少女たちの素敵な花園

Gacy

第1話

 両手首から滲み出る血が墨のように黒く変色して乾燥し,両足首の皮がめくれ赤黒い肉が露出していたが,もはや痛みを感じなくなっていた。ほんの少し前までは腹部を固定する革製のベルトが肌に喰い込み,自由の利かない股関節に激痛がはしっていたが,それすら感じなくなっていた。


 焦点の合わないぼんやりした視界に入るのは,小さな穴が規則正しく並んだベージュ色の天井と,おそらく間接照明なのだろう,横から射す光の筋だけだった。


 もうどれくらいこうしているのか,いまが昼なのか夜なのかすらわからないが,朦朧とする意識のなかで天井を眺めていた。耳元で蚊が飛び回るような機械音が静かに聞こえ,自分の不規則な呼吸音がやけにうるさく感じた。最後に覚えているのは,サークルの友達とカラオケに行き,終電ギリギリまで遊んでいたことだった。


 目を覚ますと冷たいステンレス製の台の上に全裸で大の字に固定されていた。分厚い革製のベルトが両手首・両足首,胴体と首に巻かれ,後頭部をしっかりと台に押し付けるように固定されていて,少しでも動こうとするとベルトが肌に食い込んだ。口には息ができるように無数の小さな穴が開けられたボールのような球体を入れられたまま固定され,細いチューブが定期的にボボボボと無機質な音を立てて唾液を吸い出した。


 なにが起こっているのか理解できずに,悲鳴を上げて助けを求め,自由の利かない身体を必死に動かそうとしたが無理に動けば革が皮膚に食い込み,皮膚が擦れて血が滲んだ。


 それでも構わず泣き叫んだが,どんなに大声をあげても誰も現れることなく固定され続けていた。


 すぐに時間の感覚がなくなり,何度も意識を失っては目を覚ました。その度に首に取り付けられた細いチューブから点滴のようなもので透明な液体を強制的に身体に流し込まれるのを不安と恐怖を感じながら凝視し,落ちてくる液体に怯えて呼吸が荒くなった。


 これが悪戯ではないのは,全裸で拘束され首に針が刺さり点滴を打たれている時点でわかっていたが,どうしても現実を受け入れられず,たちの悪い悪戯であって欲しいと何度も願った。


 点滴で私を殺さないように最低限の栄養を与えているのだろうと思ったのは,細い管から液体が落ちる度に針が刺さった首筋の血管が焼けるように熱くなり激しく脈打っているのを感じたときだった。


 ステンレス製の台の上で失禁しても,意識が戻ると綺麗に洗い流されていたので,誰かかいることはわかった。最初は微かの残る羞恥心が大便を我慢していたが,すぐに下痢便と尿を垂れ流すようになり,異常に喉が渇くようになった。


 太陽光とは違うやけに白い照明の灯りが消えたかと思うと,部屋のなかが淡いオレンジ色の照明に包まれた。こうやって定期的に照明が切り替わることで,昼と夜の違いを表しているのかと勝手に思い込んだが,意識が朦朧として光の違いがわからないこともあった。



『おねがいだから……ひどいことをしないで……こわいことをしないで……』



『こわい……こわいよぉぉぉ……』



 頭の中で繰り返し何度も見えない相手に懇願した。


 お父さんとお母さんは私がいなくなったことに気がついているのだろうか。大学に入学し上京してから一年になるが,両親への連絡は口座にお金が振り込まれたときにそっけない定型文でお礼のメッセージを送るだけだった。


 どうしてこんなことになっているのか,誰かの恨みをかったのか,たまたま私が変質者に目を付けられたのか,誰がなんの目的で私を拘束し,映画や漫画の世界でしか観たことのない状況になっているのか理解できなかった。


 散々泣きわめき,許しを請い,なんでもするから解放してくれと喉が千切れるほど叫び続けた。小さなボールの隙間から漏れる叫び声は誰にも届かず,誰も反応せず,なにも起こらなかった。


 唯一の大きな変化は,腹部を締め付けていたベルトがいつの間にか緩くなっていたことくらいだった。しかしそれは拘束している何者かがベルトを緩めてくれたのではなく,私のお腹が異常なほど細く痩せこけてあばら骨が浮き出ていたことすら自分で気が付かなくなっていた。


 唇がカサカサに乾燥し,ひび割れ,唇を少しでも動かすと血が滲んだ。意識が朦朧とし,間接照明の光の筋が七色に見えた。首に入ってくる液体が焼けるように熱く感じる度に,無理矢理現実に引き戻され全身が痺れ涙が溢れた。


 暴力を振るわれるわけでもなく,性的に襲われるわけでもなく,ただこうして拘束され,ゆっくりと命を削られていくことで自覚のないまま恐怖のなかで笑いが止まらなくなっていた。


