第8話 回復傾向

 ここまで回復するまでの半年間。

 ご飯は自分で食べれるようになって、歩夢あゆむ先生が持ち込んでくれた本は読むようになった。

 私は私の意思で何かに手を伸ばし、腕を動かした。


 次第に歩夢先生や香奈恵かなえさんとも話せるようになった。

 ただ、私は香奈恵さんが怖くなった。私を見る目が変わった気がしたからだ。回復に向かう患者としての記録を取りたいからか、私の感情部分に踏み込んでくる。

 私はそれにおびえていた。


 ──比べられている気がしたんだ。

 誰かと……。ううん、世界で一番幸せって顔をする普通の生活ができる、普通に過ごせる子たちと……。

 だから嫌だった。怖かった。

 香奈恵さんがバインダーを抱えているのを見た途端、私は寝たフリをした。


 その反面、歩夢先生は私がすぐに質問に答えられないと「ごめんね」と言って、その質問を流してくれていた。

 私への気遣いをちゃんとしてくれたのだ。

 そこから私は人の温かさを思い出せた。体温が出来上がる感覚がした。


 今思えば、この時の感覚が恋に落ちた感覚だったのだろう。

 でもあの時の私はすぐには気づけずに、この後の出来事で知ることになった。




 ──それは、とある暖かい日の出来事だった。いつも通り10時に歩夢先生がやって来て、私は先生とお話をしていた。

 突如とつじょとして、昼前頃に私の病室のドアが開いた。



「歩夢研修医。お客様が見られましたよ」



 香奈恵さんの声だ。

 その声に反応してドアの方に目線を送ると、香奈恵さんの隣に若くかわいらしい女性が立っていた。



「安藤看護師! ありがとうございます。

 麗桜うららちゃ……佐々木さんのこと頼んでもいいですか?」


「えぇ」



 そう言って歩夢先生はかわいらしい女性とドアの向こうへと消えていった。

 私の胸の温かみも連れて、ここに残ったのは不安のようなざらつく心だった。



「佐々木さん。何かあった?」



 香奈恵さんの声で私はハッとする。



「あ、いえ……」



 よく分からない感情を説明する言葉など見つからず私の心を見つめないように蓋をする。



「そう? 何かあったら気軽に言ってね」


「はい。ありがとうございます」



 ピロロロリンッ。

 初めて聞く音に私は体をびくつかせる。



「はい。どうなさいましたか?

 はい。伺います~」



 香奈恵さんが何事もないように機械に話しかけ、その後「他の患者さんのところに行くわね。何かあったらナースコールを鳴らして」と私を1人部屋に置き去りにした。


 時計の針はまだ11時50分前でいつもなら歩夢先生と話している時間……。

 胸がズキっと傷んだ。

 え……。何が起きているの?

 発作とは違う胸の痛み。

 何かがいつも違う。苦しい……!

 どうして、なんで?

 私を襲うその疑問たちは私を泣かせた。

 え? 泣いてる……?

 私は頬に伝った水を確認して、当時、半年ぶりに泣いたことへの驚きが隠せなかった。

 でもそれよりもどうして胸がこんなにも押しつぶされているのかが分からなかった。


 そう、これが恋だと知るまで。恋だと分かるまで理解が出来なかったのだ──。






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