロインは、ヘロインをやっちゃって、ムショイン(務所IN)したんだな、とかぼんやり考えて面白くなさすぎて少し眠くなった。

 友人、遅村ちむら一郎は、特に落ち込んだような様子もなく、ただ黙々と僕の前でカレーを食べていた。

 昼休みだっていうのに学食はわりと静かで人もまばらで、まーそりゃあんまし美味しくないもんなあ、とか考えながら目の前の、皿に半分以上残ったパスタ(べたべたしたナポリタン)をじっと見る。かれこれ十分ぐらいフォーク置きっぱなしだ僕。

 前のテーブルに並んで座る女子の話し声が聞こえてくる。カップの飲み物を飲まされてる女子と、飲ませてる女子。

「落ち着いた?」

「うん、落ち着いた。ヘロインってすげーね二真野にまの

「うん、カフェインね耳岸みみぎし。ヘロインもすげーだろうけどね確かに」

 この、カフェインとヘロインを言い間違えるっていう意図的なんだか天然なんだかわからないどっちにしてもくだらないセリフ、今、遅村の前で言うのは不謹慎だろーと内心ひやひやする。けど、遅村はなんにも気にせず、黙々とカレーを食べ続けている。にしてもこれ、カレー、一回食べたことあるけど本気で美味しくなかった。キャンプで水入れすぎてダメんなったみたいな味、なのによく黙々食べられるな遅村、とわりとどうでもいい部分に対して感心した。

「俺もさ、警察に、調べられたんだ」

「え?」

 なんにも訊いてないのに急に脈絡なく喋りだす遅村。スプーンを置き、僕のほうをまっすぐ見る。

「りずめ(遅村の彼女の名前らしい)がさ、ヘロインやってたからさ、付き合ってた俺もあやしいってことでさ、うん、警察が、家に来て、家宅捜索っていうのかな、ついでに事情聴取もされて、うん、そんな感じ」

「へえ、そりゃ、はあ」

 だからそんなこと言われてもなんて返したらいいのかわからないし、その前に遅村、口元にカレールーがちょびっと付いててそればっかり気になっちゃって、僕は頭に話が半分くらいしか入ってきてない。そんなことお構いなしに喋る遅村。

「りずめはさ、なんていうか、ちょっと変わった子だったからもともと、だから、そのなんていうか、ドラッグやってるとか全然思ってなくて俺、うん、そんな感じ」

「おう、はあ、ね」

『うん、そんな感じ』で締めるのが遅村の中で流行ってんだろうか。

「とにかくさ、りずめはちょっと変わった子だったんだよ」

「うん、うん」

「いい子なんだけどさ、変わってるっていうかさ」

「なるほど、なるほど」

「変わってる、そう、変わってる子でさ、変わってて」

 俄然おんなじことしか言わなくなった遅村と見つめ合いながら、あれこれ、なんだろう、話聞いて欲しいのかな僕に、と気づいて、正直そんなに興味なかったけど、おそるおそる、

「あのさ遅村、彼女、どんな風に変わってたの」

 と尋ねると、遅村はすっと俯き、黙り込んだ。

 えー。聞いて欲しいんじゃなかったの。

 思いっきり裏切られたような気分でずんと沈み込みながら、食べたくもないまずいパスタをつるつるすすること数分後。

 遅村がゆっくり顔を上げ、

「ちくわを植木鉢に挿して育ててた」

 と、はっきり言った。

 えー。なんの話か全然わかんない。一瞬、失礼ながら、遅村もクスリやってんじゃないかと思ってしまった。申し訳ない。で、ゆっくり、理解する。あ、今の彼女の話? ということは、えなに、彼女が? ちくわを植木鉢に? えー。それ明らかに「変わってる」とかで片付けられるレベルじゃないだろ。キメてるだろ。と、頭の中でガンガン突っ込みを入れながら、でも顔には出さないように努める。