 いつの間にか恐怖心は完全に麻痺し,天井の規則正しく並んだ穴を見つめているだけの時間を過ごした。排泄物も当たり前のように垂れ流した。誰もなにもせず,ただこうして拘束されチューブから僅かばかりの栄養を与えられ自分がどうなっていくのかなど考えられなくなっていた。


 意識が遠のく瞬間,微かに人の気配を感じることが何度かあった。その瞬間,現実に引き戻され,助けを請おうと必死に意識を保ちチャンスを逃さないように全身に力を込めたが,いつも目が覚めるとベージュ色の天井が見えるだけだった。



『ダ……ダズ……ゲ……デェェ……ダレ……ガァァァ……』



 喉が潰れ声にならない声が呻き声のように漏れた。人の気配を感じて以来,何度も助けを求めて叫び続けた。何度か人の気配を感じたが,その度に意識を失っては絶望のなかで心が張り裂け笑いと涙が止まらなくなった。手足の感覚がなくなり,背中の痛みすら麻痺して感じなくなっていたとき,ようやく人影が視界の隅に入っていることに気がついた。



「あれ……もしかして明日香ちゃん,もう目が醒めちゃった? やっぱり体質ってあるんだね」



 聞き覚えのない声に名前を呼ばれ動揺した。視界の端に微かに見えるその影は私の死角をよくわかっていた。ゆっくりと近づくが,その姿を見ることはできず,不自然な呼吸音が頭の周りで響き渡った。



「久しぶり。明日香ちゃん,相変わらず綺麗ね。こうやって再会できてとっても嬉しい」



 声の主は頭の上のほうから話しかけてきたが,その姿を見せようとはしなかった。



「ずっと昔から綺麗だったけど,いまも本当に綺麗……うっとりしちゃう……」



『ダレ……オ……レガイ……ダズ……ケデ……』



 小さなボールの間から微かに声が漏れたが,もはや完全に言葉になっていなかった。大量の涎が喉の奥でゴロゴロと鳴った。目からは涙が溢れ出し,感覚のなくなった手足が痺れているような気がした。



『ダズ……ゲ……デェェ……ゴワ……イ……ヨォォ……』



「明日香ちゃん,ずっと昏睡状態だったんだよ。もう目が醒めないかと思って心配してたから本当に嬉しい!! 実はちょっと焦ってたんだ」



『ダ……ズ……ゲデ……ェェェェェ……』



 口から大量の涎が溢れ出し,鼻水が垂れ,こぼれる涙が耳に入った。自分の名前を呼んでいる誰かがいる現実に動揺と混乱が入り交じったが,なにより助かるんじゃないかと微かな期待が不思議な安心感を与えてくれた。


 自分の姿がどうなっているのかわからず,現実なのか夢なのか,痛みすら感じないまま涙を流すことしかできなかった。



「明日香ちゃん,本当に綺麗。本当に本当に。ずっと前から私の憧れだったんだよ」



『オレ……ガイィィ……ジバズ……ズゥゥ……ダズ……ゲェェ……』



「もう,本当に可愛いんだから。私ね,ずっと明日香ちゃんに憧れてたんだよ。明日香ちゃんみたいになりたくて。ほら,あの日,明日香ちゃんたちに仲間外れにされる前からずっと」



『ダ……ズ……ゲデ……ェェェェェ……』



「ねえ,覚えてる? 明日香ちゃんと美樹ちゃんがさ,遠足のグループを作ったときに私と目があったじゃん。でも,美樹ちゃんが最後のメンバーに結子ちゃんを誘って,結局,私は最後までグループが決まらなくてさ……あのときは本当に寂しかったなぁ……」



『オ……レ……ガイ……ジバズゥゥゥ……』



「あとさ,あれも。給食を一緒に食べるグループでさ,私はいつも明日香ちゃんの近くにいたのに,いっつも私以外の子と仲良くしてたよね」



『ダ,ダレ……ワ……ガンン……ナイィィ……』



「昔っからそうだったよね。私はこんなに明日香ちゃんのことを大好きなのに,ずっと無視されて。好きな人にずっと無視されるのってマジで辛いんだよ。明日香ちゃんと同じ中学校に進学したけど,中学では一回もクラスは一緒になれなくて辛かったしさ」



『オ……オ……オレガ……イ……ダズゲ……デ……』



 相変わらず視界から外れたところで話しかけてくる相手に恐怖しか感じなくなっていた。私を拘束して監禁しているのは小学校,中学校が同じで,私を狙って拘束していることを知り,真っ暗な絶望と恐怖が心を吞み込んでいくようだった。



