望月さんの場合

いちはじめ

望月さんの場合

 俺はため息をつきながら、賞味期限がきた商品をかごに放り込んでいた。ため息の原因は、今月初めに面接を受けた会社から、昨日、不採用の通知が届いたからだ。大学卒業時に就職に失敗し、以後、大学在学中から始めたこのコンビニでのバイトを、二十五歳の今日まで続けている。オーナーから正社員に誘われたりもしているが、この仕事でいいのかと踏ん切りがつかない自分がいた。

 そんなしょぼくれていた俺の背中を、勢いよく叩くものがいた。驚いて振り返ると、そこに嬉しそうな笑みを浮かべた望月さんがいた。望月さんは、俺がバイトを始めた時からいるベテランパートさんで、歳は三十、お子さんが一人いるシングルマザーだ。

「何しょぼくれてんのよ、店長。さては就職活動、今回もダメだったんでしょう」

 この店に店長というポジションはないのだが、誰もが俺のことをそう呼ぶ。

「余計なお世話ですよ。それに僕が就職に失敗したことが、そんなに嬉しいんですか」

「あら、元気づけのための笑顔よ。バカにしているように見えたのならごめんなさい。でもあなたはもう新卒でもないし、前職コンビニ店員じゃ中途採用といってもね……」

 痛いところを突かれて、俺はぐうの音も出ない。

 そんなことを言いつつ彼女は、棚にある賞味期限切れの商品を、さっさと片づけてしまった。そしてその中からいくつかを選り分け、別のかごに入れた。それらは今夜、望月さん家の食卓に並ぶのだ。

 廃棄される期限切れの商品を持ち帰ることは、本当はいけないことだが、彼女がオーナーと掛け合い、そのことを承諾してもらったのだ。そのおかげで、俺も随分と助かっている。

「さてと、仕事が片付いたところでいい情報教えましょうか。お嬢様、あなたに関心があるみたいよ」

 お嬢様とは、一カ月ほど前に入ってきた新人バイトの女子大生のことだ。名前が貴族のような苗字なのでそう呼ばれている。噂によると、本当にある名家のお嬢様らしい。そういわれれば、身なりや所作、顔立ちにも育ちの良さが現れているような気がする。

「あなたのことを、いろいろ聞いてきたわよ。捨てる神あれば拾う神あり、頑張りなさい」

 望月さんはにやけた顔でもう一度俺の背中を強く叩くと、レジに戻っていった。

 俺は恋愛には縁遠い人間だと思っている。大学生の時に、一度遊び仲間の女の子と短い間付き合ったがそれっきりで、卒業後は、就職に失敗したため、それどころではなかった。それが降って湧いたような話を聞かされ、本当かどうかも分からないのに心がざわついた。俺は明後日のシフトが、お嬢様と同じであったことを思い出し、体が急に熱くなるのを感じた。

 そして迎えたその日、俺は妙に意識してしまい、心とは裏腹にお嬢様とのかかわりを極力避けてしまっていた。お嬢様はというと、俺にモーションを掛けるわけでもなく、普段通りてきぱきと仕事をこなしている。そうして、いつものようにコンビニの慌ただしい時間は過ぎて行き、上がりの時間が近づいてきた。

 さては望月さんに担がれたかと落胆して、事務室で一人遅い夕食をとっていると、不意にお嬢様が入ってきた。俺の鼓動が一オクターブも跳ね上がった。

「ど、どうしたの。何かあった?」

 食べ物を飲み込むのと喋るのを同時に行ってしまい、言葉になっていなかったが、そんなことにはお構いなしに、お嬢様は、うるんだ目で俺を見つめてきた。

「店長、私と付き合ってください。この前の店長のトラブル対応が、男らしくて、かっこよくてほれちゃいました」

 食道を通過するはずの食べ物が、気管になだれ込み、俺はむせた。ようやくお茶で事態を収拾した時には、既にお嬢様はそこにはいなかった。俺が店内をそっと覗いてみると、お嬢様は何事もなかったかのように、てきぱきと動き回っていた。その笑顔が眩しくて、それまでのお嬢様と同一人物だとはどうしても思えなかった。

 次に同じシフトに入るのは一週間後だ。つまりその日に返事をしなければならない。俺は悩みに悩んだ。

――就職もまともにできない男が、ひょっとすると名家の出かもしれないお嬢様と、果たしてうまく付き合っていけるのだろうか、いや、そもそも付き合ってもいいのだろうか……。

 しかし、一旦火のついた俺の心は、付き合いてぇと叫んでいる。

 俺の悶々とした一週間が過ぎた。

 そしてその日、コンビニに行くとお嬢様はいなかった。何と、既にバイトを辞めていたのだ。聞くところによると、このところあるお客さんの高級外車で送り迎えされていたというから、そういうことなんだろう。

――なんだよ、返事すらしてないのに……。

 シフト表の前で、呆然と立ち尽くす俺の背中を強く叩くものがいた。またしても嬉しそうな望月さんだ。

「あらあら、最近の若い人の恋は、賞味期限が随分早いのね」

「人の失恋をそんなに嬉しそうに……」

「それはそうと、その恋、廃棄するのはもったいないんじゃない」

――俺の恋は賞味期限切れの商品かよ……。

 憤慨する俺に、吐息が掛かるほど近づいた望月さんは、俺の耳にそっと囁いた。

「良かったら貰ってあげるけど。私の恋は賞味期限が長いから、返事は急がなくてもいいわよ」

 望月さんの体から漂ってきた、仄かな甘い香りが俺の鼻腔をつき、体がかあっと熱くなるのを感じた。

 店内に戻った望月さんの、お客さんを迎える声が、やけにはっきりと聞こえた。

                                   (了)

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望月さんの場合 いちはじめ @sub707inblue

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