「ちくわをさ、植木鉢に挿して、土詰めた植木鉢に、にゅって挿して、でそれに水やって、育ててて、そういう鉢植えがベランダに十個くらいあって」

「はあ、へえ」怖。

「あと、ちくわをさ、絶対カバンに一つ入れてたんだ、常に」

「えー、ふうん」怖。

「それから、ちくわをさ、夜寝る前に枕元に置いてた、これは二つ」

「なるほど、なるほど」怖。

「あ、あと、ちくわをさ、兄貴だと思ってたみたいで、お兄ちゃんって呼んでた」

「そっかあ、うん」怖。

「それとさ、わりとさ、自分のことちくわだと思ってた」

「そうなんだ、へえ」怖。

「で、ちくわを」どんだけちくわの話あるんだよ。ちくわ食べたくなってきたわ少し。軽く気持ち悪くなりながら、とりあえず話を変えようと試みる。

「まあでも、遅村さ、そのー、あんまり落ち込まないでさ、いや、落ち込んでない? っぽいけどさ、うん。まあ、なんかあったら僕に、なんでも言ってよ、うん。相談乗るし、話聞くし」

 突然。「ばああっ」と遅村が大声を出した。えなに? おばけ屋敷の練習? と思ったら遅村は僕をまっすぐ見たまま泣いていた。溢れる涙と溢れる鼻水。

「次ノつぎのみや(僕の名前だ)、俺、次ノ宮、俺、次ノ宮、俺」

「あ、うん、うん。落ち着け遅村」

「俺、どうしたらいいか、もう、俺、うう、俺」

「うん、そうだね、うん、僕も、どうしたらいいか」

「次ノ宮、俺、りずめとまた一緒に……一緒に……うう、ちくわあ」

 なんで最後ちくわって言ったのかわからないけど、そう言ったっきり、遅村は突っ伏してわんわん泣き出してしまった。そのまんまガバッと突っ伏しちゃったもんだから、遅村はカレーの皿に顔突っ込んじゃってて、でも構わずそのまま泣いていて、僕としてはもう本当にどうしたらいいかわからず、おろおろするしかなかった。ああ、学食にあんまり人がいなくてよかった、と心底思った。


 * * *


「そうか、それは災難だったなあ」

 数メートルあるやたら長い銅線をくりくり指先で弄りつつ、狭いSF研の部室内をうろうろ歩き回りながら、トイさんが言う。僕は、よいしょ、とパイプ椅子の上であぐらをかく。ちなみにSF研は、僕とトイさんの二人で全員だ。

「トイさん、『災難だったなあ』って言いますけど、災難って誰がですか? 僕がですか? 遅村がですか? 遅村の彼女がですか?」

「ヘロインという薬物があるこの世で生きていかなければならない我々人間全員が、だよ」

「スケールでかいですね」

「SFってなんの略か知ってるか次ノ宮。スケールファンパない、の略だ」

 適当なことばっかりべらべら喋るトイさんを、少し尊敬した。

「よし、出来た」

 ねじねじにねじった細い銅線を、トイさんが僕に差し出した。

「え、なんですか」

「学祭の、出し物だ」

「……え、この銅線が」

「そうじゃない。この銅線を使って、ある行動をして、やきそばを焼く」

 まったくよくわからない。ので、

「よくわかりません」とそのままはっきり伝える。

 トイさんは、はあ、と大げさに芝居がかったため息をつく。

「よくわかりませんって次ノ宮、それはお前が全然活動に来ないのが悪い。自業自得極まれり」

「すみません最近バイト忙しくて」

「バイト忙しさ極まれり」

「今日からは毎日来ますんで」

「毎日来まれり」

「あの、まれりはいいんで、学祭の出し物のこと詳しく教えてください」

 トイさんはゆっくり頷くと、懐からペンを取り出し勢いよくキャップを外し、カカカカカカッと壁に大きく文字を書いた。

 パラレルワールド、と。

「これ、わかるか、次ノ宮」

「あのトイさんその前に、壁に文字書くのやめてください。いくらホワイトボードがないからって」

「ごめん極まれり。……で、わかるか?」

 パラレルワールド。うん。まあ、名前は知ってる。意味も、まあ、なんとなくだけどおおよそ知ってる。

「並行世界、ですね?」

 そうだ、と大きく頷くトイさん。

「いいか次ノ宮。我々SF研の今回の出し物は、パラレルやきそばだ」

「すみません全然わからないです」

 はああ、とまたしても芝居がかったため息をつき、トイさんはがっくり肩を落とした。数秒の後、顔を上げ、僕を睨むように見つめる。

「次ノ宮、いいかよく聞け。並行世界――つまり、こことそっくりだけど少しだけ違う世界、に行くためにはどうすればいいと思う。ヒントはこの銅線だ」

 うわー。まったくわからない。わからないっていうか、そもそも僕あんまりその話に興味がない。SFでいえばタイムトラベル的な話が好きなので、パラレル的な話は正直どうでも。と思っていたら、僕が何か言う前にトイさんが勝手に喋り始めた。

