私の恋愛
三日月(
第1話
昭和50年生まれの私は、小学校3年生で知り合いのおじさんが聞いていたオフコースに一目惚れし、みんなが歌のテストで光GENJIやブルーハーツを歌っている中、ひとり
「さよなら、さよな ら、さよなら、あああ~」と熱唱して、みんなをドン引きさせたくらいオフマニア(オフコースマニアを私はそう呼んでいる)なのだが、オフコースの曲の中で私が人生の羅針盤として聞いている曲が「老人のつぶやき」という曲である。
この曲を聞いたのは、オフコースを初めて知った小学校3年の雨雪が降る中途半端な寒さの2月だった。
その曲は、私のためにおじさんがオフコース全曲をカセットテープに入れてくれた中から雰囲気で選んだアルバム「ワインの匂い」の中にあった。
命が残り僅かな老人が空を見上げながら、自分らしく生きた人生を振り返り、若い頃に戻りたいとは思わないがただ、あの人に好きだと言えなかったことが心残りだ、とつぶやくラブソングだ。
この曲を聞いた時、私はつかの間、老人となった。
誰もいない部屋でゆりかごのような木の椅子に腰かけ、窓から薄暗い空を見上げて愛しい人を思い浮かべながら、なぜあの時好きだと言わなかったのか後悔というより絶望に近いため息をつきながら、もう死んでいるかもしれないあの人を思い浮かべ悔やんでいた。
触り心地のいいふくよかな二の腕や、柔らかい茶色い髪、笑った時に出る八重歯。
歳を取ってもきっとあの笑顔は変わらないだろうなぁ。
好きだと言っていたら、今でもあの笑顔を見ることができたかもしれない。
今からでも間に合うだろうか。
そう思いながら立ち上がった時
「ガチャ」と音がして曲が終わった。
それと同時に私も9歳に戻った。
デッキを開けカセットを取り出し、大事にケースにしまいながら
私は「絶対、好きになった人には好きと伝えよう。だってもうあんな苦しい思いはしたくない」と心に強く誓い、これが私の人生のテーマのひとつとなった。
私は生まれつき普通の人より人を好きになる速さというか、恋の容量が小さいらしく、すぐ人を好きになる体質なので、のっぺりした卵顔の平安時代にだけモテそうな顔の私は
「SLAM DUNK」の花道のようにこれでもか!!と告白し、これでもか!!と振られまくる人生を歩み続け、できあがったのが「45歳バツイチ&三人の子持ちの独身教師、今でも絶賛片思い中」だ。
そんな私は、恋は歳を重ねるごとにときめきや切なさや嬉しさ、苦しさの量が減っていくものだと思っていた。
失恋も、何回も何回も経験しているから、逃げ方やスルーするコツもばっちり!!と本気で思っていた。
しかし、そんなことは全くの嘘。
昔より賢くなった分、今まで気づかなかった小さな切なさや苦しさに気づいてしまい、余計に傷つきしんどくなってしまう。
しかも、歳の年月とともにいつのまにか積み重なったいらんプライドが、いろんな場面でほろっと出てしまい、大事な局面で行動に移せず心の中で悶え苦しむようになった。
私としてはもっとかっこよく恋に生きてる自分でいたいのに、理想と現実のギャップにじたばたしている私の恋愛を恥ずかしながらみなさまに紹介しようと思います。
少しの間付き合ってくださいませ。
私「今日、ご飯食べに来る?鶏の照りマヨと豚汁よん。」
やつ「うまそう。練習終わったら行くー。」
今日は月曜日。
よし。先週の土日にしっかり掃除したから、まだ部屋もギリだけどOK。
しかも、今日は部活がない日だからいつもより早く帰れたのでちょっと手の込んだ料理もできた。
ご飯を仕掛け、やつが来るまでの時間を逆算して準備をする。
テレビは何をみようか・・・。
やつが笑いながら食事ができるように、コント系のやつにするか、それともドバラエティのやつにするか。
いや、アニメも好きだから見たことないって言ってた話題の鬼系のやつにしようか。
いろいろ考えていたらいつの間にか練習が終わる時間だ。
そうだ。彼について、少し説明をしよう。
やつは同じ教員だが、私は中学校、やつは小学校。
なので出会いは学校ではなく、子どもが通っ ていたミニバスケのコーチとして知り合った。
その時はお互い既婚者だったのだが、バスケ経験者同士ということで意気投合し
何かあったら1番に報告し合う仲になっていた。
それから長い年月を重ね、いつの間にかやつは離婚し、私もいろいろあって離婚した。
それからも変わらず仲良かったが
出会ってからずっと「一番大事な人だ」と自分を誤魔化していたのだが
もう誤魔化す必要もなくなったので、「一番好きな人」と変換してみたら
