あかるい世界

Gacy

あかるい世界

 全身の筋肉が悲鳴をあげ,関節が音を立てて不自然な方向へと曲げられ固定された。これ以上曲げられたら,関節が壊れてしまう恐怖と経験のない痛みに全身の毛穴が開き,額からは脂汗が滲み出した。血の流れが悪く冷たくなった指先が小刻みに痙攣したが,すぐにどこが痙攣しているのかわからないほど全身が麻痺していった。


 口には辛うじて呼吸ができる程度のいくつもの穴が開いた硬い球体を押し込まれ,微かに口から出ている球体を革のベルトでしっかりと固定されていた。俯くと大量の涎が口から溢れ,粗くなった呼吸で胸と背中が上下した。十分な酸素が肺に入ってくる気がせず,呼吸をすればするほど息苦しさが増し,口の中が真空になっていくような錯覚をした。


 驚くほどしっかりと固定された革製の目隠しの中で眩しい光が点滅し,虹色の光で目の奥がクラクラした。眩しさが脳みそを焼いているんじゃないかと思えた。


 こうやって全裸のまま拘束され,どれくらい時間が経っているのかわからないが,素肌に食い込む革製のベルトが肌を締め付け,皮膚を摺り切り,血が滲んだ。最初は悲鳴をあげ,助けを求めたが,球体に開けられた小さな穴の縁で舌を切り,喉の奥に流れてくる血で叫ぶことができなくなった。


 泣き叫ぶことも許されない状況にパニックになったが,どんなに暴れもがいても,痛みと苦しみしかなく,体力がなくなればそのまま気を失うよう眠りについた。そんなことを数回繰り返しているうちに,抵抗する気力も体力も薄れていった。


 座る部分に大きな穴の開いた革製の椅子は,剥き出しの足首と膝をベルトで締め上げながら強制的に両脚を左右に拡げる細工が施されていた。大きく拡げられた股の間がやけに涼しく,無防備になった粘膜を汗が湿らせた。


 何も見えない分厚い目隠しの下で目を見開き,何度も瞬きを繰り返した。それがどれほど無意味なことかは理解しているが,自分の意思で動かせる数少ない場所を動かすことで,得体の知れないなにかに抵抗している気分になれた。


 目蓋が目隠しに擦れるたびに,睫毛が抜け,皮が擦りむけるのがわかった。目隠しで締め付けられた革製のベルトが耳のすぐ上で擦れて出血しているのを感じた。


 真っ暗闇でなにも見えないはずが,瞬きを繰り返すことで目の奥のほうで小さな優しい光が点滅した。最初は小さく,ふわふわした柔らかい優しさを感じる光だったが擦り切れる目蓋の痛みが増すたびに暴力的な激しい光へと変わり脳みそを焼き焦がした。


 痛みに耐えきれずに目蓋を閉じると,ゆっくりと点滅する光のなかに小さな小さな手が見えた。小さな手は握り締めては開き,まるでなにかを掴もうとしているようにも見えた。


 繰り返し閉じたり開いたりしている小さな手を見つめているうちに,その動きから自分になにかを伝えようとしているかのように思えた。それがなにかはわからないが,懐かしさを感じる小さな手を凝視して,自分になにを伝えようとしているのか必死に考えた。


 小さな手はゆっくりと成長しながら,不器用に手を広げた。目の前で大きく広がる柔らかそうな優しい手は神秘的で決して汚してはいけないように思えた。


 その手は誰かを求めるかのように目の前で優しく開いて,まるで握りしめて欲しいと言っているかのように見えた。何度も目の前で繊細で美しい指先がゆっくりと閉じては開き,開いては閉じた。


 光はどこまでも拡がってゆき,目の前の手がそっと自分の頬を両手で優しく包み込むように撫でているのを感じた。優しい手は暖かく,苦痛と苦しみから解放してくれるように思えた。


 革のベルトが汗で絞まっていくようで,少しでも体の向きを動かそうものならば容赦なく関節を締め上げた。


 思い出すのは幼い頃に両親に連れられて行った海水浴,母親が大好きだった遊園地,家族みんなで外食をしたチェーン店での明るい笑顔に包まれた光景だった。


 子どものころから落ち着きがなく,小学校の通知書にも定型文のように『少し落ち着きが足りません』と書かれていた。


 学校で友だちと遊んでいても,気がつけば独りになることが多かった。虐められているわけではなく,ただ同じ場所にじっとしているのが苦手で友だちと遊ぶペースがあわせられなかった。


 読書は好きで,気に入った本は何度も読み返した。漫画もセリフを暗記するほど読み込み,友だちとの会話にも漫画のセリフが自然と出るほどだった。


 こうして全裸で拘束され,全身に苦痛を与えられるなど想像もできない普通の生活しかしてこなかった。


 なぜいま,自分が目隠しをされ,口を塞がれ,関節が悲鳴をあげるほど不自然に曲げられ,両脚を拡げられて全身拘束される状況に陥ったのかを頭の中で何度も思い出そうとしたが,記憶が曖昧で細かい場面がフラッシュバックするだけだった。