「俺はな次ノ宮、人は大きな身体的ショックを与えられることでパラレルワールドへ行けるのではないか、という理論に辿り着いたんだ」

「はあ、あの、もうちょっと詳しく説明してください」

 と、言ったのが間違いだった。

 それから四時間。窓の外が真っ暗になるまで、トイさんは延々喋り続けた。壁は数式やら文字列やらで埋まり、真っ黒になった。そして、僕はほんとにパラレル的なことに興味なかったので、それだけ喋られてもちっとも頭に入ってこなかった。し、パラレル的な世界の存在をちっとも信じられなかった。要するに、四時間無駄にした。

 そんな僕の気持ちなんてつゆ知らず、ひとしきり喋り終え心地よさそうに一息ついたトイさんは、おもむろに僕の手をぎゅっと掴むと、銅線の先端を握らせた。

「というわけで次ノ宮、お前にはこれから、この銅線をコンセントに突っ込んでビリビリしてもらう」

「え、何が『というわけで』かもわからないし、嫌です」

「そしてそのショックでパラレルワールドに行ってもらう」

「あの、嫌です」

「そしてパラレルワールドでやきそばを焼いてきてもらう」

「だから、嫌です。というか、なんでやきそばですか」

「ソウルフードだからだ。いいか次ノ宮。美味いやきそばを制するものは学祭を制す。パラレルを制するものはSFを制す」

 とかなんとか喋りながら、トイさんは懐から白い手袋を取り出し、自分の手にはめた。そして僕に握らせた長い長い銅線の先っぽ、の逆側の先っぽを持って、てくてく部屋の隅っこに向かって歩いていく。隅っこの、壁に備えられたコンセント穴の前で立ち止り、僕を見る。

「次ノ宮、最後によく聞け。いいか。やきそばの材料は向こうで買い揃えろ。そしてその金は向こうの俺にもらえ。以上だ」

「え」

 と、口に出すか出さないかのタイミングで僕の視界は、すうっとホワイトアウトした。えー。


 * * *


「……という感じで、僕は今ここにいるんですけど……トイさん、信じてもらえます?」

 部室。

 時間は昼。窓から日差しが射し込む。

 そして、部室の壁は真っ白。

 トイさんは僕をじっと見つめたまま、こっくん? と大きく首を傾げた。

「次ノ宮、じゃあお前、そのパラレル……なんたらとかいうのから来たってことか?」

「そうみたいです。来たみたいです、これ使って」

 握った銅線の先っぽを左右に大きく振ってみせる。

 トイさんは、その顔に明らかに困惑の色を見せる。

「でも次ノ宮、なんでお前、ここがその、パラなんとかだってわかったんだ」

「あ、それは簡単です。そこに僕がもう一人いるからです」

 パイプ椅子にあぐらをかいて座り、僕を見る僕、を指差す僕(ややこしい)。

「僕ってもう一人いたんだあ」

 と、ぼんやり呟くこっちの世界の僕。リアクションはそれだけ。至って平然としている。なんか僕、むかつくな、客観的に見ると。

「しかし次ノ宮、なんでお前、その、パラなんとかレルだとか、急にSFみたいなこと言い出したんだ」

「え? いや、だってSF研だから」

「え、なにが」

「え、ここが」

 トイさんは沈黙して、こっちの世界の僕と目を合わせる。そして、ゆっくり口を開く。

「……うん、まあ、そうか。うん。確かにな、SF研、と言えないこともないか」こほん、と小さく咳払いをして、「シマフクロウ研究部だからな、ここ。略せば、S、F、研、か」