「結子ちゃんで色々実験したんだけど,先輩の資料にあった麻酔薬を持続点滴静注っていうんだけどさ,意識が戻るか戻らないギリギリの量を入れ続けてみたり,何処を斬ったら綺麗に切断できて,死なないかっていうのもすごく勉強になったの」



 なにを言っているのか理解はできなかったが,頭がおかしいことだけはわかった。結子と美樹と同じクラスだったなら,小学校五,六年生の同級生だけだった。



「結子ちゃんは何度か意識が戻ったんだけど,その度に絶叫するし,血だらけになって暴れるし,マジでうるさくてすごい大変だったよ。太っててあんまり可愛くないくせに調子にのってさ,でも資料に一番近いサンプルっぽかったからよかったけど」



『ダ……ダ……ダズ……ダズゲ……デェェ……』



「あとね。私たちの大学ってさ,十数年前まで農学部で学生が動物実験やってたんだって。知ってた? 一部の学生たちが実験動物を遊び感覚で殺してたことが問題になってもう動物実験はやらなくなったんだけど,そのとき使っていた機材とか薬品がさ,倉庫みたいなこの古い建物に全部残っててね。ここを建て替えるまで置いておくってなってたみたいなんだけど,その時の担当者はもういなくてね。だからこうやって私が自由に使えるの。いちおう,私,薬学部だし,人より薬の知識はあると思うんだ。あ,基礎の基礎だけね」



 そう言いながらゆっくりと影が私の顔を覗き込んできた。目の前で逆さに見える顔に見覚えはなく,今どきの女の子といった感じだった。



「へへへ,明日香ちゃん。久しぶり」



『ダ……ダ……レェェ……?』



「ああ……やっぱ,わからないかぁ……」



 まったく見覚えのない女の子が楽しそうに笑いながら,ゆっくりと私の横に移動した。記憶を辿ってもまったく心当たりがなく,笑顔を見てさらに混乱した。



「明日香ちゃん,美樹と結子,そして私。いまこの部屋には澤入第二小学校六年二組の仲良しグループが集まっています。明日香ちゃんは最後の参加者だから薬の投与量もバッチリだったし,こうやって会話ができるなんて本当に素敵」



『ワ……ガン……ナ……イ……』



 口から涎が溢れそうになると,ボボボボボと音を立てながら口の中のボールに取り付けられたチューブが唾液を吸った。



「そっか……わかんないか……残念……」



 女の子がゆっくりと私の周りを音を立てずに歩きながら,ガサガサとビニル袋の音だけが響いた。



「でも……結子ちゃんも美樹ちゃんもわかってなかったし,しょうがないかな。明日香ちゃんには覚えていてほしかったけど。しょうがないよね……」



『ワ……ワ……ガン……ナ……イィ……』



「ねぇ,結子ちゃん。美樹ちゃん。やっぱ,明日香ちゃんもわかんないって」



 ビニル袋の音を立てながら,カチャカチャと何かを操作しているような音がした。やがて,私の首をしっかりと固定していたベルトが取り外され,この状態にされてから初めて首を動かすことが許された。


 首どころか全身に力が入らず,自分の意思とは関係なく首が転がるように横を向いた。その瞬間,女の子が横に立って私の身体をウェットティッシュのようなもので拭いてはビニル袋にゴミを捨てているのが見えた。


 横を向いたことで大量の涎が溢れ出し,ステンレス製の台の上に水たまりをつくった。



「あらあら。明日香ちゃんったら,汚しちゃって。もう,こうやって私がお世話しないといけないとか,マジで最高なんだけど。こんな明日香ちゃんの内側とかのお手入れとかマジ最高」



 女の子は嬉しそうに台をウェットティッシュで拭きながら,私の顔を優しく丁寧に拭いた。使用済みのウェットティッシュが床の落ちたらしく,女の子がしゃがみ込む瞬間,初めてその子の顔を間近で見ることができた。



『ダズ……ゲ……デェェ……ゴワ……イ……ヨォォ……』



 女の子がしゃがみ込んだことで視界が拡がり,壁の近くに設置されている斜めに傾斜のつけられた二つの台が見えた。


 台の上には両手と両足が根元からなく,お腹を大きく切り開かれて内臓がむき出しのまま首や股間に大量のチューブが取り付けられた結子と美樹の姿があった。



『ウゥゥゥ…………ウゥゥゥ……』



 喉の奥から声が漏れる二人の視線は私を恐怖の眼差しで見ていた。達磨のような姿にされ,内臓が外に滑り落ちても,そのまま生かされている二人の姿が信じられなかった。


 二人の姿を直視できず,首に力が入らないまま視線を自分の身体に向けた瞬間,私自身の肩から先がなくなっているのが目に入った。



「ありゃ,明日香ちゃん。もしかして自分の姿を見ちゃったの? でも,心配しないでね。私がちゃんとお世話してあげるから。ずっとお世話してあげる」



 再び女の子の顔が目の前に現れると,屈託のない笑顔で私の首を両手で持って真っすぐ上を向かせた。そのまま鼻歌を歌いながら,私の頭を再びベルトで固定すると音を立てて二人がいる壁のほうへと移動していった。



