はじまりの前夜
地下鉄よりも遥か深い地下に造られた真っ暗な迷路のなかを面を被った黒装束の三人組が音もなく駆け抜けて行った。
口だけの面,眼だけの面,眼と口の面と,それぞれの特徴から『
突然脚を止めたかと思うと,暗闇でチェーンが火花をあげながらターゲットを捉えた。
「まさか,ここで出会うとはな」
火花を散らすチェーンを避けるように手脚の長い白い肌の黒髪女が宙を舞い,両手に持った銃を三人に向けて乱射した。
真っ白に光輝く弾はチェーンで弾き飛ばされたが,女は一瞬で距離を詰め,靴に仕込まれたナイフで口だけの面をかぶる見猿の首筋を舐めるように蹴り上げた。
長い黒髪が鞭のように空を打つと,ナイフの軌道が見猿の首筋から頬へと滑り,そのまま弧を描いた。
身体を反るような体勢から,指のない手でしっかりと握りしめた聖書が悠依の脇腹を掠めると,一気に顎を目掛けて振り上げた。
一瞬の攻防で致命傷はなかったが,お互いの薄皮を切り裂いた。
「チッ! 魔術師のくせに相変わらず身軽なやつだ! また脚を切断してやろうか!」
見猿の面の一部が切り裂かれると,火傷の跡で覆われた目のない真っ白い顔が一瞬見えた。見猿は素早い動きで聖書を構えると,前にいる悠依と距離をとって後ろにいる真弓を警戒しながらゆっくりと身体の向きを変えた。
「両眼を焼かれて泣きながら逃げ惑ってた童貞コスプレ厨二病が今じゃ立派な黒法衣か。歳は取りたくないもんだ」
仲間の二人が見猿の背後を守るように距離を詰めると,三人の聖書に巻かれたチェーンが暗闇のなかで音を立てて解かれていった。
「いい加減,お前たち魔術師との追いかけっこは終わりにしたいんだけどな。本部からも早く仕留めろとせっつかれてるんだよ。諸悪の根源である魔術師を殲滅させろってな」
「こっちはコスプレ野郎どもに用はない。ちょっと移動にここを使わせてもらったがな。相変わらず湿気臭いが,お前らはアンデッドを生み出してるのか?」
質問には答えず,指のない手で器用に聖書を開き,パラパラとページをめくりながら祈りを捧げると,闇に溶け込みながら黒い炎が悠依目掛けて聖書からまっすぐに飛び出した。
「悪魔の経典使いが,穢らわしい!
悠依は黒い炎をかわすと,再び銃を乱射した。暗闇に何本もの光の線を描き,飛び出そうとした三人の動きを止めた。
「お前ら童貞どもはマジしつこい。いい加減死んだらいいのに。今宵の月は私に力を与えてくれる。まるで,あいつが私を守っているようで不愉快なほどに」
三人の足が止まった一瞬,足元から蒼い炎が立ち登り,辺り一面を明るく照らした。
「この臭い,蒼い炎の魔術師か。ヤク中エロ女! そう何度も焼かれると思うな!」
「まったくお前ら童貞コスプレ厨二病は面倒だ。すぐに変な渾名をつけたがる。挨拶代わりに今日はこっちを殺っておく」
悠依の銃が再び光の線を描くと,三人のはるか後方で待機していた黒法衣たちがバタバタと倒れていった。
「しまった!」
三人が体勢を整えた瞬間,悠依はその姿を消していた。
世界的な感染症は十年掛けて現代医学の力で辛うじて抑え込むことに成功はしていたが,黒法衣の教団は世界各地で復活する魔術師たちを抑えきれず,日に日に被害を拡大していった。
薄汚れた雑居ビルの奥にある『closed』と書かれた小さなサインが掛けられたドアを開けると,薄暗い店内でママと峻が二人で話し込んでいた。
安い酎ハイで喉を潤しながら,乾き物を摘み,教団の動きを予想して作戦を練った。先日の交戦では,若い黒法衣が六人,全員ヘッドショットを決められて死んだことを確認したが,相変わらず三人組とは決着がつかず相性の悪さを感じていた。
「もう十年か,あいつらとやり合うのは。まったく時が経つのは早いな」
「峻,あんたが鍛えてくれてなきゃ,あの子たちはとっくに殺されてるよ。魔女だなんだって言ったって,所詮は生身の女だ。確かに悠依は身体能力は高いが,鍛え上げた人間との肉弾戦なんて向いてるわけがない」
「ふふ……懐かしいですね,そのセリフ。かつて仁様が同じことを話しましたよ。この十年,世界中で魔術師が復活している。これは仁様とその主人,銀髪の少女がかかわってるに違いないと思います。私たちも自分たちができることをしっかりやりましょう」
ママは煙草を吹かしながらウイスキーを口にした。
「相変わらず,あんたのその忠誠心はなんなんだろね? あんなクズを未だに信じて崇拝してる」
「ええ……彼は自らの神を捨てました。人間とともに神をも殺そうとしています。そうなると,もはや彼自身が神と同等だと思うんですよ。彼は常世も現世もすべて消滅させると言っていました。そんな壮大な考えをもって行動しているなんて,崇拝する対象として十分じゃないですか?」