 えー。


 * * *


 そうか。つまり。そうか。これがパラレルワールドなのか。

 部室を飛び出した僕は、あてもなくふらふら歩きながら、考えた。

 僕がいた世界とは、ちょっと違う、並行世界。

 この世界では、トイさんはシマフクロウ研究会。なるほど。というかシマフクロウ研究会ってなんだよ。マニアックすぎるよ。ぶつくさ脳内でぶーたれる。そうか、でもきっと、他にも何か元の世界と違うとこがあるんだろうな、と考えながら歩きながら中庭に差し掛かり、ふいっとなにげなく空を見ると色が黄色かった。

「黄色!」

 思わずそんまんま口に出した。というかえー、違いすぎないかこれ。空黄色って。しかも、レモンの身みたいな薄い黄色じゃなくて、レモンの皮ぐらい濃い黄色。辺りを見回す。ベンチに座って談笑する学生たち。キャッチボールする学生たち。芝生に寝転がる学生たち。誰も空のことなんて気にしてない。えー。そうか、これがパラレル。そうかそうか。元の世界とは違うんだ。そうか。うん。自分の気持ちを落ち着かせる。と。

 一つ、考えが浮かんだ。


 * * *


 食堂まで一直線、走る。

 一人、黙々とカレーを食べている遅村の姿を見つける。

 駆け寄る。向かいの椅子に座る。

 呼吸を落ち着ける。

「……や、遅村。元気?」

 遅村は、こくん、と頷いた。それを見て僕は、ちょっとだけ期待が高まった。

 僕の考え。

 もしかしたら、こっちの世界の遅村は、彼女が逮捕されてないとか、そういうことあるんじゃないか。ヘロインやってないとか、あるんじゃないか。あるとしたらその彼女を、ここから元の世界に連れて帰れば、元の世界の遅村と一緒にこの世界の彼女が元の世界で元の生活を……うわー自分で考えててややこしい。

 けどまあ、とにかく、うん、そんな感じ。僕ってなんて友達想い。さっそく確認してみるべく、すう、と息を大きく吸い、

「遅村、彼女、元気?」

 と、明るく言って気づいたけど、結構ざっくりした探りの入れ方してしまった。遅村はきょとん、とした顔で、

「元気だよ」

 おお。

 これは。

 と、遅村が続けて、

「ヘロインやってるから」

 えー。

 知ってんのか。この世界の遅村はそれを。

 と、前のテーブルに並んで座る女子の話し声が聞こえてくる。カップの飲み物を飲まされてる女子と、飲ませてる女子。

「落ち着いた?」

「うん、落ち着いた。カフェインってすげーね二真野」

「うん、ヘロインね耳岸。カフェインもすげーけどね確かに」

 えー。ヘロイン飲んでんのこの世界の女子は。え? 合法?