「ああ……でも,明日香ちゃんに見られちゃったのね。もうちょっとだったのにね。先輩の資料だと,ほら,あのビラビラのお腹があり得ないくらい,めっちゃ破裂してね,花火みたいになって,その後きれいな大小のお花が咲いたみたいになるらしいのよ。ああ……残念,私,またやらかしちゃったね」



 二人の呻き声が大きくなったかと思うと,規則正しく動いていた機械音がほんの少しだけ大きく聞こえた。部屋の中をうろうろと歩き回る音がしたかと思うと,突然私の目の前に覗き込むようにして顔を突き出してきた。



「ごめんね,明日香ちゃん。本当は明日香ちゃんにサプライズで綺麗な花火とおもしろいお花模様を見せてあげるつもりだったんだけど,なんか,もういいや。予定変更」



 女の子は笑顔で私の目を覗き込んでから,急に私に興味を失ったかのように不機嫌になった。乱暴にビニル袋を振り回す音がしたかと思うと,ブツブツとなにかを呟いていた。



「マジでムカつく。あんなに頑張ってネットで勉強して,先輩の残した資料いっぱい読んで結子でいろいろ実験して麻酔の投与量とスピードもバッチリだったのに。なんで明日香の首が勝手に横向いてんだよ。この部屋の鍵だって苦労して手に入れたのに。なんなんだよ。これじゃ,あの頃と変わんねぇじゃん」



 女の子が毒を吐きながら部屋を行ったり来たりしている音が私の薄れゆく意識の中で小学校の頃の風景を思い出させていた。



『明日香ちゃん……来週誕生日だよね。クラスのみんなで,なにかサプライズを用意しようと思ってるんだぁ……』



 頭の中で『こいつ,馬鹿じゃねぇの……サプライズする相手に言うとか,マジで最悪……』と何度もその場面が頭の中で繰り返され,教室で結子と美樹と私の三人で怒っている姿が思い出された。


 私の記憶にあるあいつは,こんな笑顔をするようなやつじゃなく,教室でいつも孤立し,グループを組むときはいつも最後まで一人余っていた。あの時なんで私に声を掛けてきたのかもわからず,いつも余計なことしかしない気味の悪いやつだった。


 首筋が焼けるように熱くなり,さらに意識が薄れ,目を開けていることができなくなった瞬間,あいつの顔をハッキリと思い出した。教室の片隅で,やけに身長が低く,小柄で,ひどいニキビ肌の健治けんじが薄気味悪い笑顔でいつも私を見ていたあの目は,女の子が最後に私に向けたものと同じだった。


「ごめんね,明日香ちゃん。私,そろそろ行かなくちゃ。えっとね,人間の腸がどれくらいの圧に耐えられるかわからないんだけど,適当な時間に破裂すると思うから。でも心配しないでね。ほら,ここにある動物実験に使ってた先輩の資料。この資料には同じ実験を豚の腸でしたときの計算式とか書いてあって,豚を殺さないまま腸を破裂させたことも書いてるの。だからみんなも死なないよ。安心してね。また見に来るから」



 女の子がそう言って部屋を出ていく音が耳の奥で微かに聞こえていた。涙が止まらず,自分の死も,結子と美樹と同じような身体にされていることも受け入れられなかった。



『オド……ウ……ザ……ン……オガア……ザン……ダズ……ゲ……デ……』



 涙が溢れて止まらなくなり,鼻水が垂れ目の前が真っ白になっていった。感覚のなくなった下半身が異常に圧迫されているのがわかり,怖くて目を瞑ったその瞬間,身体がほんの少しだけ宙に浮き,目の前のベージュ色の天井に大小の赤黒い花模様がビッチリと写し出された。



『オネ……ガイ……ダレ……ガ……ダズゲ……デ……』



 部屋の隅からも二人の苦しそうな呻き声と,ビチャビチャと湿った重みのあるなにかが床に垂れる音が聞こえてきた。そして健治の満面の笑みと,かつてこの建物で実験動物として学生たちに命を弄ばれて死んでいった恐怖と絶望に怯えた動物たちの震える姿が頭に浮かんでは消えた。



『ダズ……ゲ……デェェ……ゴワ……イ……ヨォォ……』



『ゴワ……イ……ヨォォォ……』



『ゴワ……ィ……ォォォォ……』



『オドウザ……ン……オガア……ザン……ダズゲ……デェェ……』



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