贖罪の痛み

 俺のくだらない追憶は、赤い衝撃によって砕け散った。赤は、強烈な痛みが目の前を染めた色。衝撃は、腹に撃ち込まれた弾丸が肉を爆ぜさせ内臓を引き裂いた時のもの。


「っぎゃああぁあああっ」


 悲鳴と同時に、吸血屍鬼レーベンデトーデ特有の黒っぽい血が口から零れる。くずおれて地面に這いつくばる俺の耳に届くのは、どこまでも冷徹な声だった。


「この程度の損傷はすぐに再生する。手足を狙え」

「で、でも……」


 低く静かに命じるのは、狩人長マイスターのクラウス。対して怯えた声を上げたのは狩人イェーガーの卵のひよっこか。人を撃つのは初めてなんだろうな。爽快な化物退治のはずが、意外と人間て動揺したってことか。もちろん、狩人長マイスターにはお見通しなんだろうが。


吸血屍鬼レーベンデトーデといえども血は流れる。とうに腐っているが。悲鳴も上げれば命乞いもする、その上で隙を窺い策を巡らせる──躊躇は、捨てろ」

「は、はい」


 慌てて頷いたひよっこは、俺よりも狩人長マイスターが怖いようだった。急いで撃ったらしい次の一発は、倒れ伏した俺の腿を掠めていった。深手ではない──が、狩人長マイスターの助言通り、確かに動きは鈍くなる。塀や、土を掘ったり盛ったりして造った高低差──訓練所の各所に設けられた遮蔽物に隠れるのも、儘ならない。


「く、そ……っ」


 三発目が見事に膝を砕くのを感じながら、俺は右手でこぼれる内臓を抑え、左手で地面を掻いて手近な石壁の裏に逃げ込んだ。手足に絡んだ銀の鎖が、しゃらしゃらと涼やかな音を奏でる。逃げても無駄なのは分かってはいるが、目の前に苦痛と恐怖が迫ったら逃げるのが人間──いや、吸血屍鬼レーベンデトーデでも同じなのだ。


 苦痛と恐怖は、もはや俺の日常なんだが。俺があの日から──たぶん、二十年くらい、ずっと。

 妻と娘の亡骸を抱えて、クラウスのナイフみたいな目に射抜かれた時はこれで終わりだ、って思った。事実、こいつは瞬く間に俺の手足を斬り落としてくれた。だが、俺の期待なんて裏切られるためのものだった。思い通りになるなんて、思っちゃいけないんだ、俺は。


 俺が塵となって消えることは許されなかった。銀糸を織り込んだ布で丁重に梱包されて、俺は本拠地ハイムの地下深くに連行された。手足を銀の枷で戒められて石の壁の奥に閉じ込められて。引っ張り出されるのは、こうして新人の的になる時、って訳だった。あとは、吸血屍鬼レーベンデトーデの肉体にも効く毒やら新兵器の研究に付き合わされたりとか。


「痛えな、くそ……」


 猫みたいに密やかなクラウスの足音と、もう少しうるさく慌ただしいひよっこの足音が近づく。間近に迫ったさらなる苦痛に止まった心臓が締め上げられて、目眩にも似た頭痛が脳を掴む。あと何歩か、何秒か──そして俺は仕留められるのか。ふたりの狩人イェーガーが迫る──


「っあ──……?」


 と、思った時には、俺の心臓は貫かれていた。もたれた石の壁の、から。さすがは狩人長マイスターの剣の妙技、隠れた相手の身体を的確に貫くとは。


 標本にされかかった虫みたいに無様にもがく俺に、クラウスとひよっこは悠々と近づいた。いや、ひよっこのほうは、血塗れ傷塗れの俺に腰が引けているか。吸血屍鬼レーベンデトーデに、遠慮する必要なんかないのにな。隣の狩人長マイスターを見習えば良いのに。


「再生の速度もよく見ておけ。実戦では夜の闇の中で次弾を装填しなければならない」

「はい……!」


 鉛の銃弾なら、吸血屍鬼レーベンデトーデが息絶えることはない。だから、ひと通りずたぼろにした後は、しばらく放っておけばまた訓練に使える。そういえば、俺も捕らえた吸血屍鬼レーベンデトーデを相手に模擬戦闘したこともあったっけ。


 俺は、狩人イェーガーの裏切者。同胞を殺した仇。娘さえ手にかけたけだものだ。楽に死なせてもらえる訳なんて、なかった。


 でも、ああ。


 ひよっこの震える手が、引き金を引いた。外しようもない至近距離。俺を鉛の弾丸が、頭蓋骨を砕き脳をまき散らす。その音を聞きながら、俺は思う。


 彼女も、娘も。恐怖も苦痛も絶望も、こんなものじゃなかっただろう。俺は何度でも苦しめることを喜ぶべきだ。二十年に渡って切り刻まれても、俺の贖罪はまだ全然足りてないんだ。

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