茶番劇

 その日、俺の地下牢フェアリースに響いた足音は猫のように密やかなものだった。狩人長マイスターは、重い鉄扉を開ける時さえどういう訳か音をさせなかった。


「子供を誘惑しているそうだな」

「……俺は毎回来るなって言ってるんだけどな」


 酸を浴びせられた皮膚が空気に触れる痛みを堪能しながら、俺は呟いた。とうとうバレたか、と思う。ニーナが俺を訪ねるようになってもう五年、いつまでも狩人長マイスターの目を欺けるはずもなかった。


「ちゃんと見張ってやれよ。あと……もう少し優しくしてやれ」


 だが、直言の良い機会ではあった。彼女が俺なんかに構うのは、本拠地ハイムに居場所がないからだ。不出来な狩人イェーガー見習いだと自責して、叱らない俺のもとに逃げてくるんだ。

 子供なんだから、と言いかけたのを遮るように、クラウスは俺の差し向かいに腰を下ろした。血と膿の悪臭にも、狩人長マイスターの黒い制服が汚れるのにも構わずに。ナイフみたいな薄青の目が、俺を鋭く見据える。


貴贄エーデルシャフにそんな悠長なことは言ってられない。が食われれば、吸血屍鬼レーベンデトーデどもに力を与えることになる」


 ああ、目で分かる。こいつは俺を許していない。化物クレアトゥアに堕ちたことも、彼女と娘を手にかけたことも。鋭い視線に切り刻まれる思いで、それでも俺は反論を試みた。


「親を殺されたんだろ。もっと、甘えさせてやれよ」

「死んで当然だった。とも吸血屍鬼レーベンデトーデだったからな。もちろん血の繋がりはない」


 俺を驚かせたのが嬉しいのか、クラウスは唇を三日月の形に笑ませた。そうしてできる皺を見て、こいつが老いたのに気付く。俺も、本来は同じ年を重ねるはずだったのに。何もかもが、思った通りにならなかった。 


貴贄エーデルシャフを眷属にしようとしたのか、育てて食うつもりだったのか──彼女にとっては良い親だったらしいから、人間らしくなくて困っている。あまりに肩入れするなら、したほうが人のためかも、と」

「おい……っぅ」


 傷を忘れて食ってかかろうとした俺は、剥がれた皮膚がれる痛みに呻くことになった。鎖が擦れて不快な音を奏でる。無様に悶える俺を見下ろすクラウスの目は、どこまでも冷ややかだった。


「だが、お前は子供が死ぬのを望まないだろう。そのためにどうすれば良いか──分かるな?」


      * * *


 訓練場に引き出された俺は、初めて手足を縛る銀の鎖から解放されていた。とはいえ不審な動きをしないように、幾つもの銃口が俺を狙ってるから、身体ほどには心は軽やか、という訳にはいかないが。


 クラウスの奴、ニーナと俺が会ってることに最初から気付いてたな。その上で、互いに情が移るのを待っていた。さすが狩人長マイスター、やり方が汚い。


『彼女は身をもって学ばなければ。吸血屍鬼レーベンデトーデは人と相いれない存在なのだと』


 俺のを命じながら、奴はそう語った。


『親しいと思っても──だろうとだろうと。飢えれば牙を剥く卑しいけだものめ』


 クラウスが罵ったのは、有象無象の吸血屍鬼レーベンデトーデではなく俺自身だった。相応の罵倒だからこそ、俺の胸に突き刺さる。だからこそ、奴のは正しいと思わされる。


『これは彼女にとっても最後の機会だ。吸血屍鬼レーベンデトーデを仕留めることができれば良し、さもなくば──』


 俺と対峙する今日のひよっこは、師の手助けを借りることはできない。細い手に、銃も短剣ナイフもまだまだ不似合いで、訓練場の張りつめた空気に青い目を翳らせている。ニーナ、可哀想に。


『だが、お前の演技次第でどうにでもなるだろう。お前の罪はあらかじめ教えておくし、な』


 青い目が、俺を捉えて不安げに瞬いた。クラウスのの言葉が本当か、確かめたいんだな。そんなことしてないって言って欲しいんだろう。吸血屍鬼レーベンデトーデを信じるなんて、バカげてるのにな。


「こいつを倒せば、解放してくれるんだな?」

「ああ。お前はもう十分苦しんだからな」


 筋書き通りの台詞を言うと、傍観する構えのクラウスは滑らかに嘘を吐いた。俺を許す気なんて毛頭ない癖に。だが、構わない。この茶番で、ニーナが心置きなく俺を殺せるようになるなら。


「おじさん……嘘でしょ……?」

「本当さ。残念だったな」


 声を震わせるニーナに、俺はいかにも化物っぽい、獰猛な笑みを浮かべてみせた。手も震えさせて、銃を落とすんじゃないぞ、って思いながら。


「────…………っ!」


 喉からほとばしるのは、人には聞こえない音域の咆哮。それでもびりりと震える空気に、観客兼試験官たちは一斉に顔を顰めた。


 咆哮を契機に、俺の肉体は変貌する。背中には棘を備えた蝙蝠の翼が生える。手指は伸びて一本一本が短剣の鋭さに変じる。

 やったことがなくても、吸血屍鬼レーベンデトーデどもの戦い方はよく知っている。狩人イェーガーのそれも。迫真の戦いを演じつつで殺されてやる──俺にぴったりの役割だ。


「おじさ、待って──」

「美味そうな小娘だな!」


 下手な台詞を言いながら、駆ける。ニーナの間近の地面を抉る。すると、跳ねて攻撃をかわしながら、彼女は意外と素早い動きで銃を構えた。なんだ、これならいけそうだな。


 背中の翼を動かして土埃を巻き上げながら、どう殺されるかを考える。同時に耳に蘇るのは、クラウスの密やかな呟きだった。


『俺はお前なら彼女を任せられると思ったんだ』


 かつての友に、苦しげな顔でそんなことを言われたら。茶番に付き合ってやるしかないだろう。俺は本当に行き当たりばったりで考えなしで──だから今度こそ、思った通りの結末ってやつにしてやるんだ。

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