好きになる容量が少ない私は速攻好きだと認め、誓い通り気持ちをやつに伝えた。
返事は「ちょっとまって。」だった。
お互い子どもがいるから、いろいろ忙しいのはわかる。
だから別に急ぐつもりはないけども。
いつまで待てばいいのか、それすら言わない…。
というなんとも微妙な関係の真っ只中のお話です。
では、話に戻ります。
練習終わってやつはそのままこっちに来るのか、それとも一回家に帰って来るのか。
この前は夏だったから風呂に入ってきたけど、今回はどうするかな。
やばい・・・。まじ、どきどきする・・・。 この歳になってもやっぱりどきどきするし、会えたときはぱへぇーーーーとこころに花が咲く。
携帯をパーカーのポケットにしまいながら汁を温めて、やつ専用の水玉の茶碗を準備して、箸もやつ専用の渋いやつを出してと。
しかし、やつは8時になっても来ず、連絡もない・・・。
少し、保護者と話して遅くなってるのかもな。
よくトラブルを自分で作っては撒き散らす保護者がいると言ってたし。
テレビでも見ながら待ってみるか・・・。
おかしい・・・。
半になっても来ないぞ。
何かあったのかしら。
連絡してみよう。
私「おーい、何かあった??汁冷めるぞー。」 すると
やつ「あ、忘れてた・・・。」
やつ「すまん!!また、今度にするわ 」
えーと・・・。
頭が真っ白になって思考が止まってしまう前にもう一回確認しよう。
うん、確かに忘れてたと書いてある。
えーと、人からご飯を食べようと誘われて、快く返事をして、そのたった30分後にそれを忘れることってある!?
人からご飯に誘われたら嬉しくて忘れたことがない私には
全くもってこの事実が理解できず
ただ「彼にとって、私は簡単に忘れられるくそみたいな存在」だということだけ理解できた。
そのことに絶望した私は怒りに変わり、「私という存在を忘れられた悲しみ」はその怒りにいつの間にか覆い隠されてしまった。
私「もうええよー。にどとさそわないから。」
私「ちゅうか、いきたくないならさいしょからいえばいいのに。」
やつ「いや、忘れてただけだし。ほんとすまん。」
私「もうええって。」
漢字に変換する余裕すらなくなり怒りに任せ返信し、携帯をぶん投げた。
その勢いでごはんの準備をマッハでやり、子どもたちを呼ぶ。
息子 「あれ、コーチは?」
私 「ご飯に誘われてたの忘れてたってよ。まじ殺す」
娘 「なにそれーーー。さいてーーーい。」
子どもたちとひとしきりやつの悪口を言いながら、甘辛の鶏肉を食べ、白菜の甘さとごぼうの泥臭さが絶妙に混ざった豚汁で身体を満たし、なんとか心も落ち着かせた。
私は怒りに隠されていた「存在を忘れられた」という悲しみをゆっくり取り出してみた。
私基準で考えると大事な人からの言葉や誘いは、地球が滅びる日でも絶対忘れない案件なのにやつはいともかんたんに忘れやがった。 ということは、やつにとって私は大事な人ではないのだろうと思い、それに対して私は傷ついてしまったのだ。
わかってる。
やつから好きと言われたわけではないこと。 ただ、私が「好きだ」と言って、やつは「ちょっと待って」言い、おあずけを食らっている状態だ。
だから、そんな人との約束なんて忘れても、まぁしょうがないことだと頭では理解はできる。
しかし、理解はできるけど、こうやってその事を突きつけられるとやっぱりつらい。
食べた皿を携帯で韓ドラを見ながら洗い、一緒にその取り出した悲しみも涙で流して洗っていた。
すると
やつ「今日はごめんよー。お詫びにもう少ししたらそっちに甘いもの持っていくわー。少し遅くなるかもだけど」
と通知が携帯の画面の上にちらっ見えた。
私は泡のついた手でLINEを必死になって開こうとしている自分を冷静に嫌悪した。
泡まみれの携帯を見ながら相手の一挙手一投足に振り回される馬鹿な自分に打ちひしがれた。
なんか、もう どうでもいいや。
いくら歳を取ろうが、私はもう、こういう恋愛しかできん人間なんだということを 40後半でやっと自覚した瞬間だった。
諦めのため息をゆっくりつきながら
私「期待せずに待っとくわ。」
と返信した。
私はその言葉通り期待せず風呂に入り、期待せずテレビを見て、期待せず布団の上でまったりストレッチをしていた。
子どもたちも寝て、もう来ないやろなと天井を見ながら納得したとき、LINEが鳴った。
やつ「今から行くわー」
今、何時や??と時間を見ると11時半だ。
こんな遅くまでやつはなにしとったんだろ?
