第2話 勇者を拾った娘
――二か月前。
ここは、ウェストラント王国の西、どこの国にも属さない未開の地。
一番近い人里からもだいぶ離れた場所にある森の外れに、私は生まれ育った里を離れ、一人で住んでいた。
二か月前のその日、王子を拾ったのは仕方のない成り行きだった。
森で、魔獣マンティコアに遭遇した私を助けようとした王子が、サソリの尾の毒針に刺され、倒れたのだ。
マンティコアは、人の頭にライオンの胴、サソリの尾を持つ辺境の魔獣。しかし、勇者がやられるほどの強さはない。その日の王子は、万全の状態とは言い難かったのだ。
本当は、倒れた王子など捨ておいてもよかった。勇者と関わり合いになるなんて、正直面倒なことだらけだ。里の誰に聞いてもそう言うだろう。
でも、私を守るために毒を受け倒れた王子を、私は見捨てることができなかった。
どうせすぐに元気になって出ていくだろうから、少しの間だけ面倒を見て追い出せばいい。そう思って、私は自分の住む家に王子を連れ帰った。
しかし、勇者と言えども毒への耐性はさほどではなかったらしく、王子は三日三晩熱と痛みに苦しんだ。勇者も人の子なんだと、この時ばかりはしみじみと思った。
そして、夜通し看病した翌朝、彼の顔色がよくなったのを見て私は心底ほっとしたのだった。
その朝、王子は目を覚ますと、不信感満載の顔で私を見上げて眉をひそめた。
「お前は、誰だ? ここはどこだ?」
そりゃ不審に思うはずだ。記憶すらないんだから。
私はちょっと離れた位置から、ベッドに横たわる男に用意しておいた答えを返した。
「私はイルセ。森でマンティコアに遭遇したところを、あなたに助けてもらったの。あなたはマンティコアの毒で倒れてしまったから、とりあえず私のうちに連れてきたんだけど」
「そうか……俺は、毒で記憶を失ったのか」
毒と高熱のせいで記憶が曖昧になったのか、ラッキーなことに、王子の記憶はそういう風に書き換えられていた。
少しはしょった私の説明も不自然な状況も、彼は全て記憶のせいにして受け入れてくれたようだった。
それから男はベッドに体を起こし、汗で張り付いた髪をかき上げると、私に紫の瞳を向けた。熱で潤んだ男の視線は、やすやすと私の視線を奪う。
私は、男から目を逸らすことができなかった。
「ベッドが固い。汗で気持ちが悪い。喉が渇いた。腹が減った」
「……」
何かこう、ぐっとくるセリフを一瞬でも期待した私が馬鹿でした!
何か言えるほど元気になってよかったよね!!
「水はそこにあるでしょ! 自分で飲んでよ」
思わずやつあたりのように叫ぶ私のセリフも男は意に介さない。
「コップが持てない。お前が飲ませろ」
「……」
本当はやりたくないが、病人なので手を貸さないわけには行かないだろう。
さっきは思わず見とれてしまったけれど、正直、私はこの男が怖い。眠っている時ならまだしも、起きているこの男の手の届く位置にはなるべく近づきたくなかった。ただ、それを表にだすほど馬鹿じゃない。
「はい、どうぞ」
水を注いだコップを男の口に近づけ、傾ける。
しかし、震える手をごまかすために上手く加減ができなくて、こぼしてしまった。
「……冷たい」
「あ、ごめんなさ」
「脱がせろ」
「……」
だから、近づきたくないんだってば!
しかし、今のは明らかに私が悪い。
私は男の服を脱がせるべく、しぶしぶ男のボタンに手をかける。
落ち着け、イルセ。この男は
集中するのよ!
「いい匂いがする」
小さなつぶやきと共に、ボタンと格闘している私の肩にずしりとした重みがかかり、私はそのまま王子に押し倒されそうになる。
「”#$%&’()★……!!」
咄嗟に突き飛ばそうとして、相手が病人だと気づいて慌てて手を止める。
「ちょっと!」
王子から反応はなかった。
「……」
……王子は倒れ込むように寝ていました!