ウイスキーを一口飲んでから煙草を一気に吸うと,鼻から大量の煙を吐き出した。大きなガラス製の灰皿に焦げたフィルターを投げ捨てると,大きなため息をついた。
「峻,その話,私以外にするんじゃないよ。よそでそんな話しても,厨二病をやらかしてる中年扱いされるか,ヤバイ新興宗教にハマってる頭のぶっ飛んだ中年扱いされるかのどっちかだ。信じる馬鹿がいたとしても,ろくなやつじゃない」
「ふふ……ほんと,その通りですよね。事実はまさに小説より奇なりってやつです。仁様もおっしゃってましたよ,人間は事故も事件も天災も実際に自分自身に起こらないと現実として受け入れないって」
「あいつは矛盾だらけだったけどね。誰よりも人間を憎み,誰よりも人間を愛していた。人間を皆殺しにするとか言いながら,困ってる人間を助けたりもした。あいつが一番人間らしいって思うよ。そりゃあ〜自力であっちの世界に行けないわけだ。あいつの右眼に焼き付いてるのは悶え苦しむ人間の姿だし,心は人間だからな」
「そうかも知れませんね」
「そんなやつが,あっちもこっちも消滅させるとか,意味がわかんないね」
「ですよね」
眩しいほどの純白の月が放つ冷たい月光が世界を飲み込み,銀髪の少女と黒髪の少年が高層ビルの屋上から静かに街を眺めていた。
蒸し暑い風がビルの屋上で渦を巻き,月光を浴びて輝いた透明感のある銀髪が
「随分と無口ね。あなたの子供たちでしょ。それとあの黒いのはお友達だっけ?」
透き通る肌の少年は,地下の深いところで黒法衣たちに銃を乱射する黒髪の女を見て微笑んだ。
「俺は自分の約六百年のクソみたいな人生のなかで,いまもっとも輝いている。敢えて言おう! イケメンは正義だ!!」
真っ赫な燃えるような右眼をもつ少年は,黒髪の女とやや距離をとって援護する激しく揺れる巨乳を見て満足した。
「この身体を手に入れてからというもの,人生が楽しくてしょうがない。どこに行ってもチヤホヤされ,なにをしても許される。峻は俺に隠れてこんな経験をしていたと思うと,許されない裏切りだ。まさにイケメンの特権だ」
「はいはい。で,どうする気? 感動の再会とかやっちゃうの?」
「いや……まだだな。黒法衣相手に肉弾戦をしてるなんて,まだあいつらの準備が整っていない証拠だよ。サキュバスとしての能力が発揮できていない。俺がこの身体で会ったところで,あいつらにとってイケメンに会える以外なんのメリットもない」
「そう……。じゃあ,ここには用はないわね?」
「じゃあ,教団の本部にでも行って挨拶してくる? あいつらイケメンな俺を知らないし」
「あら? 素敵なアイディアね。あなた彼らの本部を知ってるの?」
「ああ。十年ほど前に真弓たちがあいつらと初めてやり合ったときからね。教団の連中も実戦が初めてだったらしく,当時はなにもかもが初体験でゆるゆるでね。後日,血痕を辿って本部を確認させてもらったんだよ」
「面白いわね。じゃあ,挨拶に行きましょうか。この世界に我々オリジンとオリジナルの存在を認めさせる宣戦布告にもなるわ。黒法衣を消滅させましょう」
「えええええ……? そんな派手にやっちゃいます? オリジンとか宣言しちゃうのは,それはちょっとやり過ぎなんじゃないかと……。自分,メンタル的にあんまり目立つの得意じゃないんすよ……」
「あら? せっかくのイケメンなのに?」
「う……。そ,そう言われたら,まぁ,目立っちゃってもいいかな? って思うところはあるけど……」
「じゃあ,彼らの本部に行きましょう。案内よろしくね」
「え? あ……はい……」
「ふふふ,冗談よ。宣戦布告する前に,まずはあなたの破滅の左眼を見つけないと。じゃないと,あなた,いつまで経っても不滅なままの半人前よ。今回は軽く挨拶するだけにしとくから,何人か殺すかも知れないけど私たちの正体は明かさないわ」
銀髪の少女は愛らしく微笑むと仁の手を引き,屋上から飛び降りた。女の子のスカートが大きく膨らみ,捲れ上がって細い脚が露わになった。
「ほら,真っ白な月明かりの下で男女が手を繋いで空を飛ぶとか,いかにも魔女って感じで素敵じゃない? こんなに可愛い女の子に手を繋いでもらって嬉しいでしょ?」
脚がビルから離れた瞬間,仁はきつく目を閉じ歯を食いしばったままなにも言わず,汗ばんだ震える手で彼女の手をしっかり握りしめた。
『むりむりむりむり!! マジでむり! こわいこわいこわいこわいこわい!! 死んじゃう! マジで死んじゃう! マジでヤバイってぇぇぇぇぇ!!』
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