彼女のとこにいってたのかもな・・・。
いろんな負の感情が出てくる。
するとまたLINEが。
やつ「もう寝てるか。」
このまま寝たふりをし、気のない素振りをしようか・・・、なんて微塵も思うこともなく 速攻
私 「まだ起きてるよー」と返信。
やつ「じゃ、今から行くわー」
くそ、やっぱり胸がどきどきしてるじゃねーか。
やばい。
化粧もしてないし、服装もスエットだ、しかも全身赤の。
鏡の前で着替えようか、軽く化粧しようか悩んでいると、家の前に車が止まる音がした。
私は平気を装いながら、リビングからウッドデッキに続く窓を開けてサンダルを履いて外に出る。
あら。やつ、珍しく車から出てくるではないか。
まだウッドデッキの上にいる私に
やつは早口で
やつ「すまん、遅くなったわー。はい、これ。」
ローソンの袋を押し付けるように渡してくれた。
なんや、やつも緊張しているのか。
それを感じた私は反対に落ち着いてきた。
ゆっくりひと呼吸おいて
私 「これ、ありがとう。それとごめんなさい。少しすねてしまったわ。」
するとやつは、ウッドデッキにいる私を見上げ驚いた顔をして
やつ「今日はやけに素直だな、どうした?」
この言葉を聞いて、やっぱり私、素直じゃなかったのかと自覚した。
若いと素直じゃなくてもなんとかなるけど、おばさんで素直じゃないって世も末だわ。
3秒ほど脳内で反省をし
私 「なんかね、あなたにとって、私って忘れられるくらいの存在なんだなぁと思ったら悲しくてね。ついはぶててしまったの。」
聞きながらやつはウッドデッキに立っている私の横に座り、足元を見ながらすまなそうに話し始めた。
やつ「今日ね、練習のときにむかつくことがあって、いらついていたんよ。本当は行きたかったんだけど、こんな気分でいくのもおまえに悪いし、今回はいくのやめようと思ってね。」
私 「そういうことがあったのか。なるほど・・・。っていうかさ、なにがあったの?」 やつ「それがさ、あのくそじじいがまた文句を言ってきたんよ。今週の錬成会に行く必要があるのかなんとか、もうほんとくそ。」
くそじじいとは、やつが指導しているチームの男子の監督で私の子どもたちもお世話になったのだが、もう性格がくそすぎなのだ。
例えば、試合中自分の子どもがミスをします。 すると子どもに「なにしとるんじゃばかーー!!」と罵声を飛ばしかつ、観戦している親に向かって 「こんなプレイを教える親も馬鹿だ!!早く子どもを連れて帰れーーーー!!」と平気で怒鳴り散らす昭和丸出しのくそ監督なのだ。
しかし、自分が住んでる地区にはバスケできる選択肢がそのチームしかなくて、もう、そこでやるしか道がなかったのだ。
今は私の子どもたち全員、ミニバスを卒業したからもう関わりもなくなったが、やつは今でもそのくそじじいとやらざるを得ない状況にいるので、実情をよく知っている私にこうやって愚痴を言うのがいつの間にか私の役割となっていた。
私 「今さらそんなこというの?あいかわらずだね、あのおやじ。」
やつ「今回の錬成会はけっこうなレベルのチームがくるやつで、そこからおれら女子が招待されたことが悔しかったみたい。コロナがどうのこうの言ってるけど、ついこの間山口に行ってたのはじじいなんだけどね。」
私 「ほらでた!自分のことは棚上げ方式!!すぐその方式使うからね。まじくそ。」
やつ 「くそじじい、その練成会に参加したらチームをなくすとか言い出したからさ、もう面倒くさくて錬成会行くのを辞めることにしたわ。」
私 「そうなんや・・・。指導者としてチームを強くするためにはいろんな試合の経験値が大事なことわかってるはずなのになんでそんなことできるのか、まじわからん。昔から思っていたんだけど、あの人、子供のためにバスケを指導しているのではなく、自分の見栄やプライドのために指導しているとしか思えんのよね。」
