第44話
「遊んでばかりいないで、少しは働きなさいよ」
詩物語の本を読んでいると、母が箒で背中を叩いた。
メイジーにとって唯一の楽しみである読書の時間を邪魔されて、気分が悪くなる。けれど、「役立たずなんだから」と続けられると、確かにその通りなので何も言い返せない。
のろのろと本を置いて立ち上がりながら、メイジーはため息を吐いた。
卒業を祝う舞踏会で詩作の優秀者に個別評が与えられた際、なぜかメイジーの名前が呼ばれなかった。呆気に取られて立ち尽くしていると、いつの間にかサイラスはどこかに消えていた。
義父とフェリシアに手を引かれて壁際に戻ったけれど、いったい何が起きたのかマジでわからない。
(何か不手際があったんだわ)
後から気づいて王室の担当者かワイス夫人が謝りに来るかもしれない。
その時に王室付きの宮廷詩人に推薦される可能性もなくはない。
むしろ、メイジーとゆっくり相談するために、今度のようなやり方を選んだのではないか。
そう考えると納得がいく。
(きっと、そうだわ)
だったら安心だ。
宮廷詩人になれるのだから、サイラスとの婚約がなくなっても大丈夫だろう。
世間には、貴族の娘に限らず宮廷詩人を目指す者がゴロゴロいる。才能一つで王の傍に仕える身分を得られるのだから、むしろ庶民の中にこそ目指す者は多い。
メイジーも、ゴダード家に入る前から目指していた。
その頃からいろんな懸賞に詩を出していて、何度か下の賞に入ったこともある。
いつだったか、同じように詩人を目指す誰かが『最初のほうは、どこかで読んだことがある感じだったけど、よく書けてると思う』と親切ぶって言ってきた。
『でも、後半が嘘みたいに雑っていうか、陳腐なのよ。そこをもっと頑張れば、上位の賞にも入れるんじゃない?』
え、と言葉を失ったメイジーに『頑張ってね』と気安く言って肩を叩いた。
正直、あまりいい気分ではなかった。
自分が同じ賞に入ったからって、偉そうに批評してくる意味がわからない。
大きなお世話だ。
ふと、あの人は今頃どうしているだろうかと考えた。
あれからどの賞の入賞者にも名前を見かけなくなった。
きっと詩の道を諦めて、どこかの誰かに嫁いで、平凡な毎日を送っているのだろう。
「それはそれで、いいんじゃないかな」
ふっと笑みを浮かべて呟いてみる。
そんな人生も悪くないだろう。でも、自分はそうはならないつもりだ。
国王夫妻が開く詩の朗読会に、一度だけ出席したことがある。
王室の選詩集で佳作に選ばれたフェリシアに無理やりついていったのだ。
素晴らしいドレスを身にまとい、国王の前で詩を読み上げるワイス夫人の姿が瞼に焼き付いた。
(私も、いつか……)
理想の姿を思い描くと心が明るくなった。
「メイジー、いつまでボケっとしてるの。私にばかり仕事をさせて、ちょっとは悪いと思わないの」
母がヒステリックに叫んだ。
「隣の店で女給を探してるから、誰か決まる前に雇ってもらいなさい」
「女給……?」
「酒場のホールで料理やお酒を運ぶのよ! それくらいなら、あんただってできるでしょ」
そう言い捨てて、母は忙しそうに出かけていった。
裏通りの宿屋で掃除婦をするために。
たった二週間ほど前のある日を境に、母とメイジーの生活は一変した。卒業式から数日後に『これからはヘイマー家に頼るわ』と宣言した母と一緒にゴダード家を去ったのだが、物事は母の思惑通りにはいかなかった。
ヘイマー家の人たちは義父とは違う種類の人間だった。
切々と自分たちの窮状を訴える母を、何か未知の言葉を話す謎の生物を見るようにぽかんと眺め、やがてろくに挨拶もないまま『お引き取りください』と冷たく言って屋敷から追い出した。
仕方なく元の父親であるレックス・モグリッジの家に身を寄せたのだが、翌日には義父が持たせてくれたメイジーの持参金と、慰謝料という名の母の金とともに、実の父親でもあるその男は姿を消していた。
残されたのは古い借家と父の借金だけだ。
それでも、メイジーには夢がある。
そう思えば何も怖くない。
しばらくは母の機嫌を取って女給の仕事をするしかないが、すぐに宮廷から迎えが来るだろう。
「その時になって謝っても遅いんだから」
ヘイマー侯爵夫妻の後ろで、何かを諦めたようにメイジーを見下ろしていたサイラスの顔を思い浮かべた。
やっぱりダメだ、役に立たないと言いたげだったあの顔は、メイジーの成功を知ったらどんなふうに歪むだろう。悔しそうなサイラスの顔を想像して、メイジーは一人にんまりと頬を緩めた。
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