第23話
エアハート侯爵の書斎に入ったフェリシアは、何も聞かれる前に「サイラスとの婚約を取りやめてほしい」と言った。
「それはまた、ずいぶん唐突だな」
「我儘なのはわかっています」
エアハート侯爵は聡明な娘の顔をまっすぐ見つめた。
「おまえがそんなことを言いだすのには、それなりのわけがあるのだろう」
聞こう、と言って書斎机から離れて中央の応接セットにフェリシアを促した。
フェリシアにはうまく話せる自信がなかった。
父の斜向かいのソファに腰を下ろしても、すぐには言葉が出てこない。
「サイラスの何が気に入らないんだい?」
「気に入らないとか、そういうことではないんです……」
父の助け舟に乗って、ようやく口を開いた。
「サイラスだけが悪いとは思っていません。ただ、なんだかもう、どうでもよくなってしまって……」
「ほう……」
なぜ、どうでもよくなったのか、いつからかと聞かれて、自分の心をゆっくり覗き込んだ。
「時々、サイラスが人を見下すようなことを言うのを聞いて、嫌な気持ちになっていました。その時に、ちゃんと言わなかった私も悪いのかもしれないし、今さらこんなことを言うのも、ただの悪口になるかもしれないんですけど……」
「なるほど。では、なぜ、フェリシアはサイラスに注意しなかったのかな」
「それは……」
フェリシアは考えた。
一度か二度、注意をしたことはあったのだ。
「注意をしても、不機嫌になるだけだと知っていたからかしら……」
エアハート侯爵は軽く頷いた。
「ほかにも、何か理由になることがあったかい?」
フェリシアは、今日、貴族街のカフェで起きた出来事を話した。
バーニーのパーティーにフェリシアが行くことにサイラスは反対だったということや、そのことでメイジーがサイラスに味方したことも含めて。
そして、ぽつりと呟いた。
「私、メイジーが嫌いなの……」
エアハート侯爵は「ほう。それはまた、なぜだい?」と、幼い頃のようににこりと笑って興味を示してきた。
「うまく言えないけど、なんだか嫌いなの。すごく意地悪ってわけでもないし、わざと学園の決まりを破ったりするわけでもないし、たぶん、誰もメイジーのこと、悪人だと思ってないと思うけど、でも、嫌い」
父は黙って聞いている。
ふつうはしないだろうとフェリシアが考えていることを、メイジーは平気でするからだと言った。
「例えば、どんな?」
フェリシアの家に来て勝手に侍女にお茶を頼むこと。
友だちとの約束や、サイラスとのデートに、誘ってもいないのについてくること。
フェリシアが見つけた店や本を、自分が見つけたような顔で人に教えること。
フェリシアやレイチェルの詩を真似て書いた詩を、自分の詩としてどこかに出すこと。
「みんな、どうでもいいくらい小さいことよ」
「でも、フェリシアは嫌だったんだね」
そうだと頷いた。
嫌だったのだ。
いちいち言えないことも含めて、嫌だったし、不快だった。
「バーニーの家のパーティーにだって、メイジーは何回も、自分も行きたいって言ってきたのよ。私にはどうすることもできないし、無理だからって断ったの。だから最初からメイジーは行けなかったのに、サイラスには、まるで自分の意思で行かないみたいな言い方してた」
ほかにもそんなことがいくらでもあった。
だんだんと、堰を切ったように言葉が溢れてきた。
メイジーは、誰かと誰かが対立するのを見つけると、両方に、あるいはどちらかにでも、まるで媚びを売るように「自分は味方だ」と言ってすり寄る。
共通の憎悪は最大の絆を産むからだ。
一緒に誰かの悪口を言うと連帯感が強まるのだ。
バーニーを悪く言うサイラスに同意する時のメイジーは実に嬉しそうだった。少し前には、自分もパーティーに行きたがっていたとは思えないくらい嬉々として、自分は今後一切バーニーと仲よくしないなどと言っていた。
メイジーとバーニーが仲がよかったことなど一度もなかったはずなのに。
「つまり、フェリシアはメイジーの卑しさというか、美意識のようなものが欠けていることが嫌だと言うか、不快感を覚えるようだな」
「そ、そうかもしれないわ……。勝手よね……」
「いや、それは仕方ないのではないかな。要するに反りが合わないのだ。無理をして付き合う必要はないだろう」
父の言葉に、すっと気持ちが楽になった。
合わない相手と無理に付き合う必要はない。もうメイジーを相手にしなくていいのだと思うと、清々した気持ちになる。
「サイラスは、フェリシアがバーニーと仲よくするなら、自分もメイジーと仲よくしてもいいはずだと思ったのかもしれないね」
「ええ……。そう思うわ」
お互い様なのだ。
フェリシアはうつむいた。
事実だけを見れば、やはりフェリシアの我儘のような気がしてくる。
だが、エアハート侯爵は真面目な顔で言った。
「だったら、彼にはメイジーと仲よくしてもらおう」
「え……」
「今回の話は白紙に戻したいと、ヘイマー家には私から伝える」
「お、お父様……? いいの?」
侯爵は「うん」と頷き、軽く笑ってみせた。
「フェリシア自身もわかっているように、サイラスだけが悪いと決めつけることはできないかもしれない。だが、どちらが正しいとか間違っているとか、そんなことは、どうでもいいのだ」
「そ、そうなの?」
それで、婚約破棄などできるのだろうか。
「彼らとは、考え方が合わない。それで十分だ」
あっさりと言い放つ父を、フェリシアはぽかんとしたまま見つめていた。
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