終焉のはじまり
薄汚れた雑居ビルの奥にある『closed』と書かれた小さなサインが掛けられたドアを開けると,薄暗い店内では常連たちが安い酎ハイで喉を潤しながら,乾き物を摘み,他愛もない話に華を咲かせていた。
「あら,お二人とも。いらっしゃい。随分と久しぶりね。全然見なくなったから,神父か坊主に封印されたのかと思ったわよ」
やけに上機嫌なママがカウンターの向こうで煙草を咥えたまま笑顔を見せた。店内は煙草がこもり,目に染みた。
「やぁ,ママ。久しぶり。調子はどう? 店の中,煙で真っ白だから,もうちょっと換気したほうがいいよ。めちゃめちゃ煙が目に染みるから」
「あら,これでも換気してるんだけどね,これで命一杯なのよ。ほら,この建物古いから換気扇も小さくて。カウンターでもそっちのテーブルでも好きなほうに座って」
「なるほど,それならしょうがないね。でも,こんなに煙いと客の顔も誰が誰だかわからんね。取り敢えず,うちらはカウンターで。久しぶりにママの話を肴に飲みたいんでね」
「ほんと,二人してどこに行ってたのかしら? 随分と見なかったけど?」
「旅行だよ,旅行。自分たちを見つめ直す男二人旅」
「怪しいわね。まぁ,煙だけど,ここに来るお客さんは常連ばかりだから顔が見えないくらい問題ないわよ。もう何年も新規のお客さんは来てないから。それに仁ちゃんたちくらいよ,そんな人間みたいなこと気にしてるの。で,お土産は?」
「ごめん,お土産ない! 実は古い知人に会わなくちゃいけなくて,ほら俺の場合,古い知人っていったらややこしいのしかいないじゃん。峻には荷物持ちと俺が迷子にならないようについてきてもらったんだ」
「そう……古い知人ね。まぁ,仁ちゃんらしいわね」
なにも注文しなくても,安い酎ハイが大きな音を立てて目の前に置かれた。水のように薄い酎ハイは昔から変わらず,ママの酎ハイで酔う客を見たことがなかった。
「仁様,古い友人だなんて,ママに匂わせるとは,なにかお考えが?」
「峻,お前は俺の条件は真偽両方とも知ってるだろ? 真の条件は左眼回収」
「そうですね……」
「まぁ,偽の条件は俺が甦らせたサキュバスに殺されるってやつだが,ママも偽の条件を知っている。俺がサキュバスに殺されたら,俺によって甦った連中は自由に,俺は疫病を撒き散らしてから百年の眠りにつく。で,目覚めたら能力が大幅アップってやつな」
「はい」
「意味わからなくね? 俺,不死だぞ? 殺されてから眠りにつくとか,なんなん,それ?」
「そうですね」
「まぁ,二人のサキュバスを手に入れたママが本気で俺を殺しに来るのは間違いない。そんな女だ。問題は二つだ。まず目の前のママはどうやって俺を殺すか。そして殺した後に俺の亡骸をどうするかだ」
「そうですね……確かに謎解きみたいな条件ですね」
「この変な条件のせいで,俺は六百年の間,数多くの実験的な甦りと生き返りを続けているが俺自身がその
カウンターの奥でウイスキーの入ったグラスを片手に煙草を吹かすママと目があった。酎ハイを軽く持ち上げ,笑顔を送るとママも笑顔を返した。
「で,どうされるのですか?」
「ああ……峻,このクソ条件を俺につけたのが,この前一緒に会いに行った銀髪のあいつだ」
「え……?」
ママを見つめながら酎ハイを口にした。
「もしだそ,万が一ママに俺が殺られたら,お前は絶対に俺の亡骸をママに渡すなよ。あいつはガサツだ。俺の亡骸を雑に扱うに決まってる」
常連たちと野球の話をしながら,海外で活躍する日本人選手たちの性癖を予想して大笑いしているママが仁を見て腰を振りながらスイングするポーズをとった。
「ママ,ホームラン打ちそうな雰囲気あるよ。そう言えば,真弓と悠依はどうしてる? 二人とも元気でやってる?」
