魔本と聖剣とゆく無人島サバイバル

辛士博

第1話

 母なる海の、雄大なこと。

 寄せては返す白波を、何するでもなくただ惚けて見、水平線に沈む夕日が世界を赤々照らし、浜を駆け抜く潮風は穏やかで。

 たかが人間一匹の、なんと矮小なこと。

 そう、彼女に比べれば自分の悩みなんて、ちっぽけもちっぽけである。

 美しい浜の景観を、壊すように散乱した船の残骸だとか、名も知らぬ同乗者の亡骸だとか、鼻を突く悪臭だとか。



 ──遭難したなんて現実は、そうとも、ちっぽけな悩みに過ぎやしないのだ。



「んな訳がねぇだろがえぇぇぇぇぇえ────────っ⁉」

 少年はあらん限り叫んだ。喉よ裂けよ血よ燃えよと謂わんばかりに叫んだ。

「ふっ、ざっけんなああああぁぁぁぁぁぁ────────っ‼」

 叫びは虚しく、茜色と紫とが混じった空に虚しく吸い込まれた。

「はぁ……はぁ……」

 ひとしきり現況の不満を吐き出すも、当然事態の好転を招くものでもなく、少年は肩で息をする結果に終わった。

 さて、この少年──真崎まさき賢吾けんごが遭難するまでのその過程、その経緯を簡単に語ろう。


 異世界転移➡奴隷落ち➡船、遭難➡無人島らしき島に一人←今ココ

 Are You OK? HAHA!

 ──。

 ────。



「よくねえよぉぉぉおおおああああぁぁぁぁぁ────────っ‼」

 理不尽な怒りがぶり返し賢吾は今一度吠えた。答える者はいない。

「はぁ……」

 遭難が事実であれば、無駄に体力を消耗するのは愚の骨頂である。

 しかし感情の整理は、……若干ながらついた。

 賢吾は気持ちを切り替えるべく己が頬を叩き、振り返る。

 白い砂浜はすぐに途切れ、鬱蒼とした密林が目の前に広がっていた。異世界で日本の知識がどれ程通用するかは分からぬが、軽く植生を見る限り熱帯のようで、すぐに凍え死ぬということは無さそうだ。

 住居の確保は急務だが、それ以上に火急なのが水と食料であろう。

 もしかすると、漂流物の中にはまだ使えるものがあるかもしれない。

 賢吾はまず浜の散策に乗り出した。既に夜も間近で、何の準備もなくジャングルに入るのは危険と判断した為だ。

「ひっ」

 残骸を漁っていると、嫌でも仏様が目に入る。

 平和な日本で暮らしてきた賢吾には刺激が強い光景だ。彼は短い悲鳴を上げ、僅かに後ずさるもすぐに考えを改め生唾を飲み込んだ。

「ナンマンダブ、ナンマンダブ──」

 言葉の意味も知らずにきょうを唱えながら、遺体を海から引き上げる。

 弔いの為ではない。彼らが身に着けている衣服や装飾品は、今となっては大変貴重だと思ったからだ。

 ──まるで盗賊である。

 そんな風に自嘲と罪悪感と、自己嫌悪に塗れていると、


 ぃぃ……──。


 寂しさが作った幻聴か。はたまた現実逃避の妄想か。

 賢吾の耳は小さな悲鳴を聞いた気がした。

「……」

 彼は作業の手を止め、耳に意識を集中する。


 ひいいぃぃぃぃぃ……──。


 聞き間違いではない! 今度はきちんと、情けない、女性の声を捉えた。

 賢吾は声のする方へ弾かれたように走り出した。

 自分以外の生存者がいる──その事実だけでも今の賢吾には大層な救いであった。


「嫌じゃ嫌じゃぁ~! わらわはこんなところで死にとうない~!」


 段々と声がハッキリと聞こえてくる。

 内容からして彼女も命の危機に直面しているようだ。

「おぉ~い! どこだ~⁉ 返事をしてくれ~!」

 賢吾は更に足を速め声を張り上げた。

「おぉ⁉ ここじゃここじゃ! はよう、妾を助けたもれ!」

 すると女性の張った声が返ってきた。

 なんとも時代劇染みた口調である。もしかすると、やんごとない身分なのかもしれない。

 すわ急げと賢吾は砂を蹴り、船と人の亡骸を飛び越え、声の元へと急ぐ。

「これ、早う早う! 早う助けんか!」

(なんか偉そうな女だな……)

 賢吾を急かす声は大きい。すぐ近くまで来たと思うのだが、生存者の姿は未だ見えない。視界に映るのはかつての人と、かつての船と──。

「どこに──」

「ええい! どこを見ておる! 下じゃ下‼」

 影も形もない女性の姿を探していると、なんと足元から声したではないか。

 視線を落とす。矢張り人影は無く、代わりに海水に浸かった本が一冊──。

「じゃからここ、ここじゃと言っておろうに! 早う拾いあげんか‼」

「うわっ⁉ 本が喋った⁉」

 

 こうして俺、真崎まさき賢吾けんごは異世界で喋る魔導書と出会ったのであった。

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