やつ「それ、わかる!!あのくそじじい、よく子どもたちはわしの宝物だっていうけど、宝物っていう扱いじゃなくて自分の駒のような扱いを子どもたちにしているのが俺、納得いかんのよね。この前もさぁ・・・。」
少し肌寒い月夜の中、ウッドデッキに座りながら真剣に話しているやつの横顔をこっそり見ながら
やばい、くそまじかわいいぜとひとり、心のなかで悶絶しながらクールに相槌をしていると
ふと、顔がこっちを向いた。
目と目が合った瞬間、はっきりわかった。
やっぱりこの人、私のこと好きだわと。
これだけ聞くと、なんかちょっと思い込みの激しいやばい人に見えると思うのだが、これにはしっかりとした根拠がありましてね。
前者で述べたように「好き」という容量が小さい私は、人生でトータル20回以上告白をして、たった2回だけいい返事をもらったことがある。
その時と同じ目をやつは今、していたのだ。 私という人物をしっかり受け入れ、それを認めているよという目だ。
これは人に告白するという経験が人より多い私だからこそわかることであって、唯一、歳を重ねることによりついた恋愛スキルである。
ひさしぶりにあの「私という存在すべてを包みこむ目」を見た私は、感動して思わずガッツポーズをしてしまった。
や、やっちまった・・・。
やつはそんな私を馬鹿にするでもなく、少しだけ微笑んで
やつ「なんやそのようわからんガッツポーズは。まぁ、そろそろ帰るわ。話を聞いてくれてありがとよ。」
私 「うん。これ、ありがと。」
もらったコンビニデザートが入っている袋を持ち上げ頭をちょこっと下げた。
やつ「おれのお気に入りのやつだから、まじうまいよ。じゃあね。」
そっけなくやつは車に乗り、いつものように帰って行った。
私は最後まで手を振り、見えなくなった後も、つかの間の両思いムードを思い出しながらいつまでも手を振っていた。
あれ。なんか、この感じ、覚えがあるぞ。
私は頭の中にある恋愛という小部屋に入り、片思いというタンスの横にある小さめの両思いというタンスを上から順に開ける。
中もスカスカなのに何故かなかなか見つからず、焦っていると一番下の左の端に小石のような小ささの思い出を見つけた。
それは、中学生の頃初の両思いになり、親に内緒で夜中にこっそり会ってるにも関わらずなにもなくて、それがはがゆくて帰りながらもやもやもやもやした、あのなんとも言えない気持ちだ。
それを40代のおばさんが本気で今、感じていることに若干吐き気を覚えた。
若い頃は、この歳の恋愛って、お互いの気持ちを確認したら自然とキスをし、言葉なんかいらない、みたいなやつを想像していたから ちょっと目が合うだけでこんなに動揺し、キスどころじゃなくてなぜかガッツポーズをしてしまうとは夢にも思ってなかった。
うっすらと山影から見え始めた半月を眺めながら、理想通りに進むには相当な時間が必要だなとため息をつきながら袋に入っているコンビニデザートを覗いた。
意外とやつのセンスがいいことに驚きながらウッドデッキから家に入り
袋に「食べたらぶち○すぞ」とマジックで書きなぐり冷蔵庫にしまった。
私が離婚したのは5年前の10月ぐらいだったかな。
書面では12月だけど、実際元旦那が家からいなくなったのがそのくらいってことなので、私としては秋の終わりが15年に渡る愛の終わりだと認識している。
私はその11月から未知の世界、教員という世界で働くことになり毎日必死で生きていた。 通勤時間が片道1時間の学校で、全校生徒は15人、冬には大雪確定の場所にあり、朝6時過ぎ には家を出る生活をしていた。