ママは笑顔でスイングして腰に手をあてた。
「悠依は一度死にかけた。黒法衣とやり合って頭,両腕,右脚に下顎を木っ端微塵にされて,内臓も飛び散らせてたよ。よくあれで生きて帰ってきたって思ったね」
「マジか……それで悠依は?」
「でも,もう大丈夫。全部くっ付いたから。まあ,真弓が頑張ってくれてね。バラバラになった腕とか全部持ち帰ってくれたんで,あの子の再生力を助けるために処女の血をガンガン投与しまくって半年くらい掛けて復活したのよ」
「処女の血?」
「仁ちゃんがいたら,あんたの血でなんとかなったろうけど,なんせ再生には血が必要でね。しかも混じりっ気のないピュアで新鮮な処女の血じゃないと腕も脚もくっつかなくて。なんだかんだ色々試して百人くらいの処女の血を使ったわ」
「百人? その子たちは?」
「一滴残らず血を全部抜いて殺した……って言ったら,仁ちゃん怒るの知ってるから女の子たちは殺してない。真弓が会社の力を使って,取引先に入院している処女の子たちを薬で眠らせて,その間に死なない程度に血をいただいたの。まぁ,全部真弓がやってくれたんだけどね」
「そう,よかった。ママに二人を託して正解だったってことだな」
「でもねぇ……その子たち,血を抜かれた後は真弓が会社で開発中の不妊治療用の擬似男根っていうの? シリコン製の棒みたいので真弓の体液を膣のなかにたっぷり挿入されちゃってるから,厳密には処女じゃなくなっちゃってるし,なんならいざってときに真弓の人形として兵隊のように操れちゃうのよねぇ」
咥え煙草で腰に手を回しぐるぐると回しながら鼻から大量の煙を吐き出した。
「殺してないだけマシってことか……」
「ほんと,仁ちゃんは女の子が犯されたり殺されるのを嫌がるよね。人間を皆殺しって言うけど,女子供も含まれるのよ? いっつも変な矛盾ばっかりなんだから」
「ああ……ごめん。今度,悠依と真弓にも会いに行くよ」
「別にいいわよ。仁ちゃんはあの子たちの元カレでも父親でもないんだから」
「取り敢えず,二人ともいまは元気。とくに真弓は淫獣どころか黒法衣の連中からも恐れられ,変な
「マジで? その条件,まだ生きてんのか?」
「さぁ? 仁ちゃんを殺したらわかるんじゃない? 仁ちゃんの影がチラチラするの,結構ストレスなのよねぇ」
ママはご機嫌で政府の感染症対策を批判し,いかに国会議員が仕事をしていないかを延々と話続けた。
「なぁ,峻。ママってちょっと頭悪そうじゃん? マジで俺を殺すとなったら,俺にひたすら聖水かけるとか,変な札を貼るとか,身体をコンクリート漬けにして宇宙空間とは言わないけど,海の底に沈めたりとかしないよな?」
「どうでしょうね?」
「ほら,漫画とかで太陽に放り込まれて再生と死を永遠に繰り返すとかあるじゃん? あれって俺にとってはまさに地獄だし,あんなのされたら嫌なんだけど」
「辛そうですね。それ以前に,どうやって太陽に仁様を放り込むかのほうが気になりますが」
「確かに……。じゃあさ,変な術かけられて,炊飯器に閉じ込められて封印とかだったらどうするよ? ってか,どれも殺されてないよな?」
「それはなんか嫌ですね。そう言われたら不死の殺し方は気になりますね」
「ぶっちゃけ,随分と昔に教会や寺の連中が俺に向かって呪文唱えたり,聖水かけてきたり,札を貼ってきたり,色々あったけど,あれ,マジでちょっと痛いし,変に苦しいし,汚れて不快なだけだからな」
「経験済みなんですね」
「ああ,数百年前なんだけどな。変なニワカ新興宗教団体の連中が名を上げたくてウザ絡みしてくることがあってな。こっちも実験感覚で敢えて色々受けてみたりしてさ」
「なるほど」
