第22話

(マズイことになった……)


 エアハート家の書斎の前で、サイラスは呆然と立ち尽くしていた。


 貴族街のカフェでフェリシアに話を聞かれた後、トビーとニールは『謝ったほうがいいんじゃないか』と、ひそひそ声でサイラスに言った。

 だが、メイジーは『あんなこと言われて、いいの?』と眉を顰めて聞いてきた。


『フェリシアにも、悪いところがあると思う……。サイラスが謝ることは、ないんじゃない?』


 いかにも自分はサイラスの味方だと言わんばかりの、思いやり深そうな顔つきで続けた。

 サイラスは、『そうだよな』と笑うしかなかった。


 だが、内心では焦っていた。

 嫌な汗が、背中を大量に流れ落ちた。

 のんびりコーヒーなど飲んでいる場合ではなかった。


 なのに、メイジーが延々と『サイラスは悪くない』と言い続けるので、席を立つきっかけを失ってしまったのだ。


 フェリシアが侍女と出ていくのを見送った後、何気ないふうを装って『僕たちも、そろそろ行こうか』と三人に声をかけた。

 メイジーはまだ帰りたくなさそうだったが、トビーとニールはすぐに察してさっと席を立った。


 ぼやんとしたままサイラスについて来ようとするメイジーを二人が引き留め、『頑張れよ』と送り出してくれた。

 持つべきものは仲間だと思った。


 へらへらと笑いながら『何を頑張るの?』と聞いてくるメイジーを無視して、エアハート邸に急いだ。


 間一髪のところで、書斎の前にいるフェリシアに追いついた。

 そう思ったのに……。


(説得しきれなかった……)


 メイジーなんかに構っていたのがいけなかったのだ。


 サイラスは舌打ちする。


 カフェですぐに謝っていれば、せめてフェリシアより先に店を出てエアハート邸で待っていられたら、そもそもメイジーなんかと一緒にいなければ……。

 いくつもの後悔が頭の中をぐるぐる回るが、すべて後の祭りである。


 フェリシアとの婚約が破棄されれば、ヘイマー家はおしまいだ。


(だが……、待てよ……)


 そう簡単に婚約が破棄されるだろうか。


 あんなに人気があるにもかかわらず、フェリシアになかなか婚約者が現れなかったのには理由がある。

 釣り合う相手がいなかったのだ。


 跡取りのいない貴族の家への婿入りを狙う王立騎士団の連中でも、侯爵家となると二の足を踏む者が多い。

 よほどの家柄でなければ釣り合わないことが、最初から分かっているからだ。

 敷居が高すぎるのである。

 

 実際、エアハート侯爵は、娘の婚約者になる人物については、かなりうるさく注文をつけていた。

 フェリシアへの求婚者は多かったが、誰も侯爵の眼鏡に適う者がいなかったのである。

 

 その眼鏡に、ようやく適った人物がサイラスだった。

 容姿、家柄、王立騎士団員の地位に加えて、性格的にも大きな問題がない。年齢もちょうどいい。

 すべてがエアハート侯爵の基準を満たしていた。


 納得できる相手がいなければ、妹のローズマリーに婿を取り、フェリシアをバーニー・アシュフィールドに嫁がせることも、侯爵は考えていたようだった。

 だが、サイラスが現れたために、やはりフェリシアに婿を取り、家を継がせることにしたのである。


 そのような経緯を思い出し、サイラスは自分を鼓舞した。

 

 エアハート家にとっても、サイラスはやっと見つけた婿養子なのだ。

 家同士も納得してまとまった縁談だ。

 そう簡単に婚約を破棄するはずがないではないか。

 

(そうさ。あれくらいのことで……)


 エアハート侯爵は家族思いの人だと聞くが、一方では厳しい実業家でもある。

 娘のささいな我儘を真に受けて、契約ともいえる家と家との約束を安易に反故にするはずがない。


 サイラスは必死に、そう自分に言い聞かせた。

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