あっという間に年の瀬になり「年末元旦那の実家に兄弟家族が集まるから子どもたちに来てほしい」と私ではなく、子どもたちの方に元旦那から連絡が来た。
私ではなく、子どもたちに連絡するあいつの相変わらずのずる賢いところにイラッときたが、子どもたちがいとこ達に会いたいと言ってきた。
しょうがないかと私の中で折り合いをつけ、一日だけあっちの実家に行かせることにした。
12月31日の夕方、元旦那が子どもたちを迎えに来た。
玄関に出て、子どもたちを見送る。
一応、一日お世話になるので
私「よろしくおねがいします。お義母さんたちにもよろしく伝えといてください。」
元旦那「わかった。帰りはまた連絡するわ。」
私の異様な敬語にもびくともしない元旦那のメンタル、すげーと思いながら子どもたちの顔を見ると、少し不安そうに見えた。
私をひとり、家に置いておくことに子供たちは罪悪感を感じているかもしれないと思い、私はいつも以上の笑顔で
私「そうまたちにお年玉渡しといてね、頼むよー。」
と大げさなくらい大きく手を振った。
子どもたちは車の中でも最後まで手を振り続けていた。
私は久しぶりにひとりの時間を過ごせると思い、山口に遊びに行ったときに買った獺祭と おつまみとしてイオンで買ったワタシ的に高い牛肉でローストビーフを作り、いわゆるおひとり様 「しっぽり」を実現しようと事前にいろいろ準備しようと子どもたちがいなくなった、猫しかいない家に戻る。
あれ、なんかわからんが心が焦ってきた。
ひとりでゆっくりできる嬉しさといつもいるこどもたちがいない寂しさと、もしかしてこのまま子どもたちが戻ってこないかも・・・という不安が入り混じって軽くパニック状態になった。
しかし、見て見ぬ振り作戦を実行し、獺祭を飲むために広島で買ったガラスのおちょこを鼻歌歌いながら探すという作戦をやるも、ザワザワはなくならない。
やばい、どうしよう。
準備していたローストビーフを薄く切ろうとするが、そんな精神状態で薄く切ることができるわけはなく、私はいつの間にか流れていた涙を包丁を持った手の甲で拭いながらゆっくり包丁を置いた。
寂しい、寂しい。
そう心でつぶやくたびに涙がとめどなくあふれてきた。
元旦那の不倫が発覚して離婚までドタバタで、それからも仕事や生活に追われ、息をつく暇もなく、 今やっと自分はひとりになって寂しいと思っていることに気づいたのだ。
私はその場に蹲り、声をあげて鳴いた。
動物のように鳴いて鳴いて鳴いて、鳴きまくった。
しばらく鳴いて、やっとこさ人間の泣き方に戻った時にふと思い出したのだ。
不倫がバレたにも関わらず、私に経済力がないと判断したくそばか旦那は、このままの状態を維持したいと言いだした。
そんなクソみたいなことを言う旦那に、少しだけあった情すらもなくなり
「他の人を好きな人のそばでなけなしの愛情をもらいながら生きるより、誰にも愛情をもらえなくても、悲しくて寂しくてひとりぼっちでも、私はそっちの人生を選ぶわ。馬鹿にしないで。」と吐き捨てるように言い、自分で決めた離婚だった。
きっと今がその悲しみ、寂しさの真っ最中なんだなと私は泣きながら理解した。
自分で選んだ悲しみならしょうがない。
顔を上げ軽くため息をつき、目の前にある台所用のタオルで涙を拭きながら立ち上がった。
しば らく変えてなかったタオルはかび臭く、私は急いで洗濯機にぶち込み、新しいタオルに変えた。
ローストビーフは食べやすいサイコロ切りに変更した。
こたつに座り、サイコロ型のローストビーフといつものおちょこで獺祭を堪能し、ガキ使観たいけど、子どもたちと一緒に観ると約束したので我慢して紅白を観る。
普段飲まないお酒を飲んだから星野源を観てからすぐ寝てしまった。
朝、いつもの時間に目が覚める。
もうぐうたら寝る体力すら私にはないみたいだ。