「まぁ,ただただ不快なだけだったな」
「面倒臭そうですね」
「ああ。で,たまに黒法衣の連中ともやりあってたんだけど,やっぱりあそこは別格にヤバイやつもいてさ。俺の不死の能力がなかったら,とっくに消滅させられてたよ。そう言えば峻,お前が全身を腐らせて死にそうになった原因,覚えてるか?」
峻は目を瞑り,俯いて当時の記憶を遡った。まだ幼い峻は自分が魔術師であることも,その家系であることも知らずにごく普通の人間として暮らしていた。
ある年の春に村で疫病が流行り,峻の家族を除くすべての村人が命を落とした。しばらくして黒法衣の集団が村に来ると,峻の家族を皆殺しにしその場で灰になるまで焼き尽くした。
「私が幼いころ,村で疫病が流行ったのですが,村人が全員死にました。そのとき私も疫病に罹ったのですが,たまたま両親が感染していないとの理由で黒法衣の集団に連れて行かれ,治療も受けさせてもらえないまま地下牢に閉じ込められ,両親は酷たらしい実験後に死にました。私は疫病に掛かっていたので人間と認定され閉じ込められました。あの疫病のせいですべてを失いました」
「その疫病を拡散したのが黒法衣の連中だよ。まぁ,魔女狩りという名目の人体実験だな。たまたまお前の村が実験対象として選ばれて,両親は実験体に,生き残ったが確実に死んでいくお前は観察材料として連れ帰っただけで」
「…………」
「で,俺が死にかけてるお前を見つけて,その心臓を黒法衣のガキに移して復活させた。まぁ,条件は適当だ。当時,やたらとイギリスの女王が新聞で話題だったんで,かっこいいかなって完全復活には〃六人の女王の心臓″なんて難しいのを真の条件にしちゃったんだけどさ」
「…………」
「まさか六人の女王の心臓とか無理だよなって,後から気づいてさ……。あの…,なんか,ごめんな……真の条件だし,めっちゃかっこいいと思ったんたよ……当時は……」
「…………」
「えっと,さっきの話に戻るんだけど,問題はお前を襲ったあの疫病なんだけどな。あれ,たぶんだけどあいつが元凶だと思う。銀髪のあいつ」
「え……? 銀髪の少女ですか?」
「間違いないな。あのガキ,俺より歳上だ。六百年前の疫病を撒き散らした三人のオリジンのうちの一人だ」
「オリジン? 信じられない……あの少女が? そもそも何故生きてるんですか? 仁様が不死なのはわかるけど」
「ああ……あれは俺に条件を与えたやつだからだよ。つまり,俺の主人,オリジンであり,破滅と不滅の魔術師だ。俺たちみたいな人間だと思い込んで育ってきたオリジナルと違って,オリジンは人間じゃないと知って生きてきた連中だ。筋金入りの魔術師たちだ」
「仁様の主人って……? 伝説級のオリジンだったんですね……」
「俺はもともと不死じゃない。確かに他の連中よりかは丈夫だったが,槍で突かれ,燃やされて最後は灰になり,両眼だけが残された。左眼はどっか真っ暗な世界に堕ちちまった。残った右眼に対して,あいつが俺に自分がもつ不死を条件として与えた」
「そんなことって……」
「俺の真の条件は左眼の回収。つまり両眼を揃えることで完全復活だが偽の条件は死だ。つまり,破滅の左眼と不死の右眼を揃えたときに俺は完全復活する。そのとき俺は不死ではなくなるから,真偽の条件を達成し力を得るが,寿命とともに消滅する」
「死ぬとわかって,なんのために真偽を揃えるんですか?」
「そりゃあ,暇だからだろ?」
「え……?」
「嘘だよ。真偽を揃えた者は死をもって願いを叶えてもらえるらしい。魔術師のそれは常に人類の滅亡だ。人間が支配し崩壊させる世界のリセットを望む。六百年に三人のオリジンが望んだが失敗したように,俺もまたそれを望む」
「壮大な話ですね……」