はい、お約束ですね!
違うから! 私はほっとしたの! ほっとしたんだからね!!
二週間もすると、王子の体調はほとんど回復した。
散々わがままを言い、私に世話をさせたおかげだ。
全く感謝して欲しい。
傲慢で人を人とも思わない性格はきっと、記憶の有り無しとは関係ないんだろう。私も王子の言動にだいぶ慣れて、むやみに怯えることはなくなった。
王子は肩慣らしだと言って、数日前から狩りに行くようになった。本調子ではない私では狩りは難しいので正直助かった。
イノシシの丸焼きとか、時々は食べたいもの。
でも、狩りに行けるぐらい元気になったということは、そろそろ、ということだ。
「ねえ、この森を東に一日歩くと村があって、ギルドもあるの。行方不明者の届け出があるかもしれないから、行ってみたら? 身元捜しを依頼してもいいだろうし」
身元なんか知っている。王子様で勇者だ。何で私が知っているのか、なんて話になったら色々大変なことになるから絶対に言わないけど。
もう、さっさと出ていって欲しい。私はこの仮初の生活を早く終わりにしたいのだ。
「世話になったら、恩を返すべきだろう」
「え、別にいいんだけど」
「
無駄に強い圧を放って、私を黙らせる。
いや、負けてはいけない。
「……だって、記憶ないと困るでしょ。それにほら、待っている人とかいるかも! 家族とか恋人とか!」
「記憶がなくても何も困っていない。帰らなければならないというも焦りがないのだから、そんな者はいないのだろう。――それとも、俺がここにいると、何か都合の悪いことでもあるのか?」
それは私が一番触れて欲しくなかったことで。だから、言葉に詰まってしまった。
「ないなら問題ないな」
彼は、この話は終わりだとばかりに切り捨ててしまって、その後、何を言っても聞いてくれなくなった。
それから、一カ月半。
私は、方針を変えて、「恩を返す」と言ったこの男をこき使うことにした。
名付けて、「恩はもう返してもらったから十分です」作戦だ。「こんなのやってられっか、もう出てってやる」作戦ともいう。
今日も私は、私の苦手な家事を王子にいっぱい押し付けて、一人で家から少し離れた場所にある森の中の湖のほとりに来ていた。
紅葉を迎えたこの季節は、湖に根を張る沼杉までも赤く色づき、湖全体が赤く神秘的な面持ちになる。燃える炎のような、私自身の色でもあるこの赤が私は好きだった。
この赤い光景の中に佇むと自然と一つになれる気がして、私は毎年、この時期は何時間でもここで過ごしていた。
「美しいな」
気づくと隣に王子が来ていた。
もう仕事が終わったらしい。この優秀な人は、なんでもそつなくこなす。私が押し付けた家事なんて全く苦でないのだ。次の家事を押し付けてやろうかと思ったが、私は口をつぐんだ。
この景色の前では、余計なことは言いたくなかった。
「きれいでしょう? 深紅の赤が、燃えるようで。私の大好きな場所なの」
「ああ、心が安らぐ。深い、紅蓮の、飲み込まれるような赤だ」
王子が、片手で私の赤毛をもてあそぶ。王子は何が楽しいのか、私の髪の毛を触るのが好きだ。最近は振り払うのも面倒になって、私はさせるがままにしていた。
「ならば、この景色を忘れないでいて。国に帰っても、時々思い出してくれると嬉しい」
「いつでも思い出すだろう。お前が、俺の側にいれば……」
側に、いれば……?
いつの間にか、王子の顔が近い。
王子の紫の瞳に周りの赤が映り込み、その眼差しは深い色合いを帯びていた。
赤に飲み込まれたのは、私の方。
その時、がさがさと森の灌木をかき分けて顔を出したのは、一人の騎士だった。
私は慌てて王子から数歩離れた。
「王子ー。アーレント様ー。やっと見つけましたー!! 行方不明になっておいてこんなところでなにやってるんっすか!? ウェストラント中大さわっぎすよー。あ、お嬢さん、はじめまして、自分……ふぎっ」
そして、物語は冒頭へと戻る。
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