第5話 赤き炎
勇者は、王子は、敵だ。
私がどれだけ惹かれようと関係ない。
あの男は再び戻ってきた。
それだけが事実。
ならば、私も迎え撃つのみ。
戦いの本能を持つ地上最強の一族の矜持をかけて。
力を取り戻し、久しぶりに取り戻したドラゴンの肉体だが不安はない。
翼をはためかせ上空に飛び立つと、体重を乗せて舞い降り、王子の腕を狙って牙をつき立てる。
王子は難なく躱し、私が第二打として放つ尾の攻撃も、素手で叩き落した。
続く爪の一撃も後ろに下がって避ける。
そのまま切り崩しをねらい、何度も攻撃を繰り返すが、上空からの攻撃は全て読まれ、らちが明かない。
幾度も、同じような攻守を繰り返し、攻撃が単調になって来たあたりで、私は、起死回生の一手を狙う。
私は、上空から攻撃を仕掛けると、そのままトップスピードで大地を蹴り、王子に向かう。
牙をむき、至近距離から火炎を放つ。
とった!
業火に包まれる王子の姿。
でも。
私の中には、成し遂げたという達成感よりも、喪失感がじわじわと湧き出していた。
「終わっ……た?」
どうしよう。
私は勝ったの?
勝って……しまったの?
その時、業火がふっと掻き消えるように鎮火し、中から、傷一つない王子の姿が現れた。
私は、胸に喜びが沸き上がるのを抑えることができなかった。
ああ、私は、勝てない。
いや、
気づいてしまった事実、私の本当の望み。
でも、どうせ負けるなら、せめて剣を抜かせたい。
そして、私が見惚れた、魅せられた、あの美しい太刀筋で、私の首を切り落としてほしい。
それぐらい、望んでもいいはずだ。
王子アーレントは、近づきながら、私に問いかける。
「なぜ待たなかった」
「倒されるのを座して待つわけがないでしょう?」
あなたに、憎しみを向けられるのが怖かったから。
でも、同時に、私は追ってきて欲しかったんだと思う。
「俺は、そんなにお前にとって、価値のない男か」
「殺戮者にどうして価値を見出せるの?」
私にとってあなたの価値は、金の鉱脈にも勝る。
そして、私の、命よりも。
「何も言わずに、姿を消すほどに、逃げ出すほどに厭わしい存在だったということか」
「答えるまでもない」
いいえ、憎しみを向けられるのが怖くて逃げ出さずにはいられないほど、愛しい存在だった。
「まあ、そんなことはどうでもいい。お前は、俺のもの、それだけだ。思い知らせてやる」
私は再び大地を蹴った。
とっくに、思い知っている。
私はもう、あなたのものよ。
私の命は、あなたのものだわ。
相手を殺すという気概を失った私の攻撃は、勇者の強さの前に、全く相手にならなかった。
そして、私の力も、もう終わりに近かった。
――まだだ。
圧倒的な強さに、ひれ伏したくなるドラゴンの本能を叱咤する。
まだ、剣を抜かせていない。
私は、あの美しき軌跡をまだ見ていない。
その時、素手で私をいなす王子が、不意に足を滑らせた。
今だ!
こんなチャンスはもうないだろう。
私は、王子の頭を噛み千切ろうと口を開けた。
今度こそ王子は剣を抜くはずだ。
そして――。
「え?」
私の口からは、鮮血が滴っていた。
私の牙は、頭をかばった王子の腕を噛み裂いていた。
「やっ……」
どうして? どうして?
私は、ゆっくりと口を開いた。
鮮血が、私の口元を流れ落ちる。
それと同時に、力を使い果たした私は、ふらふらと倒れ込むように人型へと移行した。
王子は、腕の怪我をものともせずに、目の前で座り込む私に手を伸ばした。
血に塗れた手で、私の首元へと手を伸ばす。
私は、その位置にあるものと、王子の意図に気づき、びくりと体をこわばらせたが、すぐに力を抜いた。
もう、いいか。
完敗だ。勝てはしない。
力も、心も、全て屈してしまった。
だから私は、それを与えるべく、首を上げて目をつむった。
王子の伸ばす手の先にあるのは、竜の「逆鱗」
人型になってもなくならないそれは、引きはがされ、飲み下されると、その相手の奴隷になる。
「美しいな」
いつか、あの森で聞いたのと同じ一言に、心が揺さぶられる。
そう言われて、最後まで美しくあろうと思う私は、なんて滑稽なんだろう。
この男が手に入れた獲物の美しさを自慢できるように、深紅のうろこを美しく、磨き上げよう。
私は、この男に、これから囚われるのだ。
隷属し、自ら喜んで血を、肉を捧げつくすのだろう。
そして、そんな未来を受け入れてしまった。
男の指先が、私の首に触れる。
探るようなその動きに心と体が震える。
逆鱗が引きはがされる痛みは想像を絶するという。
私は、その瞬間を静かに待った。
王子の体が近づく気配がする。
王子のもう一方の手が、私の首の後ろをつかんだ。
そして、敏感な逆鱗に感じるその感覚が、全身を走り抜ける。
「んっ」
痛みではなかった。
まさか。
王子は、私の逆鱗にそっと口づけていた。
それは、竜族の「求愛」の証。
「俺と一緒に来い。お前しかいない」
見上げる私の前で。
勇者の紫の瞳は、私の髪を映して、赤く、揺れていた。
――私は、その赤にまた、飲み込まれてしまった。
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