「遅村、ヘロインって合法?」

「はあ? なに言ってんだお前」

「ドラッグじゃないの? ヘロインは」

「ドラッグなんて生クリームだけだろ」

 えー。駄目だこの世界。

 と、遅村がカレーを食べながら喋りだす。

「そうそう次ノ宮。あのな、りずめがさ、ちくわ育ててるんだけど、一鉢いらないか? ちょっと大きくなりすぎちゃって」

 えー。その設定は元の世界と変わらないんだー、むしろ育てたらちくわマジで大きくなっちゃうんだー、怖。うん。よし。

 ちょっと、別の世界、行こう。

 僕は立ち上がり、最寄のコンセントを探した。


 * * *


 空の色は、緑。

 一人、黙々とカレーを食べている遅村の姿を見つける。

 駆け寄る。向かいの椅子に座る。

 呼吸を落ち着ける。

「……や、遅村。元気?」

 遅村は、こくん、と頷いた。よし。ここまでは一緒。次だ。

「遅村、彼女、元気?」

「元気だよ」

 お。

 どうだ。

「マリファナやってるから」

 うわー。だめだ。ヘロインじゃないけどやってる意味は同じ。

 と、前のテーブルに並んで座る女子の話し声が聞こえてくる。

「落ち着いた?」

「うん、落ち着いた。マリファナってすげーね二真野」

「うん、バファリンね耳岸。マリファナも半分は優しさで出来てるけどね確かに」

 出来てないよ。怖いよ。なんだかこの世界も駄目くさい。出来る限り僕が元いた世界に近いところに行かないと。立ち上がる僕に、遅村が、

「そうそう次ノ宮。あのな、りずめがさ、拾ってきたちくわの子供育ててるんだけど、いらないか? ちょっと大きくなりすぎちゃって」

 怖いよ。なんだよ拾ってきたって、生きてんのか大きくなるのか。想像すると夢に出そうなので何も考えないようにしながらコンセントに向かう。


 * * *


 空の色は、黄緑。

 一人、黙々とカレーを食べている遅村の姿を見つける。

 駆け寄る。向かいの椅子に座る。

 呼吸を落ち着ける。

「……や、遅村。元気?」

 遅村は、こくん、と頷いた。よし。次。

「遅村、彼女、元気?」

「死んだ」

 え。

「さっき死んだ。うん、そんな感じ」

『うん、そんな感じ』じゃないよ、と思いながら僕は、

「ああ、うん、そう」とぬるぬる相槌を打ちながら立ち上がり、コンセントに向かう。

「そうそうちくわ宮。あのな」

 とか声が聞こえてきて、えーついに僕がちくわに、と思いながらホワイトアウト。


 * * *


 空の色は、深緑。

 一人、黙々とカレーを食べている遅村の姿を見つける。

 駆け寄る。向かいの椅子に座る。

 呼吸を落ち着ける。

「……や、遅村。元気?」

 遅村は、がたん、と椅子から転げ落ちた。

「え」

 慌てて立ち上がり、近寄る。だらしなく口を開けて大の字に寝る遅村。瞳孔が完全に開いてる。

 えー。死んでる。なんで? カレーがまずすぎたから?

 一目散にコンセントに向かう僕。ホワイトアウト。


 * * *


 空の色は、うぐいす色。

 一人、黙々とカレーを食べている遅村の姿が見つからない。

 えー。いないのか。うーん。

 次行こう。

 コンセントに向かう僕。ホワイトアウト。


 * * *


 空の色は、エメラルドグリーン。

 学食がない。

 えー。根本の根本が。

 校舎に入り、近くの教室のコンセントに向かう。ホワイトアウト。


 * * *


 僕は、何度も何度も、何度も何度も何度もホワイトアウトを繰り返しながら、ぼんやりと思っていた。

 これ、くじ引きみたいなもんだなあ、と。

 当たりが出るまで根気よく、粘り続けるしかないなあ、と。

 でも。

 さすがにちょっとくじけてきた。

 空の色は、黄色。

 一人、じっと座っている遅村の姿を見つける。

 駆け寄る。向かいの椅子に座る。

 呼吸を落ち着ける。落ち着かない。

 落ち着ける。落ち着かせる。

「(……おい、次ノ宮。元気?)」

 逆に訊かれた。僕は、こくん、と頷こうとして、でも、頷けなかった。正直、元気じゃない。うん。今まで我慢してたけど、コンセントに銅線突っ込んで感電するの、あれ結構きつい。きついというか、自殺だし普通に。ため息をつきながらテーブルに突っ伏す。もう僕、何回感電したんだろう。確実に三桁いってると思う。意識すると更にどっと疲れてくる。