 どこまでも真っ暗な世界の中心は,突然眩しい光が現れたかと思うと点滅したり形と大きさを変えながら消えてゆき,しばらくすると赤い小さな光が出現し眼球の奥を焼いているような感覚がした。


 脳みその奥の方で強い光を感じ,瞼の裏にさまざまな映像を観せた。全身から脂汗が滲み出しているのは,ゆっくりと垂れてくる汗で股の粘膜がヒリついていくので感じられた。


 点滅する光の中に定期的に現れるさ優しそうな手が目の前でゆっくりと伸び,自分の顔を包み込むような感覚がした。その瞬間,目隠しの下で笑顔になり,大量の涎を垂らし,失禁したが身体は痺れてなにも感じることはなかった。


 優しい手が頬を撫で,包み込んでくれる安心感に涙が溢れた。革製の目隠しが汗と涙を含んでヌルヌルしたが,自分でも理解できないほど激しく瞬きを繰り返し,喉の奥から奇声を発し続けた。


 優しい手が自分を包み込んでいくと,真っ暗な世界はぼんやりとした明るさが広がり,その真ん中に幼い頃の自分が目の前に立っていた。


 幼い自分は,嬉しそうに微笑み,悔しそうに泣き,寂しそうに悲しみ,すべてに対して怒っていた。


 困っている人がいたら,黙っていられない子どもだった。人見知りをしないわけではなかったが,声をかけてあげることは当たり前だと信じていた。


 気が付けば学級委員にいつも選ばれ,部活では部長に選ばれることはなかったが,常に先生から手伝いを言い渡された。


 自分は責任感だけはある,人から頼られたら嫌なことでも断れない子どもだった。


 久しぶりに中学校のころの友人から連絡があり,同窓会気分で会いに行った。子どもの頃の面影は十分すぎるほど残っていて,お互いを認識するのは一瞬だった。


 話に花が咲き,時間も忘れて懐かしい話をした。お互いにいまなにをしているのか,これからなにをしたいのか夢を語り合った。


 そして友人からの頼みで,友人の夢を叶えるための書類に保証人としてサインをした。軽い気持ちで、友人の助けになれると思い三箇所に名前と住所と電話番号を書いた。


 用紙には印鑑も必要で,友人からの願いで一旦帰宅して書類に印鑑を押した。ここまで頼られることに嬉しくなったが,心の底に得体の知れない不安もあった。


 それからしばらく友人とは定期的に会い,お互いの話をした。中学校の頃は顔と名前を知る程度で,一緒になにかをしたわけでもなく友達と呼べるほどの距離はなかったが,今では親友と呼び合う仲になった。


 子供の頃に親友と呼べる友達など想像もしなかったが,いまこうして目の前にいる友人はお互いに親友と呼び合い,一緒の時間を過ごす喜びを知った。


 親友の話はなにを聞いても嬉しく,なにを言われても助けてやろうと思い,自分が少しでも役に立つことに心の底から喜びを感じた。


 そして二年が過ぎたころ,親友からの連絡はなくなり,こっちから連絡しようとしても連絡先もわからず,中学のころの同級生に聞いても,皆,なにも知らなかった。


 革製の拘束具が肌を擦り切り,全身が血と汗に塗れた。瞬きのしすぎで瞼の皮が切れ,目に血が入り,痛みで涙が止まらなくなった。


 誰もいない,どこだかもわからない部屋で何日も拘束され,食事も水も与えられず,気を失うように眠り,目が覚めても真っ暗な闇だった。


 全身が痺れ,痛みも感じなくなり,動くことが許されないまま涙だけが溢れ続けた。


 頭の奥で親友の声がした。悲鳴にも似た叫び声と,誰かに許しをこう悲痛な叫び声だった。相手が誰かはわからなかったが,何人かの声がした。


 鈍い音が何度か聞こえ,その直後から親友の声は聞こえなくなった。


 自分がなにを聞いているのか理解できず,なぜ自分が全裸で拘束されたのかも思い出せなかった。


 ただ当たり前のように生きてきただけで,こんな性癖があるわけでもなく,酷い目に遭わされる理由もなかった。


 ただこうして全身を拘束され,目隠しをされ,真っ暗な状態で痛みと苦しみを与えられているのは事実だった。


 両親に連絡がしたいと願ったが,口には口枷がはめられ,そもそも自分の周りに人がいるのかもわからなかった。


 最後に聞いたのは重い金属製のドアが女性の悲鳴に似た音を立てながら閉まり,ゆっくりと鍵が落ちる音だった。


 なにが現実でなにが嘘なのか,なぜ自分がこうしているのか,なにもわかならないままゆっくりと意識を失うように眠りについた。


 最後に見たのは,真っ暗な闇のなかで優しい小さな淡い光が拡がり,嬉しそうに両親に抱っこを願う笑顔に包まれた幼い自分の姿だった。

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