「ああ。だが,俺が真偽両方の条件を満たしてもダメなんだよ」
「何故ですか?」
「願いを叶えてくれるのは上位の神だと言われている。信仰心を捨てた俺の願いを叶える神は存在しない。六百年前,目の前で家族や仲間が犯され,燃やされ,無惨に殺されたときに俺は信仰心を捨てた。なんなら神を殺したいとまで願った」
「なるほど,あの銀髪の少女と同じことを言ってますね」
「ああ……だから俺は信仰心を捨てていない三人のサキュバスに未来を託したい。ママはちょっと怪しいけどな。峻,お前に導いてもらいたいんだよ」
「そんな……」
「まだまだ先の話だ。お前たちにもそんな力はないしな。だから俺は自分の主人と時がくるまで共に過ごそうと思っている。そのために峻,お前を連れて行ったんだ。いずれ殺り合う俺の主人の顔を覚えさせるために」
「仁様は,なにをするんですか?」
カウンターの向こうで鼻から煙草の煙を吐きながらウイスキーを飲むママを見て,笑顔になった。
「この話はまだ誰にも言うなよ。絶対,壮大過ぎて嘘くさいって馬鹿にされるから。お前はラノベ読み過ぎとか,異世界転生モノの漫画みすぎとか,絶対言われるし,俺だったら言う」
「世知辛い世の中ですね」
「ああ……人間が残虐なことは今も昔も変わらないのに,平和ボケしてる連中は気付かないふりをしている。毎日世界のどこかで紛争が起こり,貧しい人間は飢えて死ぬ。裕福な国では働かない若者が年寄りを騙して金を奪う。森林を消滅させ,生き物を絶滅させる。そろそろ人間が滅ぶべき存在だろ」
「難しい問題ですよね」
「ああ。こうやって俺たちが笑ってるときに,どこかで殴られ,犯され,殺されてる子供たちがいるんだよ。真面目な社会人ぶった連中が犬や猫を虐待したり,公園の水鳥を矢で撃って喜んでるだ」
峻は黙って酎ハイを飲んだ。
「取り敢えず俺は,俺の主人と一緒に仲間を増やしていくつもりだ。あんなガキみたいな容姿でも力は俺より全然上だし知識も豊富だ。俺の右眼がある限り,俺はオリジナルであり続けられるし,お前もその心臓があればオリジナルだ」
「あの少女が仁様の主人だなんて,未だに信じられません。幼い姿のまま生き続ける不老不死でしょうか?」
「さぁ,俺もお前と同じレベルでしかあいつのことを知らん。お前と違うのは,あいつが主人だって気づいたのは,実際に会って声を聞いた瞬間だしな。向こうは最初から俺のことを知っていたみたいだけど」
「はぁ……」
「峻,お前はママたちと行動を共にしろ。俺はあいつのところに行くし,あいつが待っているのも感じている。未確認だが,この世界中に拡まる感染症も,もしかしたらどこかの魔術師たちが真偽の条件を揃えて行った人類への攻撃かも知れないしな」
「なんか,ヤバめのネット記事かラノベみたいにしか聞こえないのが悲しいですね」
「ああ。現実なんてそんなもんだ。事件も事故も天災も起こってから初めてそれが現実として認識される。そして,自分たちに実害がなければ,すぐに記憶からも消えてなくなる。これからが人類の終わりの始まりだ。峻,お前はお前でしっかり準備をしておけ」
「わかりました。なにを準備したらよいのかわかりませんが,やれることをやります」
「よろしく頼むわ。そしたら俺はこのまま消えるけど,ママたちをよろしくな」
「かしこまりました。いずれ合流すると思いますので,それまでに準備をしておきます」
仁はママに『また来るよ』と軽い挨拶をして店を出た。真っ赫な月が仁を照らすと,右眼の奥深くに映る闇のなかで,悲鳴を上げながら苦しみ続ける何万という仲間たちが救いを求め,もがいていた。
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