「(そうそう次ノ宮。あのな、りずめがさ、ちくわ)」

 もう今日、何度目かわからない彼女とちくわの話がすーっと頭の中を流れていくのを感じながら、僕は遅村を見つめ、問いかける。

「遅村……彼女のことさ、好き?」

 きょとんとする遅村。

「(なんだよお前、急に)」

「いいから」

 僕が問い詰めると、遅村は少し俯き、頭をぽりぽりと掻きながら、

「(うん……好きだよ)」

 なんていうか。

 すごく、まっすぐな返事だった。

 僕は目の前の遅村を見つめながら、元の世界の、僕の目の前でわんわん大泣きした遅村のことを思い出していた。遅村が言った言葉。遅村の表情。

 ああー。

 僕って、なんて友達想い。……うん、そんな感じ。

 ふんっ、と気合を入れる。気合を入れて、前を見て、明るく。

「や、遅村。元気?」

「(は? なんだよお前いきなり)」

「いいから。元気?」

 遅村は、不思議そうな顔で、こくん、と頷いた。

「遅村、彼女、元気?」

「(元気だけど?)」

「うん、そっか。うん。じゃあもう一個。ドラッグは、違法?」

「(脈絡ないなお前、どうしたんだよ)」

「いいから答えて。違法?」

「(当たり前だろ)」

「ちなみにヘロインは違法?」

「(だから、当たり前だろ)」

「コーヒーに入ってるのは?」

「(カフェインだろ)」

「SFはなんの略?」

「(サイエンス・フィクションだろ)」

「じゃあ、ちょっと失礼なこと訊いちゃうかもだけど、彼女は、ヘロインやって務所INしてる?」

 どん、という鈍い音。

 と、共に、視界がホワイトアウト――頭部に、重い重い痛み。

「……ったあ、遅村、いくらなんでも殴らなくても」

「(あのな、さすがにそういう意味のわからない悪趣味な冗談は、怒るぞ、俺も)」

「うん、ごめん。……じゃあ、ドラッグ、やってないんだね?」

「(やってるわけないだろ)」

「うん、ごめんなさい」

 ああ目がちかちかする。でも、とりあえず良かった。頭を撫でながら胸を撫で下ろす。…………あれ? というか。

 これ、もしかして。

「遅村、ごめん、最後の質問、いいかな」

「(なんだよ)」

「僕、ちくわを、鉢植えに挿して育ててるんだけど……どう思う?」

「(意味がわからん)」

 あ。

 きた。

 きた!

 がたんっ、と勢いよく立ち上がり、思わず遅村の両手を握る。握ってぶんぶん振り回す。

「やった! 遅村やった! ありがとう! うん、そんな感じ!」

「(なんだよおい次ノ宮、おい、恥ずかしいからやめろって)」

「あのさ遅村、今から、すぐ、彼女に会わせて!」

「(なんだよ意味わかんないな。いや、まあ別いいけど)」

「ありがとう!」

 ついに。

 ついに辿り着いた。一番、元の世界に近い、パラレルに。いやもう、近いというか、ほとんど全部、元の世界と一緒だ。完璧だ。完璧。自然と顔がほころんでしまう。僕はゆっくり椅子に座る。考える。

 この世界が、元の世界と違うところ――今、僕が見つけてるのは、たった二つだけ。

 空が黄色いこと。

 それと。

 遅村に口が存在していないこと。

 遅村にっていうか、ぐるっと学食内を見回す限り、みんなに。

 改めて、まじまじと遅村の顔を見る。鼻の下には、なんにもなくて、ゆで卵みたいにつるんとしている。どうしようかなあ、と少し考える。元の世界の遅村、さすがに彼女の口が消えてたら戸惑うかなあ。不便かも知れない。悩む。もう一回、別の世界へ飛んでみようか迷う。いやでも、今いるここが一番ベストかも知れない。ここを逃したら、これ以上のものにもう会えないかも。考えれば考えるほどわからなくなる。とりあえず、ずっと気になってたことを、目の前の鼻の下つるんバージョンの遅村に訊く。

「あのさ、さっきから喋ってるのは、あれテレパシー?」

「(なんだよお前いまさら)」

 テレパシー使えるんだ。便利だなあとちょっと羨ましくさえ思ってしまう。SF研的視点で見るともうそれは憧れの対象だ。自分の鼻の下を手でそっと触れてみる。そこには口が存在している。この世界でおそらく唯一の口保持者、それが僕。でもどうだ。そんな仲間はずれの僕を見ても、別に驚いたり変な目で見たりしない遅村、の態度から察するに、この世界の人間は懐が広い。いいじゃん。むしろいいじゃん。もういいじゃん。もういいや。うん。

 よし決定。


 * * *


 そういうわけで、今、遅村は、鼻の下がつるんとした彼女と仲良く暮らしている。元の世界に戻るまで、僕はまたプラスうん百くらい感電したけど、まあ、いい。これが友達想いだ。うん、そんな感じ。

 ちなみに刑務所にいる鼻の下がつるんとしてないほうの彼女は、まあ、出所したら感電させて別のパラレルに送っちゃえばいいかなあ、と思ってる。人間万事なんとやら。うん、そんな感じ。

「……なるほど、そんな感じか。うん。お疲れ極まれり」

 僕が喋るパラレル冒険記の一部始終を、壁に(真っ黒の壁の上に修正液で)書き連ね終えて、トイさんが振り返った。

「それで次ノ宮、パラレルやきそばどうなった」

「あ」

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