第八話

 そして刑事が警察手帳を見せながら、叫んだ。

「動くな、井口 紀夫のりお! 土村愛海殺害と、市村健吾の殺人未遂さつじんみすいの疑いで逮捕する!」


 すると警察官三人が井口君を、取り押さえた。


 刑事は井口君に手錠てじょうをはめて、井口君の背中を押した。

「詳しい話は、署で聞こう」


 井口君は、喚いていた。

「ちくしょう、ちくしょう!」


 それと入れ替わりにスマホを持った永山が、ニコニコしながら玄関から入ってきた。



 次の日、私はスマホで永山と話していた。

『それで井口君の様子はどうだい?』

『素直に取り調べを受けているようだ。まあ、証拠がそろっているからな。

 DNA型鑑定は今、行っているところだ。おそらく被害者の右手の人差し指の爪の間にあった肉片のDNAと一致するだろう。観念

 指紋は、すでに照合した。被害者の首にあった指紋と一致したよ。

 更にあの時、お前のマンションの前で俺と刑事と警察官三人が、スピーカーにしたスマホで自白を聞いているからな。観念かんねんするしかないだろう』

『そうか……』


 永山は、ため息をついた後に言った。

『それにしても危ないところだったな。下手へたすりゃ、お前も絞め殺されていたぞ』

『いや、お前たちが玄関の外にいると分かっていたから、大胆だいたんな行動が取れたんだよ』

『まあな……。刑事と警察官三人を手配していた俺に、感謝するんだな』

『ああ、感謝している』


 そして永山は言った。

『そう思ったらまた、寿司をおごってくれ』

『ああ、そうするよ』

『それじゃあ、またな』

『ああ』と私は電話を切った。


 そして自分の部屋に戻り、机の引き出しを引いた。中から愛海の写真を取り出して見つめると、写真の中で愛海はジェリス女子高校の制服を着て微笑ほほえんでいた。


 私は、呟いた。

「これで、かたきは取れたかな?」


 そしてステレオにCDを入れ、バッハの『小フーガ ト短調』を流して愛海への、手向けにした。


   ●


 午前九時。マンションのインターホンが鳴り、彼女の元気な声が聞こえてきた。

「おはようございます、一柳先生! 電撃社でんげきしゃ新田鈴乃にったすずのです! 一柳先生、いらっしゃいますか?!」


 一柳はインターホン越しに答えた。

「おはようございます、新田さん。さ、入ってください」

「失礼しまーす!」と新田は玄関のドアを開け、部屋に入ってきた。


「ま、座ってください」と一柳は勧めた。すると

「はい、失礼します」と新田は、リビングの年代物の黒いソファーに座った。


 新田は髪は左から分けて肩の長さまである。そして少し、とがったあごをしていて、いつも目が笑っていた。全体的な印象は、愛嬌あいきょうがあるサルのようだった。


 一方、一柳の髪は左から分けて少し伸ばしていた。形のいいあごをしていて、トラのようにするどく、そしてどこか哀愁あいしゅうのある目をしていた。


 何の前置まえおきも無く、新田は切り出した。

「それで一柳先生、長編小説のアイディアは出ましたか?」


 一柳は冷静に答えた。

「それなんですがね、新田さん。実は全然、出なかったんですよ」

「え? どうするんですか一柳先生! 締め切りの六月三十日まで、あと三カ月しかないんですよ!」


 電撃社の長編小説といえば、四十二字✕三十四行で八十枚から百三十枚が決まりである。ちなみに短編小説は、十五枚から三十枚が決まりである。

 しかし長編小説が苦手な一柳はいつも、八十五枚から九十枚、書いていた。そして、そこそこ売れた。


 一柳が電撃社で書き始めて、今年で二十年目になる。毎年一作づつ、合計十九冊の長編小説を電撃社から出版した。り返すが、そこそこ売れた。大ヒットも無いが全然、売れないこともない。しつこいがいつも、そこそこ売れる。


 そこで電撃社では一柳のことを、『そこそこ先生』と呼んでいると、口をすべらせた歴代れきだい編集者から聞いた。


 だが一柳は、それに対して全く怒らなかった。そこそこ売れて、そこそこの収入があり、そこそこの生活が出来る。一柳はそれに満足していた。

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