あったかい布団から出る精神力もない私は、布団の中にあるソックスを足先で探す。
いつも足元らへんにあるのに見当たらない。 しょうがなく起きて下当たりを見ると、足元の布団からひょっこり出ていた。
それを拾ってソックスを履く。
寒い。
ドアの外から猫の鳴き声がする。
ドアを開ける。
猫「みゃあ、みゃあ。」
私「あけおめ。ことよろ。」
うまれて初めて猫に新年の挨拶をしてるわと、ちょっと笑いながら猫ご飯のカリカリを準備する。
廊下で二匹の猫がカリカリしているのを見ながら、まだ心が寂しさを抱えているのを感じる。
寒くて猫臭いリビングに行き、ストーブをつける。
「ういーん、ういーん、ういーん。」
ハンドルを回して火がつくタイプのストーブで、この音が好きで購入した。
あたたかくなるまでしばらくストーブの前にいた。
ご飯を食べて満足した猫たちもストーブの前に集まってきた。
私のスエットが温まり柔軟剤の香りが漂ってくる。
朝ごはん、どうしよう。
おせちなんて作ってないし、餅も去年の正月に冷凍したやつしかない。
とりあえずなんか温かいものでも作ろうか。
冷蔵庫をみながらいろいろ考えているとすみっこに賞味期限の長い安い絹豆腐と、中央にどどーーーんと居座っている年末に兄から届いた高いブランド牛の肉(すき焼き用)が見えた。
よし。
こねぎちゃんもあるから今年は美味い肉吸いから始めよう。
出汁は白だしとダシダでとり、適当に豆腐を切り、最後にお肉をしゃぶしゃぶして一瞬で肉吸いができた。
鍋ごと部屋に持っていき、いつも置きっぱなしにしているお気に入りのタイル鍋敷きの上に置いて
私「去年もたくさん美味しいご飯を食べることができました。ありがとうございました。今年も美味しいご飯を作って家族みんなと食べることができますように。」
手を合わせながら心で祈り、韓国ドラマでよく見る長い銀のスプーンで食べた。
卵入れたらよかったわと思いながら、朝から正月番組定番の人気芸人の漫才を見て食事をすませ、子どもが帰ってくる5時まで何をしようか考える。
今は・・・、8時。
あと9時間、何しよう。
寝転がって、インスタを見る。
みんなのあけおめ投稿やストーリーを見ていたが、家族揃っての投稿がやたら目についてすぐ閉じる。
次にティックトックを開く。
えーと、みんなもご存知の通り、あれは永遠に見ていられる魔法のアプリで、これをすれば痩せられる動画やサレ妻動画がひたすら流れて、あれよあれよという間にいつのまにか12時になっていた。
寝ながら動画見ているだけでは40後半の疲れきった私の胃は肉吸いを消化してくれず、そろそろ動き出すかと魔のティックトックを閉じて立ち上がる。
洗濯物も溜まってない、掃除も年末に大掃除を子どもたちとやったからするとこないし。 天気もいいし、ちょっとドライブでも行くかと敷きっぱなしの布団がある自分の部屋に行き着替える。
離婚でかなりのエネルギーを消耗したため半年で10キロ痩せた私は、ありがたいことに着こなせる服が多くなり選択肢が多くなった。 今日は化粧もしてないだらけた顔しているから、気楽な、いわゆるカジュアルな服にしようかな。
いつものオーバーオールに黒のタートルネック、頭にはお気に入りのどんぐり帽子をかぶり ノーメイクを隠すレンズなしの黒縁めがねをかけ、かばんには財布といろんな鍵がまとめて入っているミッキーのポーチを入れ、最後にこたつの上にある携帯を音楽をかけながらポケットにしまう。
玄関でじゃれつく猫をあしらい、私はかばんと少しの悲しみとともに鍵をかけて出かけた。
私の恋愛 三日月( @Kawauso309
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